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「B.B.クイーンズが19年振り再始動 結成20周年で初ライブ決定」(2月24日、オリコン)
1990年に大ブームとなったテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」(フジテレビ系)【動画】のエンディング・テーマ「おどるポンポコリン」【動画】等をヒットさせた音楽グループ「B.B.クイーンズ」が、結成20周年を機に期間限定で再始動する事が24日迄に判った。其の御披露目が4月29日・30日の両日、仙台・荒吐ロックフェスティバルで行われる。B.B.クイーンズのライブは結成以来、初めて。同フェスの出演後には、CDリリース等も予定している。
1992年に活動休止したB.B.クイーンズが近藤房之助(ヴォーカル&ギター)、坪倉唯子(ヴォーカル)、宇徳敬子(ヴォーカル&コーラス)、増崎孝司(ギター)の4人で19年振りに再始動する。
近藤は「此のグループでしか出来ない事が在ると思うので、楽しみにしていて下さい。でも再始動の本当の理由はね、“銭が無くなった。”から。あっ、此処は、カットね(笑)。」とユーモアたっぷりにコメント。坪倉は「皆さんと御祭り騒ぎして楽しみたいと思います。」、宇徳も「B.B.クイーンズは私の音楽活動の原点なので、こうして再始動に参加出来るのは光栄。家族皆で聴ける様な音楽を楽しんで歌って行ければと思います。」と意気込む。
B.B.クイーンズは8人組音楽グループとして1990年4月に「おどるポンポコリン」(累積売上164.4万枚)でデビューし同年のNHK紅白歌合戦【動画】に出場。同曲の他、「はじめてのおつかい」のテーマソング「ドレミファだいじょーぶ」【曲】でも御馴染み。1991年にはコーラス担当の宇徳等3人がMi-Keを結成し、デビュー曲「想い出の九十九里浜」【動画】(1991年2月発売・累積売上48.0万枚)がヒットした。
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1986年12月から1991年2月迄の4年3ヶ月、我が国は未曾有の大好況に沸いていた。金銭を湯水の様に使う人間が巷には溢れ、高騰し続ける地価を受けて「山手線内側の土地を売り払えば、其の金銭でアメリカ全土を買い占められるぞ!」と豪語する者も居た時代。所謂「バブル景気」の時代で在る。
「金銭が在り余っている。」という事を誇示する為だけに料理に金箔を振り掛けて食す人を目にして、「こんな傲慢で罰当たりな人が出て来る様では、早晩日本の景気はガタガタになるだろうなあ。」という不安を感じていたものの、そんな自分ですら若造の分際で会社からタクシー券を貰い、結構使用していたのだから人の事をどうこう言えない。
バブル景気が燃え尽きる少々前、B.B.クイーンズは登場した。奇妙奇天烈なコスチュームを着用したメンバー達が、意味不明な歌詞を元気に歌い上げたのが「おどるポンポコリン」で、上記の如く此の曲は爆発的なヒットを記録する事に。Mi-Keの「想い出の九十九里浜」と共に「おどるポンポコリン」は、当時仕事を終えて同僚達とカラオケに行く(毎週末行っていた事も。)と皆で歌う曲でも在った。
「意味不明な歌詞なのだけれど、何か元気が出る曲。」というのが「おどるポンポコリン」で、彼の頃は老若男女を問わず多くの人が口遊んでいたっけ。誰もが知っている曲という意味では、此の「おどるポンポコリン」が最後と言って良いかもしれない。
余りに長く不景気風に晒され続け、自信と元気さを失い勝ちな我々日本人。「家族皆で聞け、御祭り騒ぎ出来る曲」を引っ提げたB.B.クイーンズが、彼の底抜けの明るさで歌ってくれるというのは、時代の要請なのかもしれない。
「B.B.クイーンズが19年振り再始動 結成20周年で初ライブ決定」(2月24日、オリコン)
1990年に大ブームとなったテレビアニメ「ちびまる子ちゃん」(フジテレビ系)【動画】のエンディング・テーマ「おどるポンポコリン」【動画】等をヒットさせた音楽グループ「B.B.クイーンズ」が、結成20周年を機に期間限定で再始動する事が24日迄に判った。其の御披露目が4月29日・30日の両日、仙台・荒吐ロックフェスティバルで行われる。B.B.クイーンズのライブは結成以来、初めて。同フェスの出演後には、CDリリース等も予定している。
1992年に活動休止したB.B.クイーンズが近藤房之助(ヴォーカル&ギター)、坪倉唯子(ヴォーカル)、宇徳敬子(ヴォーカル&コーラス)、増崎孝司(ギター)の4人で19年振りに再始動する。
近藤は「此のグループでしか出来ない事が在ると思うので、楽しみにしていて下さい。でも再始動の本当の理由はね、“銭が無くなった。”から。あっ、此処は、カットね(笑)。」とユーモアたっぷりにコメント。坪倉は「皆さんと御祭り騒ぎして楽しみたいと思います。」、宇徳も「B.B.クイーンズは私の音楽活動の原点なので、こうして再始動に参加出来るのは光栄。家族皆で聴ける様な音楽を楽しんで歌って行ければと思います。」と意気込む。
B.B.クイーンズは8人組音楽グループとして1990年4月に「おどるポンポコリン」(累積売上164.4万枚)でデビューし同年のNHK紅白歌合戦【動画】に出場。同曲の他、「はじめてのおつかい」のテーマソング「ドレミファだいじょーぶ」【曲】でも御馴染み。1991年にはコーラス担当の宇徳等3人がMi-Keを結成し、デビュー曲「想い出の九十九里浜」【動画】(1991年2月発売・累積売上48.0万枚)がヒットした。
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1986年12月から1991年2月迄の4年3ヶ月、我が国は未曾有の大好況に沸いていた。金銭を湯水の様に使う人間が巷には溢れ、高騰し続ける地価を受けて「山手線内側の土地を売り払えば、其の金銭でアメリカ全土を買い占められるぞ!」と豪語する者も居た時代。所謂「バブル景気」の時代で在る。
「金銭が在り余っている。」という事を誇示する為だけに料理に金箔を振り掛けて食す人を目にして、「こんな傲慢で罰当たりな人が出て来る様では、早晩日本の景気はガタガタになるだろうなあ。」という不安を感じていたものの、そんな自分ですら若造の分際で会社からタクシー券を貰い、結構使用していたのだから人の事をどうこう言えない。
バブル景気が燃え尽きる少々前、B.B.クイーンズは登場した。奇妙奇天烈なコスチュームを着用したメンバー達が、意味不明な歌詞を元気に歌い上げたのが「おどるポンポコリン」で、上記の如く此の曲は爆発的なヒットを記録する事に。Mi-Keの「想い出の九十九里浜」と共に「おどるポンポコリン」は、当時仕事を終えて同僚達とカラオケに行く(毎週末行っていた事も。)と皆で歌う曲でも在った。
「意味不明な歌詞なのだけれど、何か元気が出る曲。」というのが「おどるポンポコリン」で、彼の頃は老若男女を問わず多くの人が口遊んでいたっけ。誰もが知っている曲という意味では、此の「おどるポンポコリン」が最後と言って良いかもしれない。
余りに長く不景気風に晒され続け、自信と元気さを失い勝ちな我々日本人。「家族皆で聞け、御祭り騒ぎ出来る曲」を引っ提げたB.B.クイーンズが、彼の底抜けの明るさで歌ってくれるというのは、時代の要請なのかもしれない。