「目標、1,327店!」
一定年齢以上の人ならば、「象に跨ったおっさんが、上記の宣言を高らかにするCM。」(動画)に懐かしさを覚える事だろう。我が幼少時よりバブル景気の辺り位迄、良く流されていた「薬ヒグチ」のCMだ。薬ヒグチは「マスコットの雛が描かれた黄色い看板」が特徴的で、当時は彼方此方で此の店舗を目にしたものだった。
しかし或る時期から閉店する店舗が目立ち始め、気付いてみれば今は「マツモトキヨシ」が嘗ての薬ヒグチの様な存在感を示している。「薬ヒグチの戦略が、時流に合わなくなった。」というのが大きな要因なのだろうが、兎にも角にもドラッグ・ストアの勢力図がガラリと様変わりしたのは事実。
一寸前にAERAだったと思うが、「塾や予備校の現状」が取り上げられていた。塾で言えば、自分が小・中学校時代に多くの生徒を集めていた有名所が軒並み衰退し、新興勢力に取って代わられているのだとか。旧勢力が衰退した要因は、矢張り戦略の誤りが最大要因の様。少子化の進行も在って、生き残りゲームは厳しさを増している。
そして予備校も、生き残りゲームは苛烈さを増している。此方も少子化の影響を受け、浪人生の数がピーク時の3分の1以下になっており、生徒の分捕り合戦となっていると言う。或る巨大予備校は、新興勢力の塾の1つを買収し、「中学受験から大学受験迄、全てを網羅。」を売りにしたりも。塾や予備校の世界も、大きく様変わりしているのだ。
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「10年間で自動車教習所が1割減 生き残りを賭けたサーヴィス合戦」(週刊文春【4月5日号】)
自動車教習所が苦戦を強いられていると言う。
「バブル期迄実地試験が免除になる指定教習所(以下、教習所)は宣伝しなくても、生徒が来る繁盛振りでした。ところが少子化と若者の自動車離れによって、此の10年間で卒業者数が50万人以上激減。教習所の数も1割近く減っています。」(自動車評論家・菰田潔さん)
生き残りを賭け、教習所では様々なサーヴィスを実施中。
「ファインモータースクール(埼玉)は、エコドライヴを学べる『楽エコ教習』の他、プリウスやハイブリッド車を乗り熟したいという人向けの特別コースも在ります。又、コヤマドライビングスクール(東京)では、教習から検定迄全ての課程でBMW・X1を使うリッチな『BMWミニヴァン教習』を実施。埼玉に在るレインボーモータースクールは大学の多い水道橋周辺迄遠距離(教習所から約17km!)送迎バスを出しています。」(同前)
こんな驚きのサーヴィスも。
「武蔵境自動車教習所(東京)では教習の待ち時間等にネイル・サーヴィスやマッサージ、カラー・セラピー等が100円で受けられます。又、卒業後に教習車仕様の車の無料貸し出しも行なっています。名鉄自動車専門学校(愛知)では、名鉄電車で通学する人の定期代を全額支給。自宅迄無料送迎してくれるVIP並のサーヴィスも在ります。ユニークなのは網干自動車教習所(兵庫)。校舎内に『Abosk神社』が鎮座しており、卒業検定に合格すると神主さんが学科試験一発合格と安全運転祈願をしてくれます。」(自動車評論家・松下宏さん)
合宿免許も負けてはいない。
「温泉付きリゾート・ホテルやエステ・マシンを完備した豪華宿舎に泊まれる教習所も在ります。」(全国の合宿免許所を紹介している(株)全日本交通安全教育センター・広報担当)
「信州伊那自動車教習所(長野)は、専任シェフが3度の食事を用意。毎週金曜日にはケーキ・ヴァイキングを開催。五島自動車学校(長崎)で合宿すると無料で乗馬が出来ますし、近隣の農家でバイトをして稼ぎ乍ら免許が取れる『アルバイト免許プラン』も在ります。」(前出・松下さん)
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貧乏学生だった事も在り、運転免許を取得したの社会人になってからだった。休みの日に自動車教習所に通って取得したのだが、良い思い出は本当に無い。元々運動神経が鈍い事も在って、教官には兎に角怒鳴られたもの。運転テクニックが無いのだから怒鳴られるのは仕方無いにしても、椅子を倒してダッシュボードの上に両足を載せ、ブスッとした表情で黙り込み、少しでもミスをすると「おい、御前!何遣ってやがんだよ!!」とか、「鈍臭い野郎だなあ。好い加減にしろよ!!」等と罵声を浴びせられると、「何様なんだ?」とムカムカした。「『こんな所、早く抜け出してやる。』と生徒達が真剣になり、1日も早く卒業する。」という効用は在ったろうが(運動神経が鈍い自分だが、全ての過程を略一発で合格したし。)、当時の教官達には生徒を完全に見下し、自身のストレス発散の為だけに怒鳴り散らしている様な者が少なくなかった。
10年程前だったか、自動車教習所に通っている後輩から「非常に様変わりした現状」を聞いた。「御客様は神様です。」といった感じで、兎に角至れり尽くせり。「ダッシュボードに両足を載せ、怒鳴り散らす様な教官。」なんて居ないし、中には見目麗しい女性教官も居るとか。自分が通っていた頃は、女性教官自体が珍しかったと言うのに・・・。
今は更に“至れり尽くせり度”が上がっているというのだから、本当に様変わりしたものだ。羨ましく思う一方で、「生徒を余り甘やかしてしまうのも、どんなものかなあ?」と思ってしまうのは、自分がもう生徒では無いからなのだろう。
高校3年生および浪人生時代、田舎住まいのため近くに大手予備校がなく、近くの市の小規模な予備校に通っていました。小学生から浪人生まで受け入れている所で、大学にストレートで進学して小学生担当の講師を務める元クラスメイトと鉢合わせた時は気まずかった(笑)
私を担当する講師は、良くも悪くも癖のある人物でした。私のことを、「ボロカスに言われてもじっと耐えて自分なりに改善してくる子」と評価してくれる一方で、「根性がある奴=融通が利かず、面白い発想のできない奴」みたいな決めつけもされましたね。今と比べて無口で、リアクションが少なかったからかもしれません。あるとき、私が問題の答えを導いた過程を話したところ、融通が利かない奴にしては珍しいと思ったのか、「浅草銘菓・雷おこしのような答えだ!」という、わけのわからないほめ方をされた覚えがあります。
大型店舗が増加する一方、昔乍らの小店舗は次々に店を閉じている。しかし「町の電気屋が全国規模でタッグを組んで、メーカーから大量購入する事で大型店舗に対抗。」したり、以前の記事「着眼点」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/06a5335279ce018016f79aa2a786f64e)で紹介した様に、便利屋的な面を売りにする事で、高齢者を中心に安くない価格でも商品を購入してくれる層を開発し、売り上げを伸ばしている所も在る。要は、何れだけ知恵を出せるかなんでしょうね。
雷おこし・・・懐かしい思い出と直結します。小学校低学年の頃に担任だったO先生(女性)は滅茶苦茶優しく、クラスの皆が好きな先生でした。そんな先生が東京に出張した際、生徒達に御土産として買って来てくれたのが雷おこし。一包みずつくれた雷おこしが、とても美味しかったのを覚えています。生徒に御土産・・・今だと問題になるのかもしれませんが、凄く嬉しかった思い出。
もっともそういう内情を知らない生徒の側も指導員を「見た目といい、こんな人がやりたがらない職業の人間は何かワケがある」と指導員に関していろいろな根も葉もない噂を立てていた記憶があります。ある結構人の良い指導員が「あの人は元ヤクザ」と噂があったので、その指導員の近所に住んでいる人に聞いたら、かなり苦い顔をしていましたが爆笑されたこともありました。当時は肉体労働系の人はアイパーが多かったですから、混同されがちだったのですね(笑)。
生徒の側もあのころは面白い人がいまして、既に35歳ぐらいの、当時20歳の私から見ると「おじさん」で気の良い人がいたのです。この当時はそれぐらいの年の女の人ならまだ「10代のときは親に止められたりして取れなかったけど、ないと不便だから…」と取りに来ていましたが、男の人はさすがに20前にとっているはずでしたから、変わってるなあと思ったら、そのおじさん、実技は先生より上手い上手い。皆、不思議に思って聞いたら、「おっちゃん、18の時教習所で大喧嘩して免許とりそこねたんや!でもな!大阪で10年暮らしておってそこで上手くなったんや!18の時に取っておけば大型免許も自動で付いて来たので損したわ!兄ちゃんらも短気は損気や!!」早い話が10年無免許だったのですね。皆口アングリでした。今お元気なら70歳代前半と思われるあの方、まだ運転されているでしょうか。懐かしいです。
そうそう、自分が通った頃の自動車教習所には、パンチパーマの教官が何故か多かった。収支不機嫌そうな表情で、少しでもミスをすると怒鳴り散らす。「パンチパーマ=ヤーさん」のイメージが強かった当時ですので、余計に怖かった。
唯、そんな強面の教官の中でも、合格した際に満面の笑顔で「良かったな。」と言ってくれた人も居ましたので、見た目だけでは判断出来ないですけどね。
自動車教習所での思い出と言えば、当時で60代と思われる女性が教習を受けておりました。「教習期間内に合格出来ず、今は2度目の挑戦。」という事でしたが、時間が取れずに不合格というのでは無く、学科&実習共に中々合格出来ないといった状況で、「大変だなあ。」と思ったもの。当人よりも、其の話を聞いた周りの人達がヤキモキしている感じでした。彼女、上手く合格出来たのかなあ・・・。