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「『戴きます。』に吃驚!?外国人が驚く日本の『食事に纏わる文化』」(11月17日、マイナビスチューデント)
初めて日本の「食事文化」に触れた外国人の方は、日本ならではのマナーや文化に唯々驚くそうです。有名なのは「麺料理を啜る事。」でしょう。海外の殆どの国でそういった食事方法が無い為に、饂飩や拉麺をズルズル食べている日本人の姿を見ると驚くそうです。今回は、外国人に聞いた「驚いた日本の食事文化」を御紹介します。
・「戴きます。」と「御馳走様。」
外国人が先ず「何其れ?」と思うのが、「戴きます。」と「御馳走様。」なんだそうです。日本人にとっては当たり前の作法ですが、海外ではこうした文化が無い為、困惑するそうです。
・「食器を持って食べる。」
全ての食器を持って食べる訳では在りませんが、例えば御飯茶碗等は、持ち上げて食事をしますよね。其の光景に驚くそうです。此れも、文化の違いですよね。
・「御酒を、自分で注が無い。」
日本には「御酌をする文化」が在るので、会食等では御互いに注ぎ合ったりしますよね。此れを「何で?」と思うそうです。特に外国人ビジネスマンが思うのだとか。
・「御酒を頼むと、頼んでいない料理も出て来る。」
此れは居酒屋の「突き出し」の事です。ビール等、御酒を頼むと出て来ますが、此の文化を知らないと、「頼んでないよ。」と思ってしまいますよね。不思議なシステムだと思う様です。
・「卵掛け御飯」
日本人には御馴染みの「卵掛け御飯」ですが、多くの国では衛生面を考慮して生卵を食べる事が無いので、驚くそうです。他にも「日本人は、色んな物を生で食べるのが凄い。」という意見も・・・。
・「御絞りが出て来る。」
飲食店に入った際、先ず「御絞りが出て来る。」事に驚く外国人が多く居ます。更に其れが季節によって「温かい」、「冷たい」が在る事も驚きなんだそうです。
飲食店で驚く事は、他にも「御水の御代わり」も挙げられました。又、「冷たい御茶や温かい御茶」がサーヴィスで出て来る事にも驚くのだとか。
・「食事を最後迄、残さず食べる。」
此れは、中国人から意見が在りました。中国では食事を残す事がマナーなので、其の違いに驚いたそうです。(中国では、両方主食。)
・「餃子が焼かれている。」
此方も、中国人からの意見。中国では水餃子が主流なので、焼き餃子許りの日本には驚いたとの事です。又、餃子で御飯を食べるというのも、中国では珍しい事なので、吃驚するそうです。
・「御店に、食材の産地迄書かれている。」
其の日に入荷した食材の産地が書かれたプレートが提示されている飲食店が在りますが、此れを見て「日本人は、此処迄遣るのか。」と驚くそうです。「日本人らしさ」が出ていると言えますよね。
外国人の方は初めて日本の食事文化に触れた際、こうした事で驚いたそうです。「戴きます。」と「御馳走様。」等、日本人には当たり前の事ですが、全く知らない人にとっては、驚く事許りの様ですね。
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「我々日本人にとっては当たり前の食事文化も、海外の人達からすると不思議に思う事が多い。」というのを、改めて認識させられた。
で、今回、此のニュースを取り上げたのは、「戴きます。」及び「御馳走様。」に付いて、記したい事が在ったので。先日読んだ小説「ヒトリコ」の中に、“息子が通う小学校に度々クレームを入れる母親”が登場する。所謂“クレーマー”だが、彼女がクレームを入れる内容に驚かされる。
中でも凄いのが、「給食費を払っているのだから、『戴きます。』や『御馳走様。』を息子に言わせるのはおかしい。」という物。「『戴きます。』や『御馳走様。』は、相手に媚び諂う言葉。給食費を払っているのだから、物乞いの様な言葉を使わせるのはおかしい。」という論理らしい。結構昔になるけれど、知り合いの小学校教師から、同じ経験の話を聞いた事も在る。
此方に詳しく書かれているが、「『戴きます。』は、『自分達が生きて行く為、食させて貰う動植物の“命”を戴かせて貰う事への感謝。』で在り、『御馳走様。』は、『客を迎える為、走り回って獲物を捕ってもて成してくれた命懸けの行為に対する感謝。』を元々は意味していた。」という説が在り、別に「恵んでくれて在り難う御座います。」いう媚び諂いの言葉では無い。
「給食費を払っているのだから、『戴きます。』や『御馳走様。』を息子に言わせるのはおかしい。」というのは難癖としか思えないのだけれど、最近は「自身のストレスを発散したいが為“だけ”に、こういった難癖付けに走る風潮が強まっている。」のは、何とも嘆かわしい事だ。
「いただきます」「ごちそうさま」は理屈ではなく、モノを食べる時に、素直に自然に出てくる言葉ではありませんか。
お金を払っている、いないは関係ありません。
私は、すし屋でもラーメン屋でも、お会計の時、「ごちそうさん」といってます。意識しないで、自然といってます。
キリスト教徒の国では「食事ができる事を神に感謝します」と、食事前にお祈りする場面を映画などで見かけますが、あの習慣と「戴きます」は感謝する相手は違えど共通するとも思います。
食器を手に持って食事するか卓に置いたままで食事するかの食事作法が、日本と朝鮮で全く逆のマナーになっているというのを知った時はビックリしました。
同じ黄色人種、モンゴロイド、お隣の国同士でも、こんなに文化が違うんですね。
お互いの文化の違いを認め尊重しあうのが平和の第一歩だと思いますが、これが結構難しそう。
文化は地域によって異なり、食文化も同様。狭い国土の日本でも、地域によって様々な食文化が在ります。なので、此の食文化は正しくて、彼の食文化は誤りと強いるのは御門違いなのですが、少なくとも日本人で在るならば、「戴きます。」や「御馳走様。」といった言葉を、普通に使って欲しいとは思います。
どんな糞不味い飲食店で在っても、自分は食す前及び食した後には、作り手に対する最低限の礼儀として、「戴きます。」や「御馳走様。」を言います。御金を支払っているか否かでは無く、其れが普通だと思っているからです。飲食店で言うか言わないかは個人の自由だけれど、少なくとも家庭や学校で食す場合は、“社会で生きる者としての最低儀礼”として、そういった言葉を口にして欲しい。
以前にも書いたのですが、今からもう20年近く前になるでしょうか、初めて仕事でマレーシアに滞在した際、現地の同僚と連日昼食を共にしました。最初に食事をした時、皆が普通に食事を指で摘まんで食べていたので吃驚。インテリと称される人々も、炒め飯等を指で摘まんで食べていたのですが、良く良く考えれば、其れが彼等の食文化。「フォームやナイフ、箸等を使って食べるのが普通。指で食べるなんて下品。」という思い上がりが、自分の中に在った訳で、非常に反省させられました。
上で雫石鉄也様宛てに書かせて貰ったのですが、地域によって食文化は様々で、そういった物を尊重するのは当然の事なのですが、少なくとも日本人で在るならば、感謝の意を込めて「戴きます。」や「御馳走様。」と普通に言って欲しいという思いは在ります。他者に対して感謝の念を持つというのは、結果的に平和な社会を構築する方向へと、人々を誘うと思うから。
逆に、日本が独自の文化を持っている、それを、列島という限られた領域と土地の中で、育てた事に関心が寄せられますね。食前、食後の挨拶は、自分は面倒くさいと思ってしまいますが、食卓や、食堂に居合わせた、他の人々と、同じ食を食べますよ、という、まじないのようにも思えますね。つまり、仏教然り、大衆から広まったマナーではないでしょうかね。大名や公家は食からして違うわけで。
以前、中国人の同僚が「中国人が、四足で食べない物はテーブルだけ、空飛ぶ物で食べないのは飛行機だけ。」と笑って話していました。大袈裟では在るけれど、食に貪欲で在る国民性からすると、我々日本人では考えられない様な物も食すというのは、確かに在りますね。