ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

余計な一言

2022年12月26日 | 其の他

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定年後も嘱託として働く60代の男性が、夕食後にTV眺めていた時の事だ。ソファーでスマホのニュースを見ていた妻が、大声を上げた。「えー、大変よ。貴方と同じ年の彼の映画監督。昨日、病気で急死したんだって!」。・・・と言われた所で知り合いでも無いし、「ふーん。」としか言い様が無かったが、取り敢えずこう返す夫。「同い年が亡くなるニュースはな物だって、死んだ爺ちゃんが良く言ってたな。」。すると妻はこう言い放った。貴方は心配無いわよ。此の監督、貴方と違って、東大卒だもの。一体急死と東大卒に何の関係が在るのか。余計な一言に反論し様としたが、此れ又余計な一言の上塗りになる事を案じて言葉を呑み込む夫だった。

・「例えば学生時代、大学2年から入ったサークルでの事です。入学時に入った部員達はすっかり人間関係が出来ていて、自分だけが疎外感が在った。或る日酔った勢いも在って、飲み会の席で御前等、閉鎖的なんだよ。と、余計な一言を言ってしまい・・・。其の後半年程、誰も口を利いてくれませんでした。」。

其れで思い出したのが、筆者が取材した事が在る評論家の先生だ。コメントに付いて疑問点を聞いた所
うーん、判って貰えないだろうね。君とは住んでる世界のレヴェルが違うから。と、まさか突っ込み返し。大体「住んでる世界のレヴェル」の話は、余計だって!
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週刊朝日(12月2日号)に「其の一言が“不興”を招く 言い換えれば好感度アップ?」という記事が載っており、其の中で紹介されていた“余計な一言”の例だ。

無意識の内に余計な一言を言ってしまう人って、結構居る。自分にもそういう傾向が全く無いとは言わないが、の母親は余計な一言を良く口にするタイプ。他人に対しては一応配慮している様で、そういう事は無いみたいだが、家族に対しては余計な一言を口にしては、喧嘩になる事が少なく無い。キョロキョロして歩くが在る(自分の)兄弟には、「キョロキョロして歩くと、事故に巻き込まれたりして危ないよ。」と言えば良いのに、そんなに“馬鹿みたいに”キョロキョロして歩くと、事故に巻き込まれたりして危ないよ。と言ったり、明らかに自分が悪い事を指摘されると、謝罪を口にする事無く、即座に「じゃあ、貴方も~。」と、全く無関係な指摘をしたり。本人が“余計な一言”と無自覚なのが、非常にが悪い。

元記事では、「『余計な一言』も言い換えれば好感度アップに変わる」という例が紹介されている。幾つか抜粋してみると・・・。

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・「(部下に)意外と良く出来たね。」。→貴方なら出来ると思っていたよ。

・「貴方には10年早いよ。」。→思いが叶うと良いね。

・「〇〇部長って、性格悪いよね。」。→〇〇部長は、私と合わない様に感じるんだよね。

・「運が良かったね。」。→運も実力の内だからね。

・「そんな事も出来ないの?」。→次はこうしてくれると嬉しいな。

・「貴方のに言ってるの。」。→御母さん(御父さん)は、こう思うよ。
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7年間の記事「物は言いよう」の中で、「
通知表所見欄には、マイナス・イメージの表現を避け、プラス・イメージの表現に置き換えて記す。』所が増えていると聞く。『児童を傷付けない為。』とか『保護者からのクレームを避ける為。』とか色々言われているが、小学校の頃の所見欄に『落ち着きが無い。』とか『悪戯が過ぎる。』等、マイナス・イメージの言葉を並べ立てられた身としては、隔世の感が在ったりする。」と記した。

具体的な例を挙げると、落ち着きが無い→活発協調性が無い→独立心が強い我が儘自由闊達といった具合に記すのだとか。
(記した)教師真に言わんとしている事を忖度すると、“態とらしい置き換え”にも思えてしまう。けれど、とは言え、こういう“言葉の置き換え”を常に心掛ければ、「余計な一言からトラブルになる。」というのは避けられるのも確かだろう。


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