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「ネットで激論、不祥事?親心?・・・急病の娘を搬送」(2月27日、ZAKZAK)
「娘の意識が無い!」。妻の悲痛な叫びを電話で聞いた定年間近の救急隊長が、救急車で管轄外の自宅に向かい、娘を病院に搬送した。当直指令の許可は受けていたが、消防本部は職務規定違反とし、免職に次いで重い停職6カ月の懲戒処分を下した。この判断を巡り市当局には賛否両論多数の意見が寄せられ、インターネット上でも激しい議論が続いている。
神奈川県藤沢市消防本部によると、南消防署苅田出張所所属の救急隊長(59歳)は先月19日夕、約3キロ離れた隣接する茅ヶ崎市の自宅の妻から、持病を持つ20代の二女の急変を知らされた。
当直主幹の許可を得て、隊員2人を乗せサイレンを鳴らし自宅へ急行。約3分で到着し、意識が無くなった二女を搬送、10分後に病院に到着した。所属救急車は1台だったが、6時35分に出張所へ戻る迄出動指令は無かった。
この行為に市消防本部は、地方公務員法の「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務」違反、「信用失墜行為」に該当すると判断。市の懲戒規定に従い隊長を停職6カ月(実際は3月末退職迄の42日)、許可した主幹を戒告とした。だが、これに普段は公務員の不祥事に厳しいネットユーザーが反応した。
「他の救急要請をほったらかしにしたのなら非難も在るだろうが、これは家族でなくとも出動すべき事例だ。」、「自分がその立場に置かれたらどうするかを考えろ。」、「厳重注意の上罰則は仕方無いが、定年間近に6月の停職は重過ぎ。」。
逆に「1台しかない救急車を私的利用。同僚も公務を放棄して同乗し、管轄外の地区に出向いた。処分は当然。」、「普通に119番した方がどう考えても早い。プロ中のプロが娘のみならず、藤沢市民をも命の危険に晒したという、希に見る不祥事。」と処分容認派も登場、議論は今も続いている。藤沢市にも、同様の意見が多数寄せられているという。
思わぬ騒動に直面した藤沢市消防本部総務課は、処分の決断に付いて次の様に説明する。「日本の救急は全て、生命の危険に晒された患者さんの為1分1秒に命を懸けています。指令の『出動許可』は『出動命令』では在りませんし、(隊長の自宅が在る)茅ケ崎市にも消防本部がしっかり組織されています。当市として救急活動を行うケースでも在りませんでした。」。
更に「処分の重さは何とも申し上げられませんが、違反は違反。通常通り通報するのが最も早い手順。(隊長は妻に)冷静に『先ずは119番しろ。』と指示するべきでした。」(総務課)。
別の市幹部は定年目前の大ベテランに重大な処分を下すに当たり、相当な葛藤が在った事を明かす。「隊長はこれ迄処分歴も無く、40年以上も真面目に奉職して来ました。その最後の最後を停職で終わらせるのは何ともねぇ。職員の間でも未だに賛否が渦巻いてますよ。人間は機械じゃないんだし、こういう人より先に処分すべき公務員は、全国にもっと大勢居ると思いますけどね・・・。」
救急隊長は「動揺していた。救急のプロとして迷惑を掛け、本当に申し訳無い。」と反省し、処分が決定した今月19日付で依願退職した。
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藤沢市消防本部の下した処分に付いて、皆様はどう思われるだろうか?“一人の人間として”このケースを考えると、救急隊長の採った行動が理解出来なくは無い。「意識が無くなった身内を、一刻も早く病院に搬送したい。」という気持ちは、自身に置き換えたら非常に良く判るからだ。「受け容れてくれる病院が無く、何軒も盥回しにされた挙句に患者が死亡してしまった。」というニュースがここ最近続いたので、「身内が乗り込んでいる救急車ならば、ごり押ししてでも受け容れ先を確保出来るだろう。」という思いが救急隊長及びその妻に在ったのかもしれない。この思いも理解出来る。
だがしかし“情”を離れて“理”で今回のケースを総合判断すると、藤沢市消防本部の下した処分は適切だったと考える。「二女が救急車で搬送」という点に付いては、「彼女の意識が無かった」という事から適切だったと思うが、やはり「管轄外」からの出動というのはまずいだろう。管轄外からの出動自体が悪いと言っているのでは無い。管轄内の救急車が出払っている場合等、特例で対応すべき状況も当然在るからだ。「では今回のケースが果たしてそういう状況だったか?」となると、例え管轄外の南消防署苅田出張所が管轄内の茅ヶ崎市よりも(二女の居る)自宅に近かった“としても”、先ずはきちんと119番通報して管轄内での対応を求めるべきだったと思う。
今回、二女を搬送中に南消防署苅田出張所に出動指令は無かったというが、これはあくまでも結果オーライと言える。同所に救急車が1台しか配置されていなかった以上、もし“管轄内”に救急患者が発生して後回しにされて結果的に不幸な事態を招いた“としたら”、その身内はさぞかし遣り切れない事だろう。
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蜀の国の天才軍師・諸葛亮孔明は、その類い無い才能から馬謖という武将を非常に可愛がり、自身の後継者にと迄考えていた。しかし街亭の戦いに於いて馬謖が自らの才能に溺れてしまい、孔明からの厳命に背いた策を独断で採り、結果的に蜀軍は大敗を喫してしまう。他の武将達から「彼は有能な武将なので、是非許してやって欲しい。」と助命嘆願が為されるも、「『一寸した軍律違反だから。』とそれを軽視して許していれば、軍の中に何時しか緩みが生じ、その事で国が滅びる事も在るのだ。」として馬謖の処刑を命じる。可愛がっていた馬謖が処刑された際、孔明は涙を流し続け、馬謖の遺族には手厚い保護が為されたという。
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「三国志」の逸話から生まれた有名な故事成語「涙を揮って馬謖を斬る」の元で在る。「馬謖は死なせるには余りにも惜しい武将。」と処刑の慰留を図る武将達に対して、孔明が「その私情こそ判断を誤らせる一番の罪だ。馬謖の犯した罪は寧ろそれより軽い。惜しむべき程の者なればこそ、尚断じて斬って軍律を正さなければならない。本当の罪は余の不明に在るのだ。」と答えたとも。
これ迄真面目に勤め上げて来たという救急隊長。定年間近での厳罰処分は、確かに気の毒では在る。だが、救急車をタクシー代わりに利用している様な者に対して、各自治体が厳しい姿勢で臨んで行こうとしている状況に在っては、身内の規則違反に厳罰を下すというのは間違っていないと思う。例え軽微な事柄で在ったとしても、其処から組織に緩みが生じて行く可能性はゼロでは無い。停職期間が“実質”42日間だったというのは、消防隊長に対する温情だったとも言えるだろうし。
この手の情と理が鬩ぎ合う問題は、それをどう捉えるか非常に難しいもの。「こういう人より先に処分すべき公務員は、全国にもっと大勢居ると思いますけどね・・・。」という職員の声が首肯出来るだけに余計に・・・。
「ネットで激論、不祥事?親心?・・・急病の娘を搬送」(2月27日、ZAKZAK)
「娘の意識が無い!」。妻の悲痛な叫びを電話で聞いた定年間近の救急隊長が、救急車で管轄外の自宅に向かい、娘を病院に搬送した。当直指令の許可は受けていたが、消防本部は職務規定違反とし、免職に次いで重い停職6カ月の懲戒処分を下した。この判断を巡り市当局には賛否両論多数の意見が寄せられ、インターネット上でも激しい議論が続いている。
神奈川県藤沢市消防本部によると、南消防署苅田出張所所属の救急隊長(59歳)は先月19日夕、約3キロ離れた隣接する茅ヶ崎市の自宅の妻から、持病を持つ20代の二女の急変を知らされた。
当直主幹の許可を得て、隊員2人を乗せサイレンを鳴らし自宅へ急行。約3分で到着し、意識が無くなった二女を搬送、10分後に病院に到着した。所属救急車は1台だったが、6時35分に出張所へ戻る迄出動指令は無かった。
この行為に市消防本部は、地方公務員法の「法令等及び上司の職務上の命令に従う義務」違反、「信用失墜行為」に該当すると判断。市の懲戒規定に従い隊長を停職6カ月(実際は3月末退職迄の42日)、許可した主幹を戒告とした。だが、これに普段は公務員の不祥事に厳しいネットユーザーが反応した。
「他の救急要請をほったらかしにしたのなら非難も在るだろうが、これは家族でなくとも出動すべき事例だ。」、「自分がその立場に置かれたらどうするかを考えろ。」、「厳重注意の上罰則は仕方無いが、定年間近に6月の停職は重過ぎ。」。
逆に「1台しかない救急車を私的利用。同僚も公務を放棄して同乗し、管轄外の地区に出向いた。処分は当然。」、「普通に119番した方がどう考えても早い。プロ中のプロが娘のみならず、藤沢市民をも命の危険に晒したという、希に見る不祥事。」と処分容認派も登場、議論は今も続いている。藤沢市にも、同様の意見が多数寄せられているという。
思わぬ騒動に直面した藤沢市消防本部総務課は、処分の決断に付いて次の様に説明する。「日本の救急は全て、生命の危険に晒された患者さんの為1分1秒に命を懸けています。指令の『出動許可』は『出動命令』では在りませんし、(隊長の自宅が在る)茅ケ崎市にも消防本部がしっかり組織されています。当市として救急活動を行うケースでも在りませんでした。」。
更に「処分の重さは何とも申し上げられませんが、違反は違反。通常通り通報するのが最も早い手順。(隊長は妻に)冷静に『先ずは119番しろ。』と指示するべきでした。」(総務課)。
別の市幹部は定年目前の大ベテランに重大な処分を下すに当たり、相当な葛藤が在った事を明かす。「隊長はこれ迄処分歴も無く、40年以上も真面目に奉職して来ました。その最後の最後を停職で終わらせるのは何ともねぇ。職員の間でも未だに賛否が渦巻いてますよ。人間は機械じゃないんだし、こういう人より先に処分すべき公務員は、全国にもっと大勢居ると思いますけどね・・・。」
救急隊長は「動揺していた。救急のプロとして迷惑を掛け、本当に申し訳無い。」と反省し、処分が決定した今月19日付で依願退職した。
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藤沢市消防本部の下した処分に付いて、皆様はどう思われるだろうか?“一人の人間として”このケースを考えると、救急隊長の採った行動が理解出来なくは無い。「意識が無くなった身内を、一刻も早く病院に搬送したい。」という気持ちは、自身に置き換えたら非常に良く判るからだ。「受け容れてくれる病院が無く、何軒も盥回しにされた挙句に患者が死亡してしまった。」というニュースがここ最近続いたので、「身内が乗り込んでいる救急車ならば、ごり押ししてでも受け容れ先を確保出来るだろう。」という思いが救急隊長及びその妻に在ったのかもしれない。この思いも理解出来る。
だがしかし“情”を離れて“理”で今回のケースを総合判断すると、藤沢市消防本部の下した処分は適切だったと考える。「二女が救急車で搬送」という点に付いては、「彼女の意識が無かった」という事から適切だったと思うが、やはり「管轄外」からの出動というのはまずいだろう。管轄外からの出動自体が悪いと言っているのでは無い。管轄内の救急車が出払っている場合等、特例で対応すべき状況も当然在るからだ。「では今回のケースが果たしてそういう状況だったか?」となると、例え管轄外の南消防署苅田出張所が管轄内の茅ヶ崎市よりも(二女の居る)自宅に近かった“としても”、先ずはきちんと119番通報して管轄内での対応を求めるべきだったと思う。
今回、二女を搬送中に南消防署苅田出張所に出動指令は無かったというが、これはあくまでも結果オーライと言える。同所に救急車が1台しか配置されていなかった以上、もし“管轄内”に救急患者が発生して後回しにされて結果的に不幸な事態を招いた“としたら”、その身内はさぞかし遣り切れない事だろう。
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蜀の国の天才軍師・諸葛亮孔明は、その類い無い才能から馬謖という武将を非常に可愛がり、自身の後継者にと迄考えていた。しかし街亭の戦いに於いて馬謖が自らの才能に溺れてしまい、孔明からの厳命に背いた策を独断で採り、結果的に蜀軍は大敗を喫してしまう。他の武将達から「彼は有能な武将なので、是非許してやって欲しい。」と助命嘆願が為されるも、「『一寸した軍律違反だから。』とそれを軽視して許していれば、軍の中に何時しか緩みが生じ、その事で国が滅びる事も在るのだ。」として馬謖の処刑を命じる。可愛がっていた馬謖が処刑された際、孔明は涙を流し続け、馬謖の遺族には手厚い保護が為されたという。
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「三国志」の逸話から生まれた有名な故事成語「涙を揮って馬謖を斬る」の元で在る。「馬謖は死なせるには余りにも惜しい武将。」と処刑の慰留を図る武将達に対して、孔明が「その私情こそ判断を誤らせる一番の罪だ。馬謖の犯した罪は寧ろそれより軽い。惜しむべき程の者なればこそ、尚断じて斬って軍律を正さなければならない。本当の罪は余の不明に在るのだ。」と答えたとも。
これ迄真面目に勤め上げて来たという救急隊長。定年間近での厳罰処分は、確かに気の毒では在る。だが、救急車をタクシー代わりに利用している様な者に対して、各自治体が厳しい姿勢で臨んで行こうとしている状況に在っては、身内の規則違反に厳罰を下すというのは間違っていないと思う。例え軽微な事柄で在ったとしても、其処から組織に緩みが生じて行く可能性はゼロでは無い。停職期間が“実質”42日間だったというのは、消防隊長に対する温情だったとも言えるだろうし。
この手の情と理が鬩ぎ合う問題は、それをどう捉えるか非常に難しいもの。「こういう人より先に処分すべき公務員は、全国にもっと大勢居ると思いますけどね・・・。」という職員の声が首肯出来るだけに余計に・・・。
地方公務員の本分は住民福祉の向上です。
それが本来の目的より事務の都合は優先されていますね。よく憲法をめぐって神学論争しているといわれますが通常の法律や政令についてどう解釈するかの神学論争を役所はするのです。
この処分はその解釈からそうすべきと判断したのでしょうね。
これ処分しなくても意義を唱える人は、おそらくいないでしょう。だけどあえて処分したのは事務の都合と処分しなかったことに対して万一、非難されることへの恐れでしょう。
こういう場合は市長が判断すればいいのですが、大抵の場合は政治家であるはずの市長や知事も役人と化している場合が多いです。そのあたりが住民の感覚と役所がづれている原因だと思います。
「信用失墜行為」への処分を加えたのは表向きのエクスキューズで在り、「法令に従う義務違反」という点が消防本部としては最も頭を悩ましたのではないかという気がします。「119番通報に基づいて救急車を出す」というのが大原則と“思われます”ので、それを身内の為に破ってしまったというのは、“組織として”許す訳にはいかないという判断かと。勿論、非難を避けたいという気持ちも在ったでしょうね。
住民の感覚というのもそれこそ千差万別で、「『救急車がなかなか来ず、身内を失ってしまった人』や『病院を盥回しにされた挙句、身内を失ってしまった人』の中には、今回の“特例”に付いて複雑な思いを持っている者が居るかもしれないなあ。」と、嘗て父の急病で救急車を呼んだものの、なかなか来なくて心此処に在らずという経験が在る自分は思ったりします。
実は自分が懸念しているのは、その御嬢さんの気持ちなんです。勿論、父親の必死さに感謝するとは思うのですが、それと同時に「自分の為に父親が依願退職せしなければならなくなってしまった。」と自分を追い込んでしまわないかと。こんな記事を書いてい乍ら、そんな事を懸念していると書くのも言動不一致では在るのですが、御嬢さんに責任が全く無いし、自分を責める必要は全く無いと此処でハッキリ書かせて貰いたいと思います。
消防隊長が猛省しているのは確かでしょうね。依願退職というのは、そう容易く決断出来ないものですから。唯、公的な組織で在る以上は、その組織内に問題が在ると判断したら、国民が異を唱えるのは間違った事では無いと思うのです。勿論、特定個人を面白おかしくバッシングするのは論外ですが、「身内に対して甘いと思われてしまう様な規則違反が許されてしまう“環境”はおかしい。」という個人攻撃では無い形ならば、そういう声が上がるのは判らないでも無い様に“自分は”考えます。
くどい様ですが、この救急隊長に同情の思いを自分も持ってはいますけれども・・・。
孔明と馬謖ですが、吉川三国志を読んである感想を持っています。孔明の主君である劉備が死の床で馬謖の軽薄さを見抜き「重く用いないよう」申し伝えます。また劉備が重用していた猛将魏延と孔明はギクシャクしていました。劉備が重用しなかった馬謖を重用し、魏延を使いこなせなかった孔明、智謀では孔明にはるかに及ばないものの劉備の器の大きさを感じさせられた逸話です。