横浜市内の住宅を複数人の男性が訪問し、「近所で水道工事を行なうので水が濁ったり、匂いがしたりする場合が在る。その際にはこの薬を飲んで欲しい。」と錠剤を渡そうとしたという届け出が同市等に幾つか寄せられているとの事。横浜水道局では「工事の際に錠剤を配る様な事は無い。誰が何の為にやっているか判らない。」とのコメントを出し、市民に注意を呼び掛けている。どうやら昨年9月頃よりこの謎の集団は横浜市内に出没している様だが、幸いにもこの件に関する被害は寄せられていないという。何やらかの「帝銀事件」を彷彿とさせる話だが、一体彼等の目的は何なのだろうか?一人や二人でやっている事ならば愉快犯的な感じもするが、複数人で動き回っているという所に「一定の目的を有した組織的な企み」が感じられ不気味だ。皆様、くれぐれも御用心在れ!
閑話休題。
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「日本国憲法」
【第9章 改正】
(第96条第1項) この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票に於いて、その過半数の賛成を必要とする。
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昨日行なわれた衆議院本会議で、日本国憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案が自民党及び公明党等の賛成多数で可決し、参議院に送付された。週明け16日の参院本会議で趣旨説明及び質疑を行った上、同日中に憲法調査特別調査委員会での審議入りとなる見込みで、今国会での成立が濃厚となった。
低支持率に喘ぐ安倍内閣としては、5月3日の憲法記念日迄にこの法案を是が非でも成立させ、「自主憲法を成立させる可く、強い姿勢で臨む安倍」という事で国民のナショナリズムを刺激&自身の支持率アップに繋げ、ひいては今夏の参議院選挙を勝利に結び付けたいという下心が在るのは間違いないだろう。勿論、反対している野党の側にもこの法案を政争の具にしようとしている面が在る訳だが、国家の理念を謳い、他の全ての法規に優先される最高法規たる日本国憲法を改正する為の国民投票法が、こんな党利党略塗れの中で審議&成立されて良いものなのだろうか?
今回の与党修正案で重要なポイントとなるのは「国民投票の対象は憲法改正のみに限定。」、「投票権者は18歳以上の日本国民。(民法や公職選挙法等の成人規定や選挙権の年齢を18歳以上に改正する迄は、当面20歳以上とする事が付則。)」等幾つか在るが、自分が最も気になるのは「有効投票総数の過半数の賛成で日本国憲法改正案は成立。」という点。上記した日本国憲法第96条第1項での「過半数の賛成」というのは、”理想では”「全有権者数の過半数の賛成」という事になるのだが、現在1億人余居るとされる全有権者の意思を漏らす所無く吸い上げるというのは”現実的に”無理な話で在る以上、「有効投票総数の過半数の賛成」と規定されるのは理解出来る。だが問題なのは、投票率の縛りが無い事。
あくまでも”極端で非現実的な想定”では在るが、「特定宗教の信仰を国民に強いる条文」が盛り込まれた憲法改正案を与党が可決したとしよう。これを今回の修正案に基づいた国民投票にかけた際、もし投票者が1人で且つ賛成票だったとしたら、それは有効投票総数の過半数の賛成となる訳だ。非常に非現実的な想定では在るが、この場合は1億人余の有権者よりもたった一人の有権者の意思が最優先されるという事になる。
此処迄極端な例では無くても、低投票率が当たり前となってしまった国政選挙の如く、国民投票でも低投票率が人海戦術を採り得る特定組織(宗教団体等。)に利する結果と為り得るのではないか?「自分の投じる一票では、世の中何も変わらない。」としたり顔で棄権する人間が少なくない中、事が国家の理念を謳った憲法の改正だけに、投票率の縛りは必要だと思う。本当はそんな縛り等必要が無い程に、多くの国民が真剣に政治意識を持ち、棄権を恥と思う様な環境が在れば良いのだが・・・。
閑話休題。
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「日本国憲法」
【第9章 改正】
(第96条第1項) この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票に於いて、その過半数の賛成を必要とする。
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昨日行なわれた衆議院本会議で、日本国憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案が自民党及び公明党等の賛成多数で可決し、参議院に送付された。週明け16日の参院本会議で趣旨説明及び質疑を行った上、同日中に憲法調査特別調査委員会での審議入りとなる見込みで、今国会での成立が濃厚となった。
低支持率に喘ぐ安倍内閣としては、5月3日の憲法記念日迄にこの法案を是が非でも成立させ、「自主憲法を成立させる可く、強い姿勢で臨む安倍」という事で国民のナショナリズムを刺激&自身の支持率アップに繋げ、ひいては今夏の参議院選挙を勝利に結び付けたいという下心が在るのは間違いないだろう。勿論、反対している野党の側にもこの法案を政争の具にしようとしている面が在る訳だが、国家の理念を謳い、他の全ての法規に優先される最高法規たる日本国憲法を改正する為の国民投票法が、こんな党利党略塗れの中で審議&成立されて良いものなのだろうか?
今回の与党修正案で重要なポイントとなるのは「国民投票の対象は憲法改正のみに限定。」、「投票権者は18歳以上の日本国民。(民法や公職選挙法等の成人規定や選挙権の年齢を18歳以上に改正する迄は、当面20歳以上とする事が付則。)」等幾つか在るが、自分が最も気になるのは「有効投票総数の過半数の賛成で日本国憲法改正案は成立。」という点。上記した日本国憲法第96条第1項での「過半数の賛成」というのは、”理想では”「全有権者数の過半数の賛成」という事になるのだが、現在1億人余居るとされる全有権者の意思を漏らす所無く吸い上げるというのは”現実的に”無理な話で在る以上、「有効投票総数の過半数の賛成」と規定されるのは理解出来る。だが問題なのは、投票率の縛りが無い事。
あくまでも”極端で非現実的な想定”では在るが、「特定宗教の信仰を国民に強いる条文」が盛り込まれた憲法改正案を与党が可決したとしよう。これを今回の修正案に基づいた国民投票にかけた際、もし投票者が1人で且つ賛成票だったとしたら、それは有効投票総数の過半数の賛成となる訳だ。非常に非現実的な想定では在るが、この場合は1億人余の有権者よりもたった一人の有権者の意思が最優先されるという事になる。
此処迄極端な例では無くても、低投票率が当たり前となってしまった国政選挙の如く、国民投票でも低投票率が人海戦術を採り得る特定組織(宗教団体等。)に利する結果と為り得るのではないか?「自分の投じる一票では、世の中何も変わらない。」としたり顔で棄権する人間が少なくない中、事が国家の理念を謳った憲法の改正だけに、投票率の縛りは必要だと思う。本当はそんな縛り等必要が無い程に、多くの国民が真剣に政治意識を持ち、棄権を恥と思う様な環境が在れば良いのだが・・・。
ご指摘のように国民投票法に関する国会の議論は、改正を進めたい自民党と政局にしたい民主党執行部の思惑が露骨に出ていたと思います。また仰る通り低い投票率は投票行動の高い特定の団体や集団の意向が通りやすい状況になっており、ある意味危険な状態になっています。昔から税制などで一番ワリを食っているのは投票行動の低い階層だと思っていました。投票というものは即効性がないので一回の結果で大きな変化は期待できませんが、継続により多少なるとも変わっていくのではないかと思います。
実際のところわが国では民主主義が成熟しているようには思えず、それは却って為政者には都合がよいと思われます。投票は権利のみならず義務であるということが理解されないのであれば、やはり国民投票成立のための条件(投票率、あるいは一定の投票数を確保するため投票日を延長する等)を設けてしかるべきだと思います。
投票率が高いことは望ましいことは間違いないけど投票率が低いからといって民意を反映してないとはいえない。朝日新聞が低い投票率は民意を反映してないとよく言うけど。それは間違いです。
棄権した有権者は投票した有権者に負託したとみなすのです。そうしないと民主主義が成立しないのです。
記事でも書きましたが、日本国憲法は我が国の理念を謳い、他の全ての法規に最優先される最高法規なのですから、多くの国民がその改正には最大限の関心を持って欲しいと願っています。改正に対して慎重で在って欲しいというのでは無く、改正するならばするで真剣に考え抜いた上での各々の方向性を持って欲しいと。それは為政者やマスメディアの誘導に踊らされたものでは無く、自らの頭で考え抜いた上でのものというのは言う迄も在りません。
「仮に徴兵制や国家による思想統制が敷かれた場合、その影響を一番受けるのは、これからの人生が長い若い人達なのに、何故これ程迄に政治に無頓着なのだろうか?」自分もマヌケ様と同じ様な考えを持って”いました”。しかし最近では、その思いが揺らいで来ています。と言うのも、確かに某巨大掲示板での無分別な書き込みが目立つ一方で、若い人達のブログを拝見すると、自分が同年代(と思われる)の頃より遥かに真剣に世の中の事象を捉えている人が少なくない事に気付かされるんです。年代別の投票率というのが発表されているのか否かは知りませんが、意外と若い層の投票率は思っている以上に高く、逆に中高年の層が世の中の事象に無関心になってしまっているのかなあと思ったりも。
「我々の先人達がどれだけの努力を重ねて来た末に、一般国民が選挙権を有せられる様になったか?」その歴史を知っていれば、「自分が一票を投じた所で、世の中は何も変わらない。」なんてしたり顔で言えないと思うんです。くどい様ですが、我が国の理念を謳う重要な法律なのですから、その改正が投票で決められるならば、より多くの国民が自らの頭で考えた”意見”を投票という形で行なって貰いたいというのが自分の思いです。
個人的にも憲法改正には賛成です。
でも今までもいろんな解釈をしているところに
不安を感じています。
やはり選挙では、4年間を托せる代議士を
選択しないと危険かなと検めて思います。
憲法改正に付いてはドンドン議論す可きだと思うし、時代に合わなくなった部分は改正するのも在りだと思うんです。唯、改正に賛成or反対どちらの立場に在っても、相反する主張を詳細に知った上での議論で在って欲しいもの。概して「自分達の主張が唯一無二だ!」みたいな主張が目立ち、個人的には白けてしまう所です。
多くの国民が様々な媒体から積極的に情報を取り入れ、それを自らの頭で考えた上で己が考えを纏め上げる。そしてその考えを元に、真剣に相応しいと思われる候補者に票を投じる。そういった当たり前の事が当たり前に行なわれる社会で在って欲しいですよね。これは私見ですが、余りにも議員数が多いが為に、「こんな奴を当選させるのも面白いか。」的な安直な考えも起こってしまうのではないかと。定数を半分位に減じれば、もっと真面目に考えて投票する気がするのですが。
お気持ちはわかりますが、別の手が良いかと思います。
具体的には「国民の一人として、より多くの国民に投票するよう呼びかける」ことでしょう。
政治はなにも、政治家だけが行うものではありません。我々国民にもその権利があり、その権利公使について考えることが第一だと思います。
それと、所謂改憲派も護憲派も立派な憲法さえあれば明るい未来がある、と思っていませんかね?頭の中がお花畑で蝶々が舞っているのではないですか?
ヒトラー率いるナチスはワイマール憲法を一字一句いじってないのです。
更に言えば、我が国でも帝国憲法は機能していたし、国会も機能していたことを忘れてはいけないんじゃありませんか?