栃木県小山市で、幼い兄弟が惨殺された事件には、怒りを通り越した虚無感を覚える。近年、絶える事のない幼児虐待事件の一つとして、敢えて此処で触れるつもりはなかった。しかし、昨日目にした記事にどうしても納得いかないものが有ったので、書きたいと思う。
何度となく繰り返される幼児虐待事件に共通する要素であるのだが、今回の事件に登場する大人達の無責任さや好い加減さには、怒りを覚える。殺人容疑で逮捕された男に付いては、非道極まりない行為で有り、何も言うべき言葉もない。そして、被害者児童の父親だが、色々言い訳はしている様だが、学生時代に容疑者の先輩であった立場を利用して、たかっていたとしか思えない所業や、自分の子供達が以前より容疑者に虐待されていたのを知りながら、”実質的に”放置していた事等、容疑者を果たして糾弾する資格が有るのだろうか?と思ってしまう。被害者の祖母も、虐待を知って孫達を一時的に引き取るも、1ヶ月程で息子(=父親)の元に戻してしまっている。近所の多くの人達が、それ以降も何度となく、幼児達が虐待されているのを察知していたのであるから、祖母も全く知らなかったというのは不自然。何等かのアクションは取れなかったのだろうか?廻り近所の人達や児童相談所も、結局は幼児達を救えなかったという意味で、無責任さを問う声も有ろう。個人的には、今回の件では、児童相談所は座視しているだけではなかったと思っているが、幼児達が亡くなったという事実の前では、無力さのみ感じる。
この容疑者が殺害前日に、幼児達を車で連れ廻していたというのは、以前より報道されたいた。しかし、幼児達を家から連れ出した直後に、近所のガソリンスタンドで、約4時間に渡って暴行を加えていたという目撃談が、昨日初めて報道された。「お前達の親父は、お前達なんか可愛くないんだ!」等と罵倒しながら、兄弟達にビンタを食らわせていたらしい。途中、トイレに引っ張り込んで、暴行を続けていたとも書かれていた。この目撃者は、何故その時に止めるなり、通報しなかったのだろうか?遣り取りを聞いていれば、親子間の行為でないのは判っていただろうし、それ以前に長時間暴行を受けていたのである。もし、関わるのが怖くて口を噤んでいたのだとしたら、薄ら寒さを感じてしまう。
虐待死させられた子供達のニュースを見聞する度に、「この子達は、一体何の為に生まれて来たのだろうか?」と思わずにはいられない。
昭和26年に制定された「児童憲章」には、次の様な条項が有る。文言に負わされた理想と、現実のギャップが余りにも哀しい。
1. 全ての児童は、心身共に健やかに生まれ、育てられ、その生活を保証される。
2. 全ての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術を以って育てられ、家庭に恵まれない児童には、これに代わる環境が与えられる。
何度となく繰り返される幼児虐待事件に共通する要素であるのだが、今回の事件に登場する大人達の無責任さや好い加減さには、怒りを覚える。殺人容疑で逮捕された男に付いては、非道極まりない行為で有り、何も言うべき言葉もない。そして、被害者児童の父親だが、色々言い訳はしている様だが、学生時代に容疑者の先輩であった立場を利用して、たかっていたとしか思えない所業や、自分の子供達が以前より容疑者に虐待されていたのを知りながら、”実質的に”放置していた事等、容疑者を果たして糾弾する資格が有るのだろうか?と思ってしまう。被害者の祖母も、虐待を知って孫達を一時的に引き取るも、1ヶ月程で息子(=父親)の元に戻してしまっている。近所の多くの人達が、それ以降も何度となく、幼児達が虐待されているのを察知していたのであるから、祖母も全く知らなかったというのは不自然。何等かのアクションは取れなかったのだろうか?廻り近所の人達や児童相談所も、結局は幼児達を救えなかったという意味で、無責任さを問う声も有ろう。個人的には、今回の件では、児童相談所は座視しているだけではなかったと思っているが、幼児達が亡くなったという事実の前では、無力さのみ感じる。
この容疑者が殺害前日に、幼児達を車で連れ廻していたというのは、以前より報道されたいた。しかし、幼児達を家から連れ出した直後に、近所のガソリンスタンドで、約4時間に渡って暴行を加えていたという目撃談が、昨日初めて報道された。「お前達の親父は、お前達なんか可愛くないんだ!」等と罵倒しながら、兄弟達にビンタを食らわせていたらしい。途中、トイレに引っ張り込んで、暴行を続けていたとも書かれていた。この目撃者は、何故その時に止めるなり、通報しなかったのだろうか?遣り取りを聞いていれば、親子間の行為でないのは判っていただろうし、それ以前に長時間暴行を受けていたのである。もし、関わるのが怖くて口を噤んでいたのだとしたら、薄ら寒さを感じてしまう。
虐待死させられた子供達のニュースを見聞する度に、「この子達は、一体何の為に生まれて来たのだろうか?」と思わずにはいられない。
昭和26年に制定された「児童憲章」には、次の様な条項が有る。文言に負わされた理想と、現実のギャップが余りにも哀しい。
1. 全ての児童は、心身共に健やかに生まれ、育てられ、その生活を保証される。
2. 全ての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術を以って育てられ、家庭に恵まれない児童には、これに代わる環境が与えられる。
事件が一段落し、野球のストと重なっているため自然と世間から忘れ去られないことを祈る限りです。
今回は私の日記にコメントを下さりありがとうございます。
今回の栃木での子供達の件は本当に悲しくてなりません。
それはただ単純に殺されて可哀相とかそんな安っぽいものではなく、
この事件に関わる人間達は、助けられるチャンスはいくらでもあったはずにもかかわらず、
その救いの手を差し伸べる事も無くこの事件に至ってしまった事です。
しかもその父親や祖母は虐待をされていた事を知りながらも、
この事件に至るまで何もせずに、
さらには記者会見やインタビューを被害者ヅラして容疑者を批判する無責任さ。
この周りの人間達の対応に絶望して子供達は死んで行ったかと思うと、
どうしようもなくやるせない気持ちになります。
それと自分が一番不快に感じたことは、マスコミ各社がこの父親に対して何も言わない事。
ほとんどの報道が容疑者のみを悪者にして、
この事件の原因を作り出した父親を糾弾しようとしないのが残念でなりません。
この事件によって法の裁きを受けるのは容疑者のみ。
被害者の父はこれからものうのうと生きていく事ができます。
法で裁けないからこそマスコミや周りの人間が、
この人物に『事件の最大悪はアンタだ』と訴えかけなければならないのに、
結局誰もそれに触れぬまま『悲劇の家族』として事件は幕引きしてしまいます。
一番大事なのは、全ての人が今回の事件に関わる人間一人一人全てが『加害者』だという認識を持つ事、
そして事件の裏の裏まで考える事なのだと思いました。
だれも助けてくれなくって絶望を感じつつ死んでいった子供たちのことを考えると、
ただ容疑者だけを『悪』にして済ませていい事件ではなく、
その元凶が父親を含めた回りの無責任な人間であった事を糾弾し、
こういう事件が2度と起こらないようにキチンと考える事なのだと感じました。
そこを考えなくては、苦しみながら死んでいった子供達に申し訳が立たないと思います。
少しでもあの子供達の無念を感じるのであればこそ、
私達は考えなくてはならないのだと思います。
それでは長々と失礼しました。
以前にも私のBlogにコメントも頂きご挨拶もないまま申し訳ございませんでした。
今回の事件ですが自分でもBlogにしておきながら何ですが、記憶諸共抹消したいです。
子供達が犠牲になるそんな痛ましく、惨い記事を取り上げなくて済む世の中であってほしいですね。
私もガソリンスタンドで暴行をしていたという件は知っていたのですが、
それが4時間にも及ぶものだったなんて知りませんでした。
前から虐待はあったとインタビューに答えている近所の人や、このガソリンスタンドの人、何故インタビューにしゃあしゃあと答えられるのでしょうか?
普通なら恥ずかしくて気づきませんでしたって言うしかないような状況だと思います。
テレビでも周囲の傍観者に対して意見するのを聞きませんが、周りの大人全員が悪いと声を大にして言いたいです。
本当に許せないし、情けないです。
私のところでももう一度この件で書きたいと思いました。
彼らは、大人達の無関心に殺されてしまったとしか思えません。
自分も社会の一員として、こんな犯罪が起きてしまったことをとても恥ずかしく、残念に思います。
家庭は社会の最小単位だと言いますが、今、まさにその家庭が壊れてきてしまっていることをこのニュースで実感しました。
?マスコミは事実を報道すればいいだけだと思いますよ。周りを含めて経緯を報道したからこそ、私やがばんさんもその父親や祖母に対して不快を覚えているわけですから。
マスコミが糾弾するのは、はた違いだと思うし、大変危険な事だとも思う。
「こいつめ」って感情を報道から煽られるより、今回を反面教師として活かせるぐらいの報道をして欲しいです。「こいつめ」の後に、「次いってみよぉ~」で忘却の彼方、でお決まりの「最近凄惨な事件が多発しておりますが」、というのはイヤです。
何よりも、核家族化が進んでいる中で、幼児期までの子育てをどうするかとかを、教科書とかでなくて、子育て経験者や真っ最中の人を呼んで話を聞く、というぐらいのを中学の卒業前までには実施して欲しいと思う。ホントは親の再教育が必要なんでしょうけど・・・。
みなさん書かれてますが、今回のこの事件は、
必ず防げたはずですよね。父親や祖母だけでなく、
児童相談所、GSや近所の大人たち…。
全ての大人たちに見殺しにされたようなものですよね。
giants-55さんが最後に書かれていた「児童憲章」を
読んで、本当に悲しくなりました。
僕たち大人の1人1人が、ここに掲げられた理想を、
しっかりと胸に刻んでおかないといけないですね。
>全ての大人たちに見殺しにされたようなものですよね。
ですよね。事なかれというか、巻き込まれたくなかったとか、騒ぎの元になりたくなかったとか、もしかして無関心?なのかなと思ってしまいます。
あと、ヤンキーの縦社会も気にはなるけれど、何かのCMにあるように子供への接し方がおかしくなってるのかなとも思いました。自分の子供だけじゃなくて。
相手(他人)に文句言われたくないから文句言わないって感じのが社会に蔓延してる気もするし。文句を言われると不快になるのは、私はあんたに言ってないし(この社会は)そういうものだろ?というのがあるんかな。公然の場で、プライド傷つけられて逆切れとか。言い方次第でアドバイスを文句に受け止めてしまう事もあるし。あぁ、頭でっかちで済みません。
私の場合、自信ないです。。。