ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

診察を受ける側も

2020年05月17日 | 其の他

昨日の記事「“死”に付いて思いを馳せる機会が多い」の中で、「自分の家族の知り合いで、50代後半の男性が、医師から『末期で、余命は長くて半年。』という告知をされた。」というのを記した。体調不良で受診するも、「特に悪い所は無い。」と言われ、幾つもの病院を“盥回し”された結果、彼が末期癌を告知されたのは、数ヶ月後だったらしい。最初の段階できちんと診断されていたとしても、末期癌で在る事には変わりが無かったろうけれど、彼の家族としては遣り切れない思いが残る事だろう。

十年一昔」という事で在れば、“四昔”以上も前になるが、会社員だった父が体調を崩した。大きい病気をした事の無い父だったので、会社を休んで病院に行くというのは、初めての経験。近所に在る“大病院”で受診したのだが、「時々、胸の痛みを感じる。」等の症状を詳しく医師に説明し、診察を受けた所、「単なる風邪ですね。静養して下さい。」との事だった。以降、体調が全く良くならず、同じ病院で2度診察を受けるも、「単なる風邪。」という診断は変わらず、約1ヶ月後に父は心筋梗塞で急死。

後になって、其の病院で“様々なトラブル”が発生した事を知った。そういう事が原因なのかは知らないけれど、もう結構昔に其の病院はクローズ。「きちんと診断してくれていたら、父は亡くならないでも済んだかも。」という思いは、今も自分の中に在る。

父が亡くなった当時、身近に“心臓関係の病気を罹患した人”がなかった事も在り、「父の体調不良が、心臓に関係している。」なんて、家族の誰も考えていなかった。今の様に「TVや週刊誌等で、病気に関する情報が詳しく報じられている時代。」ならば、心筋梗塞の可能性を疑ったろうけれど。

「“真摯に診察&治療している医師”が大半で在る。」とは信じている。だから、「何でも彼んでも、医師を責めるのは良く無い。」とも思っている。でも、自分の経験上、“質の悪い医師”が存在するのも確かだ。「昔とは違い今は、“自分から積極的にアクションを起こせば”、病気に関する情報が数多く手に入れられる時代。」なのだから、診察を受ける側も「無闇矢鱈と病院を回るのでは無く、インターネット等、様々な媒体で『自分の症状から考えられる病気』を調べた上で、“最も適したと思われる医師や病院”に行く。」というのが大事な気がする。

特にインターネットで言える事だが、紹介されている情報には“嘘”が在ったりもする。だから、「様々な媒体で調べる。」事が求められるけれど、「自分で徹底的に調べ上げた上、選択した医師や病院に“身”を任せた結果。」で在れば、仮に“残念な結果”になったとしても、悔いは残らないだろう。


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Unknown (悠々遊)
2020-05-17 20:51:45
こんばんは
自分の体験になりますが、最初に頻脈発作が起きたのは19歳の時。仕事が終わって帰宅途中でした。
電車バスを乗り継いで帰宅後ししばらく安静にするも収まらず、すでに3時間近く経ってから近くの病院で受診したのですが、待合室で順番を待つ間に頻脈が治まり、ここでの医者の見立ては突発性頻脈。
初回ほどではないにしても30分、1時間と続く頻脈がたびたび起き、その都度近くの診療所や病院に行くのですが、決まって診察前には不思議と治まってしまう。そのたびに告げられるのは同じ内容で、心配するほどのことは無いとのこと。
一度は日赤病院にも行ってみてもらったのですが、やはり結論は同じようなもので、要は原因不明の突発性頻脈と言われるだけ。
その後引っ越しを2度し、職場も代わって10数年過ぎた30代半ばのころ、そのころには頻脈発作の頻度が高くなっていて、発作時間も脈拍が200以上が10時間以上続くこともあり、近くの中規模病院に度々駆け込んでいたのですが、何度目かの入院時に院長先生から、WPWの可能性があるので一度京大病院で精密検査をしてみたら、と紹介状を書いてもらいました。
京大病院で詳しく検査してもらって初めて、自分の症状が先天性心臓疾患であると確定。WPW自体で直ちに死ぬことは無いが、その状態が1日も続くようだと心不全で死に至ることもあり得る、と言われればやはりショック。
初めて発作が起きてから10数年後、やっと発作を抑える薬が処方されたのでした(結果的には薬でも抑えられずさらに10年経って手術になったのですが)。
しかしアメリカではすでに、私が初めて発作を起こしたころには病名が確定し薬が開発され、手術方法も研究が進んでいたという事ですから、日本の循環器の専門医なら、遅くとも数年後には情報をつかんでいたはず。
結局は10年以上にわたって病院をたらいまわしにされ、その間に症状が重くなっていったようなものです。
症例が少ない病気だと、なかなか専門医が見つからなかったり、ネット検索しても同じような症状でも全く別の病気がいくつもヒットすることがあり、素人では迷ってしまうことがあります。
診察した医者自身が少しでも疑わしいと思ったら、専科の垣根を越えて別の専門医に照会するようなシステムが普及しないと、救える命が失われることもあるのではないでしょうか。
近頃よく言われるセカンドオピニオンにしても、そこで情報に通じた確かな「専門医」に出会えるとは限りませんから。
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>悠々遊様 (giants-55)
2020-05-18 02:27:02
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

「最初の発作から10数年経って、漸く“本当の病気”が判った。」、どんなにか辛い思いをされて来たか、心中を御察しします。病気情報を扱う番組を見ていると、「悠々遊様の様に散々病院を盥回しされた結果、長期間を要して本当の病気が判った。」という話は、良く目にしますね。

医者も神様では無いし、100%完璧を求められないというのは理解しているし、又、「“時代”によっては、病を発見し辛かった。」という事も考えられるとは思います。でも、自分の父親もそうですが、悠々遊様の場合も、そういった事で片付けられない事例だと思うんです。もっと真剣に診察していたら、もっと色んな可能性に思いを馳せていたら、早い段階で違う結果が出ていたのではないかと。

「質が悪い。」と感じられる医師に共通するのは、「自分の考えが唯一無二的に正しく、其れ以外は排除する。」という“狭い考え”。そういう医師に限って、患者の側が「こういう可能性は無いですか?」なんぞと質問すると、逆切れしたりする。自分に自信が無いからこそ、「生意気な事を言うな!」という思いになるのでしょう。

又、「自分の分野の範疇だけで、診断をし様とする。」というのも、凄く気になったりします。近年、次々と明らかになっていますが、「問題と思われる場所とは、全く違う所に病理が在った。」というケース。例えば「頭痛」の原因が、「足」に在ったなんて事も在ったりと。そういう意味では、“総合科”的な部門が、今後はより重視されて来るのではないでしょうか。
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