我が国が高齢化社会から高齢社会の範疇に入っており、このままでは2010年にも超高齢社会に突入するという話を、昨年の記事「中国の高齢化が加速」にて書かせて貰った。高齢大国となり、今後は”現役世代”が負担する費用は益々重くなって行くのは自明の理だが、(まめ)たぬき様のブログ「(まめ)たぬきの雑記」の記事「本当にこの制度、やっていけるのか?」によると、「2007年度の介護保険料の内40~64歳は平均で年4万9,476円となり、前年度に比べ4.0%引き上げられる見通し。」だという。自己負担額は半額故、新しい保険料は平均2,061円/月となる。2000年に介護保険制度が導入された際の保険料が1,037円/月だった事を考えると、7年間でほぼ2倍になった計算となる。
(まめ)たぬき様も記されている様に、この分では保険料がドンドン上がって行くのは先ず間違いないだろう。現役世代の一人として、負担が増え続けて行くのは本当に頭が痛い話。自分自身が高齢者の仲間入りをするのは未だ先の話だし、高齢者の仲間入りをしている我が親は幸いにも健康体という事も在って、「介護保険制度なんて本当に必要なのだろうか?国が要介護者に対して最低限のケアをする必要性が在るとしても、将来を見据えて個々人が蓄えを考えて行く可きではなかろうか?」という思いをずっと持っていた。
しかし最近廻りを見渡すと、60歳そこそこといった年齢で半身不随になられたり、認知症になられた方がポツリポツリと現れている。つい先だっても、古くから顔見知りの近所のおばちゃんが認知症になられたという話を耳にし、ビックリさせられたばかりだ。年齢は未だ60代半ば位の筈だが、非常に活発で社交的な方だっただけに「まさか・・・。」という思いしか無い。こういう現実を見せられると決して他人事とは思えず、互助制度として或る程度の高い負担は致し方ないのだろうなという気持ちになって来ている。
唯、こうした高い負担がまともな形で使われているので在れば良いのだが、年金保険料の様に訳の判らないハコモノ増産や、天下りした役人達の高給に費やされる事だけは絶対に許してはならない。
以前、90数歳で病気知らずという知人の祖母が、介護保険料を払い続けているという話を耳にした。「一定年齢以上で、自らの健康維持の為に積極的に運動をしている人達」、この区分が曖昧ならば「年間の医療費支出が、一定額以下の人達」としても良いが、そういった人達には翌年の介護保険料を若干でも下げるとかの”メリット”を与えても良い様に思う。
(まめ)たぬき様も記されている様に、この分では保険料がドンドン上がって行くのは先ず間違いないだろう。現役世代の一人として、負担が増え続けて行くのは本当に頭が痛い話。自分自身が高齢者の仲間入りをするのは未だ先の話だし、高齢者の仲間入りをしている我が親は幸いにも健康体という事も在って、「介護保険制度なんて本当に必要なのだろうか?国が要介護者に対して最低限のケアをする必要性が在るとしても、将来を見据えて個々人が蓄えを考えて行く可きではなかろうか?」という思いをずっと持っていた。
しかし最近廻りを見渡すと、60歳そこそこといった年齢で半身不随になられたり、認知症になられた方がポツリポツリと現れている。つい先だっても、古くから顔見知りの近所のおばちゃんが認知症になられたという話を耳にし、ビックリさせられたばかりだ。年齢は未だ60代半ば位の筈だが、非常に活発で社交的な方だっただけに「まさか・・・。」という思いしか無い。こういう現実を見せられると決して他人事とは思えず、互助制度として或る程度の高い負担は致し方ないのだろうなという気持ちになって来ている。
唯、こうした高い負担がまともな形で使われているので在れば良いのだが、年金保険料の様に訳の判らないハコモノ増産や、天下りした役人達の高給に費やされる事だけは絶対に許してはならない。
以前、90数歳で病気知らずという知人の祖母が、介護保険料を払い続けているという話を耳にした。「一定年齢以上で、自らの健康維持の為に積極的に運動をしている人達」、この区分が曖昧ならば「年間の医療費支出が、一定額以下の人達」としても良いが、そういった人達には翌年の介護保険料を若干でも下げるとかの”メリット”を与えても良い様に思う。
今一番懸念されるのは、人数の多い団塊の世代がいっきに介護の必要な状態のものばかりになることですね。そうなったら制度、破綻します。
経団連やその言いなりになってる政府の皆さんは、少子化対策なんて眼中になさげですし。
日本の家計の金融資産は1500兆円そのうち800兆円は60歳以上の方たちが持っていて、その形態は8割ぐらいが現金であるらしいです。
凄いですね。ということは、この凄い金額をうまく運用できればうまく回るはずなのですが、厚生省のバカ役人さんたちが使い込んじゃったので公的な運用は信用無くしてしまいました。
結局は自己防衛しかないのでしょうかね?
お金は運用してこそ社会に対して効果があるのにもったいないことです。
徴収するコストがかかりすぎます。
未納者が多い国民年金の場合は保険料よりも徴収コストが高い場合があるそうです。
保険料方式はやめて消費税率をあげてでも介護保険や年金、国保は税方式にすべきです。
国防は非常に重要な問題だと思うんです。ですから或る程度の国防費は計上されて然る可きでしょうが、それだって天井知らずに無条件でという訳では勿論在りませんよね。イソップ物語の有名な寓話に「蛙と牛」というのが在ります。牛を初めて見た子蛙が父蛙にその大きさを話した所、父蛙が「自分の方が大きいだろ。」と空気をドンドン吸い込んで腹を膨らませ、挙句に御腹が破裂してしまうという話ですが、要は身の丈に合った事をしないと駄目という戒め。国防費も他国が増やしたからと、競争していては結局その事で国が傾いてしまうのではないでしょうか。
年金は今の40代辺り迄は支払った保険料とほぼトントンの額が受給出来、それ以下は年が下になる程に減額されるだろうと言われていますね。まあ自分も、幾許か受給されれば御の字という気持ちでいます。兎に角、無駄金は使わないで貰いたい。幾ら上から注意しようが、厳格な罰則を設けない限り無駄遣いは無くならないでしょうね。
徹底的に無駄を省き、それでも尚財源が不足しているというので在れば、アラメイン伯様も書かれておられる様に徴収コストを考えて、消費税で何とか賄うという方向も考慮する必要が在るのでしょう。くどい様ですが、消費税アップ在りきでは無く、先ずは徹底的に無駄を省くのが先決なのは言う迄も在りませんが。