ジャーナリストの池上彰氏は、幾つかの大学で教鞭を執る身でも在る。東京工業大学リベラル・アーツ・センターでは教授として学生達に講義を行っており、先日読了した「この日本で生きる君が知っておくべき『戦後史の学び方』 池上彰教授の東工大講義[日本編]」は、彼が実際に東工大の学生達を前にして行った講義を文章化した物。
「学生時代に受けた日本史の授業では、結局、第二次世界大戦辺り迄しか教わらなかった。」という人は、結構多いと思う。斯く言う自分もそうだったが、「旧石器時代に始まり、順を追って授業を行うも、規定授業数内では、第二次世界大戦辺り迄で時間切れになってしまった。」というのも在るが、(少なくとも自分が大学受験をした頃は)「第二次世界大戦以降の歴史に関しては、“歴史的な評価”が定まっておらず、故に試験に出題される事が少なかったので、『教える必要が無い。』という雰囲気が在った。」のも、理由として挙げられるだろう。
上記の理由から、少なからずの日本人の頭の中には「戦後史の空白」が存在する。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」という有名な言葉が在るけれど、「戦後史の空白」が在る事で、「歴史に学ぶ事が出来ない日本人が居る。」とも言える。「日本の未来を背負って立つ若い人達に、『敗戦から高度成長に到った訳』や『学校では教えない日教組に付いて』、『アベノミクスとバブルの教訓』等、戦後史を教える事で、広い視野を持って欲しい。」というのが、池上氏の思いなのだろう。
「テレヴィ・ゲームの様にミサイルが命中する映像が公開されていた湾岸戦争を、アメリカでは『ニンテンドー・ウォー』とも呼んでいた。」という記述には、「そうそう、そうだったなあ。」と。そんなに昔の話では無い様に感じているのだが、其れでも開戦はもう23年も前の事。今の大学生にとっては、リアル・タイムでは知らない“歴史の話”となっている事だろう。況してや「多摩川が『死の川』、田子の浦が『死の海』と呼ばれ、四大公害病が社会問題化していた1950年代後半から1970年代。」なんていうのは、彼等にとって江戸時代の事柄と接するのと同じ感覚になるのかもしれない。
「池上氏の様に説明が上手い先生だったら、授業も楽しかったろうな。」と思い乍ら、頁を捲る。自分がリアル・タイムで見聞して来た事柄でも、文章を読んで初めて知る事実が在ったり、改めて頭の中が整理出来たりと、非常に有益な内容だったのだが、1点気になったのは「子供銀行」なる存在。記されていた説明は、次の通り。
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子供銀行:大蔵省と文部省の通達により開始。学校内で子供自身が窓口となって現金を受け取り、記帳して、銀行員が引き取りに来るシステム。平成16年に廃止。
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「企業が新たな設備投資等投資を拡大する為には、金融機関からの融資が必要ですが、銀行預金が少なくては、企業に資金を貸し出すのに支障が出ます。其処で、国民に貯蓄の呼び掛けを行います。既に1948年から『子供銀行』の制度が始まり、子供達は学校で『子供銀行』の口座を開く事が出来ました。子供の頃から『小遣いを貰ったら預金する。』という習慣の刷り込みを行ったのです。」と池上氏は、「子供銀行」という制度が始まった理由を説明している。
「1948年から始まり、2004年(平成16年)に廃止された制度。」という事ならば、自分の小学校時代も、此の期間に含まれている。そう言われてみれば、「子供銀行」なる用語を目にした事は在るけれど、でも自分の周りでそういった制度が実際に存在していた事は無い。だから、「学校内で子供自身が窓口となって現金を受け取り、記帳して、銀行員が引き取りに来るシステム。」というのも、今回初めて知った。
気になってネットで検索してみた所、「元祖御金入門? 子供銀行を知っていますか」(2008年6月27日、Excite Bit コネタ)という記事を発見。
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「元祖御金入門? 子供銀行を知っていますか」
村上ファンドの村上世彰氏やライブドアの堀江社長の影響も在って、近頃では株取引をする小学生も珍しくない時代。小学館の「小学六年生」の11月号特集は「小6から始める御金入門」。何だか凄い時代になったなぁと思って、色々調べてみた所、実は御金に纏わる教育というのは、可成り昔から行なわれていたので在る。
思い起こせばン十年前、小学生だった頃、学校には「子供銀行」と称する物が在った。此れは毎月決まった日に、金融機関の人が学校に遣って来て、学校内で御金の預け入れや引き出しが出来るという物。私の学校では、「銀行係」というのが在って、高学年の人達が実際の金融機関の窓口と同じ様に御金の出し入れをしていた。通帳は勿論本物で、実際の金融機関でも使える物だ。
当時は、子供だったので平気で10円、20円なんて金額を貯金して、良い気になっていた。物価を考慮しても10円の貯金ってのはどうなのか、という感じだが、私としては御金の遣り取りが楽しくて、唯毎月参加していた。今の小学生だったら絶対恥ずかしくて、学校に10円持って行って貯金は出来ないだろう。
全国銀行協会によると、子供銀行は昭和23年に当時の大蔵省(現在の金融庁)と文部省(現在の文部科学省)の通達による物で、金融の仕組みを教え、子供の頃から貯蓄を身に付けさせ様という教育の一環として、金融機関の協力を元に行なわれて来た物だと言う。積極的に活動をしている学校には、優良子供銀行として表彰する制度も在った。昭和32年には、福島県で5校が大蔵大臣表彰、更に12校が知事表彰を受け、県下の預金残高は、3億2,000万円にも上ったという記録が在る。
最近でも、子供銀行が存在するのか金融庁に問合せた所、運用指針は平成16年5月に改訂され、廃止になったとの事。金融庁の相談室の担当の方の話では、低金利等の影響も在り、コストの面で金融機関の負担が大きい事も指針廃止の背景には在ると言う。
「指針が廃止されても、継続して続けている学校は在るかもしれません。でも、子供銀行の運営は、学校に出向く人件費、子供に渡すノヴェルティー等、金融機関の持ち出しとなる場合が多く、協力戴いている金融機関の方々の負担が大きくなっているというのは事実です。」。
子供銀行は、貯蓄に重きを置いた物だったが、此れからの金銭教育は御金を増やす投資、無駄遣いをしない、悪徳商法に騙されない等、金銭トラブルに巻き込まれない為の知識も必要と、金融庁では新たな教育方法を模索していると言う。
少し前迄は、日本は1人当たりの貯蓄高が多い国だったが、金融庁が今月発表した「家計の金融資産に関する世論調査」では「貯蓄を保有していない」世帯が22.8%も。子供銀行の衰退と共に、貯蓄の保有率が減ったとは思わないけれど、一寸複雑な気分です。
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「1人が持ち寄る金額が10円や20円で在ったとしても、大勢が参加すれば、其の預金額は“億単位”になるのだなあ。」と思いつつ、此の記事のタイトルに「子供銀行を知っていますか」と記されている事からも、「知らない人も結構居るだろうな。」と記者は思って書いた事が判る。今回の記事を読まれた中で、「自分は子供銀行に参加した経験が在る。」という方は、何れ程居られるのか気になる所だ。
マヌケ様は「子供銀行」の経験者でしたか。「備え在れば、憂い無し。」という言葉も在りますし、貯蓄其の物は悪い事では無いし、其の大事さを教えるのも在りだとは思うのですが、「愛国心」等と同じで、「他者から強いられるべき物では無い。」というのは在りますね。
以前書いたのですが、子供の頃の自分は親から、本に関しては比較的自由に与えられていましたが、食べ物や玩具に関してはそうで無かった。だから、クラスメートが食べている御菓子や遊んでいる玩具が羨ましくてならなかった。そういう物に対する“飢餓感”みたいなのは在りましたし、大人になってから大人買いと迄は言わないけれど、昔買って貰えなかった物を買うという事も在りました。
でも、買って貰えなかったからこそ、自分自身で買う事の喜びと、そして「一生懸命働いたからこそ、購入出来た。」という充実感も味わえた。子供の頃、何でも彼んでも買い与えられていたら、そういう気持ちは起こらなかったでしょうね。
「子供に投資を教えるべき。」という風潮は、「過度な性教育」と同様に、自分も抵抗を覚えます。
今の時代は給食費や修学旅行代をわざと払わず踏み倒す親が居るから子供銀行に一円でも預けるのを嫌がるでしょうね(今の御時世だと銀行にお金を預ける事が出来る子と出来ない子の間に差別(預ける金額の大小も含む)が起こったらどうするんだ!と学校に怒鳴り込む親や団体が現れるかも?)
そう言えば昔は金持ちの大人用に愛人バンクと言う銀行も有りましたね
関係無い話ですまんこです
透明人間様も、子供銀行の経験者でしたか。小学生時代、学校内で毎月、学研の科学と学習を売りに来ていました。自分の場合は両誌とも購入して貰っていましたが、買えない子の気持ちを思うと、、“残酷な制度”でも在りますよね。
愛人バンク・・・在りましたねえ。「夕ぐれ族」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E3%81%90%E3%82%8C%E6%97%8F)を運営していた筒見待子女史なんて、或る意味では時の人でも在りましたしね。愛人バンクとは無関係ですが、もっと遡れば、「中ピ連」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/962f98c007ca2b410c03e337c3c7f7d6)なんていう団体も在りました。ピンクのヘルメットを被って街頭演説していた代表の榎美沙子女史も、健在なら今年で68歳になるんですね。