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「給料最低・小規模校・・・民間人校長、謝罪無き退職」(6月26日、読売新聞)
大阪市立小中学校で今年度から導入された校長の全国公募に応募し、4月に民間人校長として就任した市立南港緑小学校(住之江区)の千葉貴樹校長(38歳)が25日、「私が力を発揮出来る場所とは違う。」と述べ、同日付で退職した。
同市の民間人校長は今春、11人が就任したが、退職は初めて。校長公募は橋下徹市長が掲げた教育改革の目玉だっただけに、3ヶ月足らずでの退職は波紋を広げそうだ。
此の日の市教育委員会議で退職を承認された千葉氏は、同小で記者会見。複数の外資系証券会社に10年以上の勤務経験が在るという千葉氏は、「経験を生かし、英語教育に力を入れたいとアピールしたが、今の学校の課題は基礎学力の向上だった。英語教育に力を注げる環境では無かった。」と説明した。
又、採用過程で市教委側と意見交換する機会が少なかった事に不満を述べ、「若いからといって、各学年1学級しか無い小規模校に配属され、給料も経歴に関係無く最低級。年功序列だ。」と批判。自らの退職による混乱に付いては「何も不祥事は起こしていないし、謝罪する事では無い。」と語り、児童に対する思いを問われ、「申し訳無いという気持ちでは無く、残念な気持ち。」と話した。
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此の件に関しては関係者では無いし、飽く迄も記事として書かれた内容での私見となるが、「『理解出来る部分』よりも『理解出来ない部分』の方が多い。」というのが正直な所。
理解出来る部分としては、「『経験を生かし、英語教育に力を入れたい。』という熱意は実際に在ったんだろうな。」という事。ピンからキリ迄在るだろうけれど、「外資系証券会社に10年以上の勤務経験が在る。」という事は、其れなりの高給を得ていたと思われる。民間人校長になれば格段に給料が減るだろうし、其の覚悟が無ければ、民間人校長に就任するという決断は下せなかったろう。
又、「外部から入り込んで来た人間を疎む。」という環境が、校内に在ったのではなかろうか。一般企業でもそういった面が在るのだから、教師の世界という“村社会”では、一層其の可能性が在りそうな気がする。抜本改革を行おうという熱意が、“現状維持派”にっよって阻まれていた“としたら”、嫌気が差すのも理解出来なくは無い。
しかしだ、そういう「理解出来る部分」を消し去ってしまう程に、「理解出来ない部分」が多過ぎる。「採用過程で市教委側と意見交換する機会が少なかった事に不満を持っていた。」と言うが、にも拘らず就任を決断したのは千葉氏本人。不満は在ったにせよ、就任を決断したのだから、今更「ああだこうだ。」言うのはどうかと思う。「100%納得出来なければ、校長には就任しない。(もっと言えば、外資系証券会社に留まる。)」という選択肢が在ったのだから。
「経験を生かし、英語教育に力を入れたい。」という熱意は良いのだが、「今の学校の課題は基礎学力の向上だった。英語教育に力を注げる環境では無かった。」というのも理解不能。「私立は別にして、公立では概してそんな環境で在ろう事。」は、素人の自分でも想像が付く。厳しい言い方をすれば、「事前のリサーチ不足」と言われても仕方無いだろう。
一番理解出来ないのが、「若いからといって、各学年1学級しか無い小規模校に配属され、給料も経歴に関係無く最低級。年功序列だ。」という主張。「他の分野から“新しい見方が出来る人材”を起用し、教育界を活性化させる。」という民間人校長制度の発想は悪くないが、千葉氏の場合は教育と全く無関係の世界でずっと働いて来ており、教育界に於て“新人”なのは動かし様も無い事実。彼が外資系証券会社で、何れだけ素晴らしい実績を残して来たのか知らないが、教育界で成果を出していない以上は、第一段階として「小規模校への配属。」や「給料が高く無い。」というのは、別におかしい事とは思わない。市立南港緑小学校で校長として成果を残してから、待遇改善を主張するのが普通ではないだろうか?
某国の首相の様に、「森羅万象、白黒ハッキリ出来ない物は存在しない。」と盲信し、異常な迄に勝ち負けに固執する人間が世の中には居る。白黒ハッキリ出来ないのが明らかな事柄でも、気が狂った様に「私が正しい!」と主張し続けたりする。其れだけでも厄介なのに、加えてそういう人は概して「明らかに自身に誤りが在ったとしても、其れを少しでも認めてしまうと、自らのアイデンティティーが100%喪失してしまうという、意味不明な恐怖感を抱えている。」様に感じられ、非を認めたり謝罪したりする事を徹底的に拒んだりする。
「自らの退職による混乱に付いては『何も不祥事は起こしていないし、謝罪する事では無い。』と語り、児童に対する思いを問われ、『申し訳無いという気持ちでは無く、残念な気持ち。』と話した。」という千葉氏は、「そんなタイプの人間なのではないかなあ。」という気がする。3ヶ月で校長職を放り出した事で、何れだけの人間が迷惑を被るか。大人は未だしも、“最大の犠牲者”で在る生徒達に対しては、一言でも謝罪の言葉が欲しかった。
それまでの経験は新しい場所の現実を踏まえた上で生かすべきもの。教育界の風土を知らずしていきなり自分のやり方を押し付けようとしていなかったか。また、採用の際に、教育界と民間企業の風土の違い、校長に求められる姿勢などの説明や対話、民間人校長が現場の傾向を把握して適応するための準備期間は十分だったのか。
民間人登用の成功率を上げるには、教育現場の状況を自分からリサーチして理解した上で、それまでの経験を生かそうとできる人物を採用段階で見極められるような審査方法を検討する、もしくは対話によるアドバイスをする人を採用側や教育現場と本人との間に置くことが必要であると考えます。教育界の“普通”と民間企業の“普通”、その二つの違う“普通”を調整して、より良いものを作れれば良いですね。
塾か予備校の英語の先生になった方が良かったのではないですか。
自分は特別な存在なんだ、という強烈なエリート意識を持った人物ではないかと想像します。
きちんとお膳立てされた条件の下でなら、遺憾なく実力を発揮できるかもしれませんが、1から環境を作り上げようという気概には乏しいのかも。
むしろ早めにやめてもらってよかったのかもしれません。
公立に関して言えば、「小学校及び中学校」と「高校」との明らかな違いは、「能力的な偏差の幅」だと思っています。ぷりな様が指摘されている「均質性の差」と同じで、要は「能力的なばらつきの差」ですね。試験によって能力的に略同程度の人間が集められた高校とは異なり、小学校及び中学校は“振れ幅”が大きい。此の義務教育期間に於ける”全体的なレヴェル・アップ”が重要で、其れが成し遂げられてこそ、英語だ何だという“副次的な要素”を取り入れる様にしないと、結局は全てが中途半端になってしまう。
「教育界の“普通”と民間企業の“普通”、その二つの違う“普通”を調整して、より良いものを作れれば良いですね。」、全く同感です。最優先しなければいけないのは、「教育界の従来のスタイルと民間企業のスタイルの何方が正しいか?」という競い合いでは無く、「子供達の能力を如何に上げて行くか。」なので。
自身が其れ迄培って来た事を誇りに思うのは悪い事では無いのですが、全てに於いて我を通そうとする“ならば”、其処に軋轢が生じるのは当然の事。仰る様に今回の場合は、「公立学校の校長」では無く、「塾か予備校の英語の先生」という観点が強かった可能性は在りますね。
今回の記事を読んで気になった事の1つが、「複数の外資系証券会社に10年以上の勤務経験が在る。」という点。能力が高ければ、複数の企業を渡り歩く事は珍しく無いのでしょうが、「我を押し通し過ぎて無用な軋轢を生み、自分の居場所がなくなって、働き場所を転々とした。」という可能性も考えられるからです。飽く迄も想像の域を出ないのですが、もしそうだったとしたら、其れ迄と同様に、「思い通りにならないのなら、もう辞めちゃおう!」という事なのかなあとも。
又、最大の犠牲者”で在る生徒達に対して謝罪の一言も無かった事から、「此の人は子供達に対する愛情というのが、少し欠如しているのではないかなあ?」とも感じていました。其れが在れば、少なくとも3ヶ月足らずで放り出す事は無かった様に思うし。
マヌケ様や悠々遊様が書かれた様に、自分も今回の記事を読んだ際、「無責任だなあ。でも、早い段階で無責任な人間で在る事が判り、辞めてくれた事で、生徒達への被害も最小限で済んだとも言える。」という感じはしました。
自身が培って来た経験にプライドを持つ事は決して悪くないし、そういうのは大事だとも思うのですが、自信過剰になってしまうのは、百害在って一利無し。少なくとも教育界では“新人”なのですから、最低限の謙虚さは必要。
「政治主導」を掲げた民主党が、「官僚を使い熟す。」のでは無く、「官僚を排除する。」方向に走った事で失敗した様に、仮令従来の教育環境が好ましく無かったとしても、教員達と共に変革して行く方向性を取らないと、上手く行く物も行かなくなる。
やはり大多数の人が問題有りと思ってますよね
この元校長は学年に1クラスしかないのも不満らしいが生徒が沢山居てクラスが多ければ出来る生徒に合わせた授業をして出来ない生徒は置いてきぼりにするか生徒の学力に合ったクラス編成(選別?)をするでしょうね
良いか悪いかは別にして大袈裟に言ったら格差クラスですかね
しかしこの元校長は橋下さんの期待を見事に裏切りましたね
想像ですが橋下さんはきっと心の中では頭の悪い生徒ばかりならせめて愛国心や忠誠心や国歌を徹底的に叩き込んどけば良いのにと辞めた元校長に言いたかったでしょうね
本当に能力の在る人だったら、どんな環境下でも結果を残せるんじゃないかと思うんです。小規模校なら小規模校なりの、中規模校なら中規模高なりの、そして大規模高なら大規模高なりの上手い遣り方が在ると思うし。結局こういう人は、どんな状況でも上手く行かなければ、「~が悪いのだ!」と他に責任転嫁して逃げるのが関の山なのではないかという気がします。
橋下市長の性格を考えると、「此れだけ世間の注目を集めさせるのが上手い奴なら、日本維新の会に候補者として引っ張らなきゃいけないな。」と思っていたりして。