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「辛坊さんを襲った9年前の『自己責任論』」(6月25日、日刊ゲンダイ)
「たった2人の命を、何百人で救ってくれた。本当に海上自衛隊、海上保安庁の皆様には感謝しています。」、「此の国の国民で在って、本当に良かった。」。ヨットで太平洋を横断中に救助されたニュース・キャスター、辛坊治郎氏(57歳)はこう言って、目を潤ませた。命が助かったのは、喜ばしい限り。だが此の一件、美談で終わりそうも無い。辛坊氏の過去の発言を非難する書き込みが、ネット上に噴出している。
2004年4月、イラクで高遠菜穂子さん等ヴォランティアの日本人がイラク武装勢力に拘束された(イラク日本人人質事件)。此の時、辛坊氏はテレヴィで「自己責任」を主張。其の事で槍玉に挙がっているのだ。<辛坊がイラクで、民間援助に当たり、拉致された高遠さんを追及した言葉を忘れるな!自己責任!自費で支払えと言った事を。>、<貴方、イラクで人質になった日本人を大上段で「自己責任」と切り捨ててませんでしたっけ?>とケチョンケチョンで在る。
元外交官で評論家の天木直人氏も、自身のブログで辛坊氏を批判している。<思い出すのが、イラクで人質になった若者3人に浴びせ掛けられた「自己責任論」だ。当時辛坊氏は、徹底的に小泉政権の肩を持つ発言を繰り返していた。其の自己責任論者が自己責任を取らなくて良いなら、此れ程の冗談は無い。>。
天木氏が改めて言う。「正確な言葉は忘れましたが、彼の頃、辛坊氏はイラク戦争に反対している人々に厳しい態度を取っていました。人質になるというヘマを仕出かすとは怪しからん、と言わんばかりだったのです。彼は、時の権力者側に立ちたがる人。だから、弱者に厳しいのです。抑、今回の航海に付いては、万全の備えや訓練を積んで出発したかも疑問です。自己責任を振り翳した人が大勢の尽力によって、イラクの人質達みたいに助け出されたとは、皮肉で滑稽な出来事。辛坊氏は当分、自己責任論を語れないでしょう。」。
当然、海自や海保の救出費用は、自己負担するのでしょうな。
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テリー伊藤氏や宮根誠司氏と並んで、辛坊治郎氏は嫌いな人物。彼等に共通するのは、「庶民の味方面をして大上段な物言いをするも、本質的には時の権力者に阿った言動が非常に多く、自身にとって得と判断すれば、蝙蝠の様にコロコロと態度を変える。」という点。上記されている様に、小泉首相に対する辛坊氏の阿りは度を越していたし、最近の安倍首相に対する“靴を舐めん許りの阿り”には、呆れ果てるしか無い程だった。
9年前の記事「愚か者達」の中で、当時猛バッシングに遭っていた(イラクに於ける)日本人人質達に付いてチラッと触れた。「彼等に問題が在ったのは確かだけれど、国家は自国民が生命の危機に陥った際は、全身全霊を捧げて、其の救出に当たるのが“義務”。救出に要した費用を『自己責任だから。』という理由で個人に請求するのは“基本的に”在ってはいけないと思うし、猛バッシングしている連中の多くは『自己責任』という言葉を大義名分にする事で『集団リンチ』をし、自身のストレス発散をしているだけ。」というのが、自分の考え。(「基本的に」という但し書きをしたのは、「救出された側に“余りにも身勝手な理由”が在った場合は、“或る程度の負担”は仕方無いだろうな。」と、流石に思うので。)
日本人人質達に対し「自己責任だから、救出費用を負担しろ!」という趣旨の発言を辛坊氏が口にしていたのは知っていたので、今回の救出後のインタヴューで「たった2人の命を、何百人で救ってくれた。本当に海上自衛隊、海上保安庁の皆様には感謝しています。」や「此の国の国民で在って、本当に良かった。」等と彼が言った所で、「美談仕立てにする事で、過去の発言に触れられるのを避ける計算なんだろうなあ。」としか感じられなかった。彼の此れ迄の言動には、そういった“小狡い計算”が結構見え隠れしていたから。海自&海保の人達の救出活動には頭が下がる思いしか無いが、其れを美談仕立てにする事で、己が問題を隠そうとするのは許されない。
過去の言動から、辛坊氏が批判されるのは当然だ。しかし、だからと言って、彼に対して「『自己責任なのだから、救出に要した費用は自己負担しろ!』と過去に言ったのだから、今回要した救出費用を負担しろ!」というのは違うと思う。「国家は自国民が生命の危機に陥った際は、全身全霊を捧げて、其の救出に当たるのが“義務”。」という大前提からも彼が自己負担する必要は無いし、何よりも“嘗ての彼の発言”に怒りを覚えての批判“ならば”、「自己責任なのだから、救出に要した費用は自己負担しろ!」と言ってしまうのは、同じ穴の貉になってしまうと考えるから。
“ブーメラン現象”は民主党の十八番だが、今回に関して言えば、辛坊氏は自身の過去の言動が、ブーメラン現象として跳ね返って来た形だ。其の点に関しては、真摯に反省して貰いたい。
だけどその前に最も非難されるべきは誘拐犯ですよね
もし国から紛争地帯に派兵された自衛隊員が誘拐されたら同じように非難するんでしょうかね?
自ら行った人と国から派兵された人・・・国から派兵された人の心理が聞きたいですね
国が行けと言ったから行ったのか志が有って行ったのか
もし志が有って行ったならイラクで人質になった人と何ら変わりが無いと思いますけどね
国が行けと言われて行って人質になったとしたらかわいそうですね(口が裂けても言わないか)
内戦状態のシリアで狙撃された女性ジャーナリストは死んだから世間とマスコミはヒロイン扱いだけど人質になったらどんな扱いをされたのでしょうか?
同類のマスコミは絶対に非難しないと思うけど
話はズレますが人質と身代金と言ったら赤軍のハイジャックですが福田さんは今も犯罪者の要求を飲んだ事で叩かれてますが
俺自身や俺の家族が人質だったら早く身代金を払ってくれと言いたいです
一か八かの強硬突入なんかやって欲しく有りません!
当時の人質や人質の家族に聞きたいですね福田さんの判断について賛成か反対か
バカカツヤ&バカ三宅自身とその家族は氏でも良いけど(ちょっと言い過ぎたかな)
物見遊山的な感じで危険地帯を訪れたなら話は別でしょうが、危険に対する認識が甘かったにしても、其れなりの志を持って向かった人間が危険に陥った時、「自己責任で在り、死んでも当然。」といった感じでバッシングするのは、“人としての品性”からもどうかと思うんです。ナイフ様が書かれている様に、非難されるべきは誘拐犯で在り、誘拐された側では無い。どうも「自己責任論」を振り翳す人間には、「バッシングする事在りき。」というのが根底に在るケースが結構見受けられる気がします。
どんな思考や主張をしようが、其れは個人の自由。(勿論、他者に迷惑を掛けたり、自身の思考や主張を他者に強いるのは論外ですが。)でも、説得力を持たせるには、少なくとも「どういう対象で在れ、“同じ判断基準”に基づく事。」というのが必須だと思うんです。人間誰しも好き嫌いは在り、好きな対象には甘くなり、逆に嫌いな対象には厳しくなってしまう面が在るのは止むを得ないのですが、でも“同じ判断基準”を心掛ける必要が在る。同じ事をしても、「彼の人のファンだから、其れは問題無い。でも、此の人は好きじゃないから、何をしても許さない。」というので在れば、他者から共感は得られない。自分も好き嫌いがハッキリしている方ですが、其の点は留意しなければと、常に思っております。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。
他サイトで使ってるハンネ(ナイフ)を使ってしまいました
ネット上では、日頃の発言内容を見ていると充分に知性的であり思慮深くもあるのだと確信できる人が、誰かを批判する際に
「こういう奴はひき殺してもいいことにしてほしい」
「こういう輩には死んでほしい」
等の言葉遣いを平気ですることが多く、しばしば残念に感じています。
今回、マヌケ様が書きこまれた内容、全く同感です。自分が記事で書けなかった点迄も補って戴けた感が在り、在り難くも思っております。
「寛容さが失われつつ在る社会」というのは、日本だけでは無く、海外でも増えている感じがしますね。閉塞感の高まりから、仮想敵を作って叩く。「寛容さが失われた社会」も含め、近年は(自身は当然経験しておりませんので、飽く迄も文献等で感じる範囲ですが。)「戦前の雰囲気」に似た感じを持つ事が多い。
自身のブログで暴言を記し、猛バッシングに遭っていた岩手県議が昨日、自殺した事が報道されましたよね。当該する暴言には「アホだなあ。」と呆れ返りましたが、だからと言って執拗に、其れも「死ね!」と言わんばかりのバッシングをネット上等で行っている連中には、其れ以上に呆れ返っていた。身内が生活保護を“不正受給”していた(本当に不正なのかは、個人的に疑問を感じていますが。)として、某御笑いタレントが“集団リンチ”に遭いました。と言うか、未だにネット上では彼に対する集団リンチが行われています。中には「死ね!」といった書き込みも。悪い事をしたのかもしれないけれど、でも「自殺に追い込まれる程の悪」だったのか?
自身にとって不都合な対象に対して、ネット上で“信者”を煽り立てて嫌がらせ行為をさせ、そして攻撃対象を完膚無き迄に叩き潰すと、「貴方達の勝利です。」なんぞとアホな書き込みをする国家の長。そんな国では今後も、集団リンチで自殺に追い込む事が容認され続けて行くのでしょうね・・・。
「人としての品性の欠如」も在りますが、「想像力が著しく欠如」しているというのも、最近増えている感じがしますね。「自分がもし相手の立場で、同じ様な言動をされたとしたら、果たしてどう思うか?」、其れを考えたら安直に「死ね!」とか「自殺しろ!」なんて言葉は吐けないと思います。
「他者に厳しいけれど、自分には大甘。」、自分も偉そうな事は言えない人間だけれど、そういう感じの人も増えていますね。「他者がしたら『自己責任』で叩くけれど、自分が同じ事をしても許される。」というのでは、何等説得力が無い。所謂「極右」とか「極左」と呼ばれる思考の人達に、そういう感じの人が多い様に感じられるのは、極めて残念な事。
ただ一言思うのは「返ってくるもんなんだね」ってこと。
うーん、天木さんも鬼の首とって喜んでるようで下品とは思うけどね…(私この手の人も苦手。大学の先輩に多かったタイプだし)。
それでも「返ってくるもんだな」と。
人間ですから、好き嫌いが在るのは仕方無い。好きな人間に対しては概して甘い見方をしてしまうし、逆に嫌いな人間に対して厳しい見方をしてしまう事も在る。唯、「公の場で評論家的な発言をする事を生業としている人間は、極限迄“同じ判断基準”で語る努力をしないと駄目。」だと思うんです。そういう意味では特定の政治家とべったりな関係に在り、阿った言動をする連中は論外。
個人的には、「仮令自分(giants-55)と相容れない主義&思想の人間で在っても、是々非々で厳しい主張を出来る人間。」は好きだったりします。でも、同時にそういう人達は、「自身が主張した厳しい批判がブーメラン現象で我が身に降り掛かった場合、妙な言い訳で逃げようとせず、確りと非を認めて謝罪する勇気が必要。」とも思う。今回の件で言えば、くどい程に“美談仕立て”にしようとしているのが見え見えで、「きちんと非を認めないと、今後、貴方の主張に耳を傾けてくれる人は居なくなりますよ。」と辛坊氏には言いたいです。