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昭和33年、滋賀県の或る町で生まれた柏木イク(かしわぎ いく)。嬰児の頃より、色々な人に預けられていたイクが、両親と初めて同居をする様になったのは、風呂も便所も蛇口も無い家だった。
理不尽な事で割れた様に怒鳴り散らす父親、娘が犬に激しく咬まれた事を見て奇妙に笑う母親。其れでもイクは、淡々と、生きて行く。
軈て大学に進学する為上京し、余所の家の貸間に住む様になったイクは、沢山の家族の事情を、目の当たりにして行く。
そして平成19年。49歳、親の介護に東京と滋賀を行ったり来たりする中で、イクが、染み染みと感じた事は。
1人の女性の45年余の歳月から拾い上げた写真の様に、昭和から平成へ日々が移ろう。一寸嬉しい事、凄く哀しい事、小さな出来事の傍に、そっと居る犬と猫。
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第150回(2013年下半期)直木賞を受賞した小説「昭和の犬」。著者の姫野カオルコさんは、其れ迄に4度も自身の作品が直木賞候補に選ばれるも、悉く落選。「無冠の女王」とも呼ばれていたそうだが、5回目に候補となった「昭和の犬」にて見事受賞。
主人公の柏木イクは昭和33年生まれという設定で、此れは姫野さん自身と同じ。自身の半生を描いたというのでは無いのかもしれないが、“同じ時間を生きた者”としてのリアリティーさを、行間から感じる。
昭和30年代から平成20年迄の時代を、「イク」と「犬」、そして「猫」というのを軸にして描いているのだが、独特な言い回しが余りに多く、又、其れが執拗に用いられているものだから、正直読むのがしんどい。速読派の自分にしては、読了迄結構な時間が掛かったのも、偏に其れが原因。
唯、全体の3分の2を読み終えた辺りから、ストーリーの中に感情移入出来る様になったのは、良くも悪くも「昭和の香り」に誘引されたからかもしれない。記されている当時の世相に懐かしさ等を感じ、又、今よりも格段と強かったで在ろう「田舎の柵」や「無根拠な偏見」といった物に辟易とした思いを持ちつつも。
「肉は高いのですき焼きに、山で取って来た松茸を沢山入れて量増しする。」といった記述が在る。両親や祖父母から「昔は、松茸なんて幾らでも食べられた。一寸した山に行けば沢山取れたので、高価でも何でも無かったから。」という話を何度か聞かされたが、こういうのは時代を感じる話だ。
今よりもずっと欧米文化に対する憧憬の念が強かった昭和40年代、子供達の間で人気を博した“アメリカ産”のアニメ「トムとジェリー」【動画】に付いても触れられている。猫のトムと鼠のジェリーが繰り広げるドタバタ喜劇だが、当時、見ていた殆どは「小さくて、愛らしいジェリー。」を贔屓にしていたと思う。でもイクは、「ジェリーは盗み食いや失敗や悪戯を、全部トムの所為にししている。其の事でトムは、飼い主等から小っ酷く怒られたりしているのだから可哀想。ジェリーは、何と忌々しい事か。」と、一般とは違った見方をしているのが面白い。
此の時代を生きて来た自分にとっては、“普通に理解出来る言い回しや用語”にも、幾つか欄外に注釈が付いていた。「夏目漱石やら森鴎外やらの小説にも、こういった注釈が結構付いているけれど、自分が生きて来た『昭和』の時代の物事にも、こうやって注釈が付けられる時代になってるんだなあ。」という感慨が。
ネット上の書評を見ると、「昭和の犬」に対する評価は「良いor悪い」がハッキリ分れている。「そうだろうなあ。」と、自分も思う。上記した様に独特な言い回しが多用されて事も在り、読むのにしんどさを感じる人も居るだろうから。又、昭和という時代を知らない若い世代にとっては、“伝わり難い部分”も在るに違い無い。
自分も積極的に「良い!」と言える作品では無いが、不思議と“心に何かが残る作品”で、総合評価は星3.5個とする。