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・定年後も嘱託として働く60代の男性が、夕食後にTVを眺めていた時の事だ。ソファーでスマホのニュースを見ていた妻が、大声を上げた。「えー、大変よ。貴方と同じ年の彼の映画監督。昨日、病気で急死したんだって!」。・・・と言われた所で知り合いでも無いし、「ふーん。」としか言い様が無かったが、取り敢えずこう返す夫。「同い年が亡くなるニュースは嫌な物だって、死んだ爺ちゃんが良く言ってたな。」。すると妻はこう言い放った。「貴方は心配無いわよ。此の監督、貴方と違って、東大卒だもの。」。一体急死と東大卒に何の関係が在るのか。余計な一言に反論し様としたが、此れ又余計な一言の上塗りになる事を案じて、言葉を呑み込む夫だった。
・「例えば学生時代、大学2年から入ったサークルでの事です。入学時に入った部員達はすっかり人間関係が出来ていて、自分だけが疎外感が在った。或る日酔った勢いも在って、飲み会の席で『御前等、閉鎖的なんだよ。』と、余計な一言を言ってしまい・・・。其の後半年程、誰も口を利いてくれませんでした。」。
・其れで思い出したのが、筆者が取材した事が在る評論家の先生だ。コメントに付いて疑問点を聞いた所、「うーん、判って貰えないだろうね。君とは住んでる世界のレヴェルが違うから。」と、まさかの突っ込み返し。大体「住んでる世界のレヴェル」の話は、余計だって!
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週刊朝日(12月2日号)に「其の一言が“不興”を招く 言い換えれば好感度アップ?」という記事が載っており、其の中で紹介されていた“余計な一言”の例だ。
無意識の内に余計な一言を言ってしまう人って、結構居る。自分にもそういう傾向が全く無いとは言わないが、内の母親は余計な一言を良く口にするタイプ。他人に対しては一応配慮している様で、そういう事は無いみたいだが、家族に対しては余計な一言を口にしては、喧嘩になる事が少なく無い。キョロキョロして歩く癖が在る(自分の)兄弟には、「キョロキョロして歩くと、事故に巻き込まれたりして危ないよ。」と言えば良いのに、「そんなに“馬鹿みたいに”キョロキョロして歩くと、事故に巻き込まれたりして危ないよ。」と言ったり、明らかに自分が悪い事を指摘されると、謝罪を口にする事無く、即座に「じゃあ、貴方も~。」と、全く無関係な指摘をしたり。本人が“余計な一言”と無自覚なのが、非常に質が悪い。
元記事では、「『余計な一言』も言い換えれば好感度アップに変わる」という例が紹介されている。幾つか抜粋してみると・・・。
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・「(部下に)意外と良く出来たね。」。→「貴方なら出来ると思っていたよ。」。
・「貴方には10年早いよ。」。→「思いが叶うと良いね。」。
・「〇〇部長って、性格悪いよね。」。→「〇〇部長は、私と合わない様に感じるんだよね。」。
・「運が良かったね。」。→「運も実力の内だからね。」。
・「そんな事も出来ないの?」。→「次はこうしてくれると嬉しいな。」。
・「貴方の為に言ってるの。」。→「御母さん(御父さん)は、こう思うよ。」。
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7年間の記事「物は言いよう」の中で、「『通知表の所見欄には、マイナス・イメージの表現を避け、プラス・イメージの表現に置き換えて記す。』所が増えていると聞く。『児童を傷付けない為。』とか『保護者からのクレームを避ける為。』とか色々言われているが、小学校の頃の所見欄に『落ち着きが無い。』とか『悪戯が過ぎる。』等、マイナス・イメージの言葉を並べ立てられた身としては、隔世の感が在ったりする。」と記した。
具体的な例を挙げると、「落ち着きが無い→活発」、「協調性が無い→独立心が強い」、「我が儘→自由闊達」といった具合に記すのだとか。「(記した)教師が真に言わんとしている事を忖度すると、“態とらしい置き換え”にも思えてしまう。」けれど、とは言え、こういう“言葉の置き換え”を常に心掛ければ、「余計な一言からトラブルになる。」というのは避けられるのも確かだろう。