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「携帯電話が無かった時代に、大変だった事ランキング」(gooランキング)
1位: 恋人の家へ電話をする時(親に出られる危険性)。[53.8%]
2位: 待ち合わせに相手が来ない時(駅の掲示板等に伝言)。[50.4%]
3位: 電車等の遅延連絡(公衆電話が長蛇の列)。[37.0%]
4位: 緊急に電話をしたいけど、10円玉もテレホン・カードも無い時(100円玉では御釣りは出ない)。[32.6%]
5位: 外出時、電話をしたいのに、公衆電話が中々見付からない時。[31.0%]
6位: 沢山の電話番号を記憶したり、アドレス帳に手書きでメモしなければならなかった。[29.2%]
7位: 家電を設置するのに、7万円(1980年代)程の電話加入権を払う必要が在った。[25.0%]
8位: 待ち合わせはメジャーな場所にする必要が在った為、人が多い所では捜すのが大変。[17.2%]
9位: どうやって電車を乗り換えれば良いか迷った時(乗り換え検索が出来ない)。[13.8%]
10位:写真を撮りたい時は、カメラを持ち歩かなくてはならなかった。[12.4%]
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6年前に「携帯電話が無かった時代」という記事を書いたけれど、一定年齢以上の人だと、「今は携帯電話が在るけれど、無かった昔は大変だったなあ。」と思う事柄を、結構思い浮かべたりする事が在るのではなかろうか。
携帯電話が普及した頃合いとなると、“感覚的には”「20年位前かな。」という思いが在る。そうなると、「今の20代以下は、物心が付いた頃には、普通に携帯電話が周りに存在していた。」という感じだろう。だから、彼等には「携帯電話が無かった頃、こういう事で大変だった。」というのを想像するのは難しいだろうし、そういう発想の有無で“世代分け”が出来そう。
前にも書いた事だけれど、携帯電話が無かった頃、彼女と連絡を取り合うのには、家の固定電話に掛けるしか無かった。彼女の親が電話口に出る事を想定し、「どういう話し方をしたら、彼女の親から好印象を持って貰えるか?」を必死で考えてから電話を掛けたもの。行き成り彼女が出たら、「ラッキー!」とホッとしたっけ。
そんな自分では在るが、「携帯電話が無かった時代に、大変だった事。」となると、真っ先に思い浮かぶのは2位の「待ち合わせに相手が来ない時。」だ。
兎に角、相手と連絡が取り合えないのだから、「何で遅れてるんだろう?寝坊か?其れとも、電車が遅れているのか?急病という事じゃ無いよなあ?まさか、自分が待ち合わせ時間を間違えたか?」等、彼此気を揉んだ挙句、1時間程待って来なかったので、「○時○分迄待ったけれど、来なかったので帰ります。 XX」と駅の掲示板に書き込み、帰宅した事も在った。
9位の「どうやって電車を乗り換えれば良いか迷った時。」というのは判らないでも無いが、自分の場合は「携帯電話が無かった時代」というよりも、「“乗換案内”のソフトウェアが無かった時代」というイメージの方が強い。「駅すぱあと」が登場した時は、本当に在り難かったので。
ということしか、乗り換えソフトがない時にはどうしようもなかったですね。
どの列車に乗り継ぐのか、ってのはJR(いや待て、国鉄だった!)どうしならば時刻表を読んで何とかなる私にとっては別にどうということなかったです。
その頃阪急電車の沿線に住んでいた時には、冊子式の時刻表が発売された(1回くらいしか覚えがないのですが)には即座に購入しました。
ただ、今でもそうなのですが鉄は「よく使う路線なら」頭に概ね入ってしまうものなのです。
念のため確認するのに乗り換えソフトといったところで、そんなに極端にありがたくはないですね。
地図もそうでしたが、時刻表も見るのが苦手な人間でしたので、昔は乗り換えに付いて専ら駅員に確認していました。と言うか、今でも事前にソフトウェアで確認しなかった場合は、矢張り駅員に聞いている始末です。
ですので、路線図が頭の中に入っているという人は、凄く羨ましいし、尊敬してしまう。
今年1年、大変御世話になりました。来年も、何卒宜しく御願い致します。良い年の瀬を御過ごし下さい。
以前、俳優の大和田獏氏が語っていたのですが、上京して俳優活動を始めた頃、売れなかった自分を兄で在る大和田伸也氏が良く面倒見てくれたそうです。「TV局等からの連絡で必要。」と、固定電話及び電話加入権も伸也氏が支払ってくれたとの事で、感謝の意味も込めてずっと其の電話を使っているとも。
そうなんですよね。当時は電話を持つ事自体が、金銭的な面も含めて、結構大変な事だった。だから、「下宿の大家さんが電話を取り次いでいた。」なんていうのも、決して珍しく無い光景だった訳ですが、今の若い子からすると想像出来ない事でしょうね。
便利さを得た事で、逆に失う物も在る。ツイッターは面白いツールだとは思うけれど、極めて短い文章(時には単語だけ。)で全てを済ませてしまうというのは、長期的に見たら失う物が少なく無いのではないかという気がしています。
今年1年、大変御世話になりました。来年も、何卒宜しく御願い致します。良い年の瀬を御過ごし下さい。