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よど号ハイジャック事件:1970年3月31日、共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件。日本に於ける最初のハイジャック事件。
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自分の場合、「よど号ハイジャック事件」のリアル・タイムでの記憶は全く無い。年齢的に幼かったからだが、興味が在って色々調べた事も在り、其れなりの知識は在る。
1970年3月31日、羽田空港発板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」。)には乗員7人、乗客131人の合計138人が乗っていた。そして、機体が富士山上空に差し掛かった頃、日本刀や拳銃、爆弾等の武器と見られる物を持った犯人グループ合計9人により、よど号はハイジャックされる。
ハイジャックされて以降の経緯は、此方に詳しく書かれているので、読んで戴ければと思うが、「一時着陸した金浦国際空港で、当時の山村新治郎(11代目)運輸政務次官が、4人の乗員と122人の乗客の代わりに人質となり、よど号は犯人グループの要求によって、北朝鮮の平壌国際空港に向かう。そして、北朝鮮が犯行グループの亡命を受け入れた事で、山村新治郎氏と3人の乗員は解放され、4月5日に帰国。」という形に。
犯行グループの9人の内、5人が既に亡くなったと見られている。亡命後、特に北朝鮮にとって彼等の利用価値が無くなって以降は、彼等にとって好ましい環境では無い様だ。自分達が望んで行った犯罪の結果なのだから、どんな状況が待ち受けていても、其れは自業自得と言えるだろう。
問題は、「よど号ハイジャック事件」に関わった事で、以降の人生が大きく変わってしまった人達。「“英雄”ともて囃されるも、後に“地獄”が待ち構えていた“2人”。」の事を思うと、「よど号ハイジャック事件が起きなければ、彼等の人生は大きく変わっていただろうなあ。」と思ってしまう。
1人は、よど号の機長だった石田真二氏。帰国後には“勇敢な操縦士”と持ち上げられ、当時の佐藤栄作首相か表彰されたり、園遊会に招待されもした。然し、家庭を持っていた彼が、愛人と同棲している事が発覚した事で、彼の人生は大きく変わってしまう。
週刊新潮(6月20日早苗月増大号)に、石田氏の人生が詳しく書かれていた。
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・愛人との同棲が発覚して以降、彼は本妻の元に戻ったものの、更に別の愛人との傷害事件に巻き込まれる。
・“火宅の人”で在る事が世間に知れ渡ってしまった彼は、事件から2年後の1972年に日本航空を退社。
・退職後は家族と共に大阪府岸和田市に移り、雇われパイロットとなるも、其の後、妻子を岸和田市に残し、札幌から岡山へと渡り歩いて小型機の操縦をしたりしていたが、勤めていた会社が倒産。パイロットの道を断たれる事に。
・札幌から連れて来ていた女性と、岡山で漬物屋を始めるも、8年後の1986年に舌癌と診断される。漬物屋の借金や生活費等の問題から、札幌の女性とは別れ、岸和田の妻子の元に帰る。
・舌癌の手術をして体調が戻ると、警備員の仕事に就いて10余年。糖尿病でインシュリンを打ち乍らも、2001年、78歳迄勤務。
・「罪滅ぼしだから。」と、家族との時間を大切にしていた石田氏だったが、2005年、心不全で倒れて入院。其の際の検査で肺癌と診断されるも、家族の意向で本人は告知されず。
・2006年8月13日、83歳で死去。
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過去に何度か書いているけれど、「“男女間の問題”は、違法行為で無い限り、当事者間で解決すべき物で在って、第三者がああだこうだ言うべき物では無い。」というのが自分のスタンス。だから、石田氏に愛人の存在が在ったかどうかはどうでも良い事だけれど、よど号ハイジャック事件が起こらなければ、少なくとも愛人の存在が世間に明らかになる事は無かったろうし、日本航空を辞める事にもならなかったろう。
そして、もう1人は山村新治郎(11代目)氏。人質の代わりとなった彼は、帰国後に内閣総理大臣顕彰を受け、一躍“時の人”となる。“男・山村新治郎”のキャッチフレーズで当選を重ね、後に農林水産大臣や運輸大臣を歴任。よど号ハイジャック事件によって、栄光の階段を駆け上がって行った訳だ。
然し、1992年4月12日。彼は殺害される。自民党訪朝団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えるな中、精神疾患を患っていた次女により刺殺されたのだ。享年58。
祖父の代から、政治に関わって来た山村家(父・山村新治郎(10代目)氏も、行政管理庁長官を務めた政治家。)。政治の世界では“名門”と言える山村家だったが、余りに悲惨な事件の影響で“後継者”が決まらず、政治の世界から消える結果に。
父の選挙活動を良く手伝っていた事から、犯行前には「彼女を後継者に。」という声も在ったという次女。刺殺事件に関しては「心神喪失により、責任能力無し。」判断され、不起訴となった彼女だが、事件から4年後に自殺しているそうだ。
よど号ハイジャック事件により、一躍英雄となった山村新治郎(11代目)氏。其の事が、結果として次女を精神的に追い込んだのだとしたら・・・運命の皮肉さを感じる。