一寸前に新年を迎えたと思ったら、もう2月・・・月日が経つのは本当に速い。
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「理科の実験で『アルコール・ランプ』が使われなくなった理由」(1月31日、週刊SPA!)
【アルコール・ランプ】
教師や親からの「気持ち悪い。」という声が切っ掛けで、ジャポニカ学習帳から昆虫の表紙が消えた事が話題になった。釈然としない理由だが、何時の間にか姿を見なくなった物は、他にも在る。
理科の実験で御馴染みのアルコール・ランプが、学校で使われなくなっている。何故?共立女子中学高等学校の桑子研先生は言う。「取り扱いが難しく、注意点が多く、危険だからです。」。
危険の理由は、「児童・生徒が、実験机から落とす可能性が在る。」、「アルコールが少なくなると、ランプの中でアルコールが気化し、爆発する可能性が在る。」等などだそう。
「又、アルコール・ランプに火を点ける際、別の火の点いたアルコール・ランプで火を点け様とすると、液が傾いて芯の近く迄行って、燃え上がる可能性も在ります。」。
【ガス・バーナー】
又、校庭のライン引きの白い粉も、現在は余り見られないと聞く。
「土の校庭では今でも使用されていますが、ウレタンや人工芝の校庭が増えているからだと思います。又、ライン引きの成分が変わったのも、特徴かもしれません。」(同)。
昔は水酸化カルシウム(消石灰)を使用していたそうだが、水に溶けると強いアルカリ性を示す。此の為、触ると手が気触れる等の可能性が在る他、目に入ると危険だそう。因みに、現在の成分は、安全な炭酸カルシウムや石膏等が使われている。
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土の校庭が当たり前だった・・・と言うよりも、土の校庭しか無かった子供時代。ウレタンや人工芝の校庭を最初に目にした時は、「土じゃないのか・・・。」と驚いてしまったもの。ウレタンや人工芝の校庭には、未だに違和感を覚えたりする。
校庭の“材質”が変わったのだから、ライン・パウダーが使われなくなったのも、当然と言えば当然か。
アルコール・ランプと言えば、理科の実験用具では“花形”の1つだった。其れがガス・バーナーに取って代わられていたとは「へー。」という感じ。取って代わられた理由が「危険だから。」という事で、具体的な理由を読むと「成る程。」と思わないでも無い。
でも、ガス・バーナーだって「児童・生徒が実験机から落とす可能性が在る。」だろうし、「空気調節を上手くしないと、一酸化炭素中毒を引き起こしたり、バックファイヤーが起こったりする危険性が在る。」だろう。又、悪戯好きな子供ならば、同級生にガス・バーナーの先を向け、「火炎放射!」なんて事もしそうだが。
今は危険なことには近づかない『触らぬ神に祟りなし』が教育方針になっているのか。
道理で原発問題もわが身に降りかからない限り、見てみぬ振りがまかり通るわけだ。
家庭も学校も『教育』を放棄してしまっては未来はありません。
昔のマッチで点火する1口ガスコンロを知ってる人間としては何で指導せにゃならんのかわからんレベルなのですが。
高校生になっても使えないってんですぜ!!
もっと問題なのは片づけるときに占めてそのままゆるめない奴。
冷えるとくっついてしまって次に使うときに下のガス調節ねじと上の空気調節ねじをバラバラに動かすことができません。すごく次の使用者が困惑します。
おそらく、センターテストに出したらかなり不正解が多いんではないかな(苦笑)
「“気持ち悪い”から見せない、“危険”だから使わせない。」という安直な方法だと、其の子の持っている可能性というのを、自ずと狭めてしまう気がしますね。トラウマを引き起こさせてしまう様な気持ち悪さのレヴェルだったり、明々白々に危険過ぎるレヴェルならば話は別ですが、そうじゃ無ければ触れさせてみるのも1つの教育。勿論、指導者がきちんと目配りしないと駄目ですが。(目配りするには、余りにも大変な環境というのは在るのかもしれませんけれど。)
肥後守で鉛筆を削ったり、ナイフで林檎の皮を剥いたりするのを、意識的に避けて来た人間なので、ナイフが上手く使えなかったりします。そんな人間なので偉そうな事は言えませんが、マッチを擦れない子が居るというのは驚きです。擦る際の力の入れ加減が判らないのか?其れとも火が点くというのが怖くて、上手く出来ないのか?其の辺が判らないのですが、見様見真似でマッチの擦り方を体得して来た人間としたら、凄く不思議です。
鮒の解剖やら蛙の実験やらは、決して見ていて気持ちが良い物では無い。そういうのを見て、トラウマになってしまう子供も居るだろうし、中には其れが切っ掛けとなって“サイコパス”になってしまうケースも、絶対に無いとは言えない。だから一定の配慮はすべきと思うけれど、「一切見せなければOK。」という物でも無いと思うのです。そういうのを見る事により、「生命の神秘」を感じたり、「生命の大切さ」を認識するって事も在ると思うから。
様々な物事に触れ、経験を積み重ねる事で、人は心身共に成長して行く。「此れは、経験させた方が良い。」、「此れは、経験させない方が良い。」というのは周りの大人達、特に親達が逐一判断して行けば良く、十把一絡げ的に「NG!」とする物では無い気がしています。
「電気コードの中を銅線が通っている事も知らず、断線させてしまい、其処から発熱し、煙が上がって驚いているうちのかみさん」、自分は奥様の事を笑えません。子供の頃とはいえ、「電子ブロック」のパーツをコンセントに突っ込み、“爆発”させたという馬鹿な経験が在りますので。
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/278fae4d0f24b6b6c13999d3fad37185