タイガースの赤星憲広選手が公式戦で成功した盗塁数に応じて、全国の施設等に車椅子を贈呈しているのは結構有名な話だが、その中の一台(自走式車椅子)がYahoo!オークションに出品されていたというニュースが昨日報じられていた。「赤星選手サイン入り車椅子『赤星号』」というタイトルで、コメント欄には「知人から譲り受けた物。新品未使用で、タイヤにカバーが付いています。勿論、非売品。様々な反響が予想されます。場合によっては早期終了や、出品取り止めをせざるを得ない場合も在ります。」と記され、「赤星選手の背番号『53』や『阪神タイガース赤星憲広 寄贈』と書かれたプレート、直筆とみられるサインが在る車椅子」が写った3枚の写真が添えられていたとか。20万円の開始価格だったが、これを目にしたファンからタイガースの公式サイトの掲示板に「酷過ぎる!」という抗議が殺到し大騒ぎに。取引額も「99億9,999万9,999円」という常識外の金額となった為、出品者が自主的に取り下げ、取引は成立しなかったそうだ。
「希少価値の在る物を高く売りたい。」という”欲”は判るが、それにしても人の善意を踏み躙るこの手の下衆さには、怒りを通り越して憐れみすら感じてしまう。人間として最低限持っているで在ろう品格すらも無いという事なのだろう。出品者も然る事乍ら、出品者に当該品を譲ったという人物も、単に金儲けの為だったとしたら同様に下衆。赤星選手は自身のサイトで、「非常に残念で、腹立たしい気持ちで一杯です。普通では考えられない、在り得ない。(中略)どの様な経緯で出品されたかは判りませんが、人としてする事じゃないですよ、許せません。」とその怒りを顕にしていたが、全く同感だし、赤星選手が気の毒でならない。
ジャイアンツの選手達がファン・サービスにと時間を割いて書いたサイン・ボールが、大量にオークションに出品されていたというニュースが以前在った。この場合も違法という訳では無いが、他者の善意&好意を踏み躙る遣り口で在る事は変わらず、溜め息が出るばかりだ。
閑話休題。先日の長崎市長選挙は、投開票日の僅か5日前に前市長が、暴漢に狙撃され命を落とすという異常な状況下で行われた。非常に注目度の高い選挙と見られていたが、蓋を開けてみれば投票率は55.14%で、前回の57・63%を下回る過去最低を記録した。不測の事態発生で、票を投じるに相応しい候補者が居なかったというのが在っただろうし、何よりも投票率が高ければ全て良しという訳では無いのだが、それでも己が地域の前首長がああいう形で殺害された直後の選挙が、この程度の投票率というのは個人的に残念に思った。
「自分が一票投じた所で、世の中は何も変わらない。」という白けた思いが、この国に蔓延しているのだろう。どういう考えを持とうがそれは個々人の勝手で在り、それを公然と非難する気も無いが、唯、「棄権をした人間は、世の中がどう動こうが文句を言う権利は無い。」とだけは言いたい。
我が国の投票率の低さが指摘される様になってかなりになるが、上には上が居る。「週刊新潮(4月26日号)」の「B級重大ニュース」というコラムに、「投票率0%」という記事が載っていた。これによると、ミズーリ州に在る人口300人の町で先日、町議会議員選挙が行われたのだが、或る選挙区の投票率が0%という結果に。候補者が1人しか居らず、住民の関心が薄かったという事も在るが、その候補者自身も投票日を忘れていて投票しなかったというのだから笑ってしまう。人口300人の町の、尚且つ”或る選挙区”という事で、実際の有権者数はどれ程だったのか興味の湧く所。母数が小さいとはいえ、投票率0%というのは或る意味凄い。
尚、隣の選挙区では投票数が僅か2票だったとか。それを考えると、先日の夕張市長選挙で2,988票を獲得した羽柴誠三秀吉大先生や、渋谷区長選挙で5,605票を獲得した宅八郎大先生等は凄いという事になるのか?
「希少価値の在る物を高く売りたい。」という”欲”は判るが、それにしても人の善意を踏み躙るこの手の下衆さには、怒りを通り越して憐れみすら感じてしまう。人間として最低限持っているで在ろう品格すらも無いという事なのだろう。出品者も然る事乍ら、出品者に当該品を譲ったという人物も、単に金儲けの為だったとしたら同様に下衆。赤星選手は自身のサイトで、「非常に残念で、腹立たしい気持ちで一杯です。普通では考えられない、在り得ない。(中略)どの様な経緯で出品されたかは判りませんが、人としてする事じゃないですよ、許せません。」とその怒りを顕にしていたが、全く同感だし、赤星選手が気の毒でならない。
ジャイアンツの選手達がファン・サービスにと時間を割いて書いたサイン・ボールが、大量にオークションに出品されていたというニュースが以前在った。この場合も違法という訳では無いが、他者の善意&好意を踏み躙る遣り口で在る事は変わらず、溜め息が出るばかりだ。
閑話休題。先日の長崎市長選挙は、投開票日の僅か5日前に前市長が、暴漢に狙撃され命を落とすという異常な状況下で行われた。非常に注目度の高い選挙と見られていたが、蓋を開けてみれば投票率は55.14%で、前回の57・63%を下回る過去最低を記録した。不測の事態発生で、票を投じるに相応しい候補者が居なかったというのが在っただろうし、何よりも投票率が高ければ全て良しという訳では無いのだが、それでも己が地域の前首長がああいう形で殺害された直後の選挙が、この程度の投票率というのは個人的に残念に思った。
「自分が一票投じた所で、世の中は何も変わらない。」という白けた思いが、この国に蔓延しているのだろう。どういう考えを持とうがそれは個々人の勝手で在り、それを公然と非難する気も無いが、唯、「棄権をした人間は、世の中がどう動こうが文句を言う権利は無い。」とだけは言いたい。
我が国の投票率の低さが指摘される様になってかなりになるが、上には上が居る。「週刊新潮(4月26日号)」の「B級重大ニュース」というコラムに、「投票率0%」という記事が載っていた。これによると、ミズーリ州に在る人口300人の町で先日、町議会議員選挙が行われたのだが、或る選挙区の投票率が0%という結果に。候補者が1人しか居らず、住民の関心が薄かったという事も在るが、その候補者自身も投票日を忘れていて投票しなかったというのだから笑ってしまう。人口300人の町の、尚且つ”或る選挙区”という事で、実際の有権者数はどれ程だったのか興味の湧く所。母数が小さいとはいえ、投票率0%というのは或る意味凄い。
尚、隣の選挙区では投票数が僅か2票だったとか。それを考えると、先日の夕張市長選挙で2,988票を獲得した羽柴誠三秀吉大先生や、渋谷区長選挙で5,605票を獲得した宅八郎大先生等は凄いという事になるのか?
選挙の度に色々考えさせられます。今回の東京都知事選&参院沖縄選挙区補欠選挙では、民主党候補及び同等が支援した候補に対して無根拠な誹謗&中傷が某巨大掲示板を中心に”組織的且つ集中的に”書かれ(貼られ)まくり、その数は約10万件にも上ったとか。マヌケ様も御指摘の通り、表向きにはネットを使った選挙活動が禁じられている一方で、裏側ではこういった無法状態が放置されているというのは妙なものです。他者から与えられた情報を、自らの頭で”咀嚼”する事無く妄信し、一気に一方向に流れてしまう人達が少なくない様な世の中に在って、こういう情報操作は怖い気がします。
長崎市長選挙では、前市長の女婿が急遽立候補したものの落選しました。敗因は様々取り上げられていますが、その中に「立候補を表明した会見の席で、当該候補者が妙にニタニタ笑っていた事が、有権者には不謹慎と思われて票が離れたのではないか?」というものが在りました。勿論、候補が掲げる政策を吟味して判断するというのが大事な訳ですが、感情の生き物たる人間にとってはFirst Impression(初対面での印象)が重要なのも事実なんですよね。
自分の様にブログでグダグダ文句を言っている奴に比べて、どういった意味合いで決断したにせよ実際に行動を起こした、即ち立候補を決めた人達に対してそれはそれでリスペクトの念を持つべきとは思っています。唯、通り過ぎるだけの選挙カーでの演説は未だしも、駅での演説で”中身の無い御喋り”だけしかしていない候補を見掛けると、正直腹立たしさを覚えます。うちの近所でも某候補が、「いってらっしゃいませー。○○です。」ばかりを駅前で連呼していました。そしてほんの一寸だけ政策もどきを口にしていましたが、それは「健全な子供達を育て、明るい未来を築きたい。」という何とかの一つ覚えの様なフレーズ。所謂マニフェストに書かれた政策もそんな類だったのですが、そんな子供でも口に出来る様なものはもう止めて欲しい。従業員が会社に提出する査定の為の「目標管理シート」に、そんな”夢”だけを書いたって受け取っては貰えないでしょう。「何時迄」に「何」を「どの様な形」で行い、「その財源は何処から持って来るのか」等を具体的に数値で書くのは当たり前の事。勿論、議員にならないと見えて来ない部分は在りますから、自分が今置かれた状況下で判る範囲で訴える形で良いと思うのですが、それすらも出来ない候補者が何と多い事か。そして残念ながら、そんな候補者でも当選してしまう国でも在るんですよね。これは自分を含め、民度が低いと言われてしまっても仕方ない事ですが・・・。
そこで、
「ボクは求められれば、出来るだけサインしました。
そのお陰で、オークションで値段ついてないですわ(苦笑)
それはともかく、交換するのはいいですけど
オークションに出すのはやめてほしいですね」
言うとおりですね。
車椅子の話はもってのほかです。
極端な不満がないという範囲ですが。
フセインのイラクや旧ソ連のように投票率100%、支持率も100%なんてのは少数意見も認めない専制的な政治で論外です。
あの宣伝カーに乗ってただ「ヨロシクお願いします」と連呼するような選挙はいかがなものでしょう?
欧米等ではまずありません。
選挙の告示日をなくし投票日だけ決めて毎日地道に政策を訴えていくべきです。
そうすれば投票率もおのずと上がります。
いかにも「年配が主な支持層」と考えている人たちの考えなんでしょうね。
その人たちは文字通り
「浮動票は寝ていて呉れればいい」と
思っているのでしょう。
個人的には、低投票率と一票の格差を解消する案として
「全国区のみ。○万票取った人全員当選」とすれば
いいと思ってます。
そうすれば各党こぞって投票促進活動をするでしょう。
勿論、無理ですけどね(笑)
選挙でいえば、全員が青島幸男みたいなやりかたをとることこそつまらんのではないですかね?選挙公報と政見放送のみで、海外旅行に行ってしまうとか。
ネット解放したらしたで、外山某みたいなのが増えるだけだと思います。