ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「20世紀の遺跡」

2006年11月01日 | 書籍関連
「遺跡」という言葉からは、ピラミッドマチュ・ピチュ万里の長城ポンペイといった太古の昔の物が、パッと頭に浮かぶのが普通ではなかろうか。しかし「20世紀の遺跡」という本の中で紹介されている”遺跡”は、そんな大昔の物では無い。「消滅した野球場の跡地」や「特撮に使われた現場」、「閉園した遊園地」等、現代人の原風景とも言える”現代遺跡”ばかりだ。

最近は昭和30年代~40年代の文化や様式が、人々の郷愁を呼び起こさせて流行となっている。そういった流行を充足させる内容なのだが、遺跡といっても中には「鮮魚商の売り口上」の様に姿形を伴っていないものも含まれている。まあ郷愁を呼び起こさせる、一寸昔の事柄を寄せ集めた本と言えばイメージが湧き易いかもしれない。

「万博遺跡」という項目では、以前書いた「フジパン・ロボット館」のロボット達の写真や”その後”が紹介されていて、個人的にはかなりツボだった。今も生き続けている「観光地のメダル」の項目もなかなか読ませる内容。

「失われた野球場」という項目では、初めて知った事実が2つ在った。嘗ては東京ドームジャイアンツファイターズが本拠地としていたが、何と東京ドームの前身で在る後楽園球場は、5つのプロ野球チームの本拠地となっていた時代が在ったというのだ。時は1953年で、「読売ジャイアンツ、大映スターズ毎日オリオンズ国鉄スワローズ、そして東急フライヤーズ」の5チームとの事。新チーム加盟の是非を巡って日本野球連盟に分裂したのが1949年なので、1953年の時点では「ジャイアンツ&スワローズ=セ・リーグ」、「スターズ、オリオンズ&フライヤーズ=パ・リーグ」という形になっていた訳だ。1つの球場を5チームが使用していたというのでは、さぞかしスケジュール調整が大変だったのではなかろうか。

もう1つの初めて知った事実は、高橋ユニオンズというチーム名に因んだ話。1954年にパ・リーグ8番目のチームとして発足した高橋ユニオンズは、「トンボユニオンズ(1955年)→高橋ユニオンズ(1956年)」といった様に毎年チーム名を変えた挙句、1957年に大映スターズと合併(チーム名は大映ユニオンズ。そして、その翌年の1958年には毎日オリオンズと再合併し、毎日大映オリオンズとチーム名を変える事となる。)してしまったチームで、「プロ野球ニュース」の司会者で”矢印の様な形の鼻をしていた”佐々木信也氏が新人選手として入団した”幻のチーム”としても有名。この高橋ユニオンズのチーム名は、何と当時のオーナー(高橋龍太郎氏)の苗字を付けたものだとか。今のプロ野球界では一寸考えられないネーミングだろう。”読売”ジャイアンツは未だ許せても、”ナベツネ”ジャイアンツなんてチーム名は絶対に嫌だ。

「特撮遺跡」という項目も良かった。「ウルトラQ」で一の谷博士の居所で在り、メインの舞台ともなった一の谷研究所は、都内の住宅地に戦前建てられた洋館(別情報によると場所は世田谷区成城で、何とあの山田耕筰氏も住んでいた家だとか。)で、既に人は住んでいないものの、建物だけ(門から建物迄の広大な庭部分は、宅地化されてしまっているとの事。)は現存しているそうだ。

仮面ライダー」では死神博士の基地や戦闘場所として、又「変身忍者 嵐」では西洋館として、そして「秘密戦隊ゴレンジャー」では敵の基地として使用されていたのは、昭和初期に明治天皇の像を設置する為に作られた「旧多摩聖蹟記念館」(東京都多摩市連光寺)。此処は多摩市有形文化財に指定されたのを機に、メンテナンスが施され、当時の怪しげな雰囲気は一掃されてしまったという。

ウルトラマン」ではバルタン星人に占拠され、「仮面ライダー」では主人公の本郷猛が通っていた城南大学(「仮面ライダーV3」の主人公・風見志郎等も通っていた。)、「妖星ゴラス」(この作品は流石に知らないのだが。)では宇宙センターとして、数多くの特撮の舞台になったのは「東京都立長沢浄水場」(神奈川県川崎市多摩区)で、此処も老朽化に伴う改装が行なわれ、昔のイメージとはやや異なってしまっているとの事。

国立京都国際会館」(京都府京都市左京区宝ヶ池)は「ウルトラセブン」の第14&15話「ウルトラ警備隊西へ(前編&後編)」の中で、「六甲の防衛センター」として使われていた。ウルトラ警備隊基地のトンネルを抜けて道を進むと、「六甲の防衛センター」が其処に存在しているという設定だったが、実際に撮影した「道=芦有道路」は六甲山を挟んで「芦屋」と「有馬」を結ぶ道路で、決して京都には辿り着かないのだとか。

小田急 御殿場ファミリーランド」という項目では、考えさせられる言葉が載っていた。この小田急御殿場ファミリーランドは1974年にオープンし、それから25年後の1999年9月5日に閉園している。翌年の2000年には、その跡地に巨大なアウトレット・モールの「御殿場プレミアム・アウトレットがオープンしているのだが、ファミリーランド時代に上方部に在った観覧車やアトラクションの一部は「御殿場スリルバレー」という名称の遊園地として健在と”書かれていた”。

其処を管理している所長が、嘗てのファミリーランド時代を回顧して語っていたのが次の言葉だ。

(入場者数が毎年減少して行く中、1995年が急増していたのは)何か新しい乗り物が入ったからですよ。でも、その年だけ。皆、直ぐ飽きるんですわ。良いですか。コースターの様な乗り物を一基作るのに、一体幾ら掛かると思いますか。20億ですよ。20億。それだけ金掛けても、たった1年で飽きられる。採算が取れる訳無いじゃないですか。

人間の欲望とは際限無き物。新しい物で満たされても、又直ぐにより満たされる新しい物を求めてしまう。結局はTDLUSJの様に莫大な費用を投入&設備投資し続けられる所が勝ち残り、それが出来ない中小の遊園地は消えて行ってしまうという事なのか。

この本が発行されたのは2002年2月25日と、今から4年半以上前だ。「御殿場スリルバレー」に関するサイトをリンクしようと検索した所、こちらの情報によると2002年5月6日、即ち「20世紀の遺跡」が発行された僅か2ヶ月一寸後に閉園したとの事だ。

嗚呼無常・・・。

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17 コメント

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怪人 (帆印)
2006-11-01 03:40:08
20面相が、未だにgiantsさんの心底に居るのがはっきりとわかるw
研究所ってさぁ、洋館のイメージしないかい?

でも、俺もそうなんだよなぁ

本郷辺りは、洋館であって欲しいと常々思うよ
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懐かしい。 (アラメイン伯)
2006-11-01 15:07:51
京都国際会議場に5年ほど前に仕事で行きました。
大人になってウルトラセブンと同じ舞台にたつとは思ってもみませんでした。

それと幼い頃、死神博士にそっくりな医者がおりまして
注射されるのかせ怖かった。
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妖星ゴラス!懐かしい (totorisu。)
2006-11-01 18:07:47
確か小学校の頃だったような、劇場でこの映画をみました。地球を動かすための噴射装置に点火されて成功した後、劇場内から拍手が湧き起こったのを覚えています。いったい私は何歳だあ!
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高橋ユニオンズ (ハムぞー)
2006-11-01 20:33:03
サッカーには「清水」エスパルスが・・・
違うって(笑)


で思い出した小噺・・・

横浜フリューゲルスがあった頃、
出資者の佐藤工業(ゼネコン)が曰く、
「チーム名にウチの社名を入れたい」
「Jリーグでは、そんなことは出来ませんよ」
「だって清水も鹿島もやってるじゃないか」
「・・・・・」
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夢のドリームです~ (おりがみ)
2006-11-01 23:19:45
横浜に「ドリームランド」っつー遊園地がありました。
もう書ききれないくらいの思い出があるんですが・・
取り壊されてゆく様は哀れでした。
跡地利用をめぐってこれまた紆余曲折。
・・・の末、なんと「硬式野球場」ができるんですよ!!
ワクワクするじゃーありませんか。

こんなこともあるのよ~と言うお話でした。
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タイガーセブンの歌が聞こえる♪ (まなぶ)
2006-11-02 01:12:07
giants-55さん、こんばんは~♪

いやぁ懐かしさに悲鳴をあげてしまいました(笑)

“鉄人タイガーセブン”

私の大好きなヒーローでした!
大きくなってから、ヒーローの話題になった時も、

“鉄人タイガーセブンって知ってる?”

“えっ、何それ?知らないよ・・・”

そんな会話がオチでしたので、
随分と肩身の狭い思いをして参りました(笑)

タイガーセブンは最後に敵に放つ必殺技(タイガーカッター)で、手袋をつけるのですが、
もうっ!何度も何度も1人で真似をしたものです!
母の炊事用のゴム手袋を使って(苦笑)
叱られても懲りずに真似してました。
こちらの記事をみなければ、思い出さなかったと思います。

ありがとうございました♪
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>totorisu。様 (giants-55)
2006-11-02 03:06:47
書き込み有難うございました。

「妖星ゴラス」を御存知でしたか。特撮物は昔から好きでしたし、結構マニアックな作品も見て来てはいたのですが、生憎この作品は全く知らないんです。レンタルされている様でしたら、見てみたいですね。

「劇場内から拍手が沸き起こった」という部分に、何とも言えない懐かしさを感じました。昔の映画館って、観客の感情がリアルに伝わって来ましたよね。今は面白い場面で一斉に笑ったりとかは在るのですが、作品の途中で拍手が起こるなんていうのは皆無に等しいですし。
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無邪気に喜ぶ少年時代 (マヌケ)
2006-11-02 09:29:47
妖星ゴラスというタイトルは知りませんでしたが、確か地球との衝突を避けるために巨大な噴射装置を建造して地球を動かすというやつだったですよね。 びっくり仰天の発想ですが、手に汗握って見た記憶があります。 子供ながらありえね~って思ったものです。太陽系の惑星間の重力バランスとかあるので地球だけ動いちゃったらまずいだろうと先生からも言われました。 そういえば冥王星は惑星でなくなったんですよね。 小学生のころ初めて劇場で見た映画がサンダ対ガイラ劇場でした。 それからガメラシリーズはかかさず見ていました。 そのころの映画館はトイレが汚くて暗くてシートも電車のシートみたいで座り心地のよくない狭いシートだったと思います。 ガメラが火炎放射するシーンや回転しながら飛ぶ(ありえね~)シーンではやはり劇場内で拍手や歓声が上がりました。
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>マヌケ様 (giants-55)
2006-11-02 10:49:10
書き込み有難うございました。

昔の映画館って、「御客様に映画を観に来て戴く。」というよりも「客に映画を見せてやる。」という潜在的な思いが在った様に思います。ですから映画さえ上映すればOKという感じで、其処に快適さを求めるのは難しかったですよね。

今は本当に綺麗になったし、売られている飲食物も御洒落なものが増えました。願わくはもう少し安くして欲しいのですが。
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Unknown (tak)
2006-11-02 10:55:19
えっ、「ウルトラ警備隊西へ」で芦有道路が
使われていたんですか!
あの道そんなに歴史があったんですね。
わりとよく通る道です。(有料で高いけど。。^^;)
こりゃチェックしなきゃ!

ところでイナズマン~懐かしい~ヽ(´ー` )y-゜゜
サナギマンからぁ~イナズマン~♪
子門真人が絶叫してましたね!
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