伊集院光氏の著書「のはなし に」の中に、「『初めて出来た』の話」というのが在る。ドラマや映画で少年時代を回顧する際、その象徴的なシーンとして「初めて自転車に乗れた瞬間」というのが使われたりするが、それに付いて伊集院氏は次の様に記している。
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父親に憎しみを抱く男が、病院で死の淵にいる年老いた父親に会いに行くのを拒む。二人の子供時代を知る第三者から「確かにお前の親父はダメな人間かもしれないが、俺は子供時代のお前と親父のいい関係を見てたぞ。思い出してみろよ。」なんていわれて出てくる回想シーンは、土手かなんかで自転車に乗る子供と後ろから支える父親の画。で、男は病院に駆けつける。とか、その逆で「俺と親父にはそういう当たり前の思い出がない。」みたいな話。いつもピンとこない。普通ないんじゃないのか?
友人数人に聞いてみたが、「いつの間にか乗れてたなあ。」というのが多く、僕自身もそうだ。幼稚園の時に兄のお古の補助つき自転車に乗っていて、いつの間にか補助輪(「こま」とかいったか?)はなくなっていたから、乗れた瞬間の記憶はない。
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「補助輪無しで自転車に乗れた瞬間って、一般的には記憶に無いケースが殆どなんだ。」と、少々驚きが。と言うのも、自分の場合は「その瞬間」を明確に覚えており、「大概の人も同じなんだろう。」と漠然と思っていたので。
自分の場合、補助輪無しで自転車に乗れたのは小学1年の夏休みの事だった。昔から運動神経には全く自信が無く、小学校に上がった時に親から購入して貰った自転車も、なかなか補助輪が外せなかった。「何時も補助輪頼みって訳にはいかないだろ?」と、父親が補助輪を外してしまったのは6月位だったろうか。それ迄は積極的に乗っていた自転車も、外されて以降は怖くて乗らなくなってしまった。
そして迎えた夏休み、少し年上の従兄(♂)が名古屋の我が家に遊びに来た。彼は既に補助輪無しの自転車に乗れており、「俺が協力してやる!」という事になったのだ。家の脇には舗装されていない砂利だらけの坂道が在り、其処で練習する事に。彼曰く「普通の道では一定のスピードが出る迄、自転車がふらついてしまう。だから転んでしまうんだ。坂道を利用すれば直にスピードが出るので、ふらつく事も無い。俺もこの遣り方で乗れる様になった。勿論、俺がずっと荷台を支えてやるから、安心しろ。」と。頭脳明晰なな彼が言うのだから、「そんなもんかなあ。」とアドヴァイスに従う事に。
早速補助輪を外しての練習に取り掛かったが、なかなか上手く行かない。従兄の最大の計算違いは、自分(giants-55)が相当な“びびり”だった事。彼が荷台を支えてくれているとは判っていても、「グン!」とペダルを強く踏み出す勇気が出ないのだ。弱くしか踏み出せないのでは、そりゃあ加速度も付く訳が無い。次第に従兄が強く荷台を押し出したが、それも怖くてブレーキを掛けてしまう自分。昼時から始めた練習も、気付けば夕方近くになっていた。
「上手く行かないなあ。今日は取り敢えず、次の1回で止めておこう。」と従兄。「最後だから強めに押すけど、今度は最後迄手を離さないから、安心してペダルを踏み続けろよ。」と言うので、「手をずっと離さないのなら、実質的に補助輪付きと同じだ。それなら大丈夫。」と安心し、強くペダルを踏み続けた。加速度がどんどん付き、“手で支えて貰い乍らも”坂道の下迄滑走出来た。「有り難う。明日は独力で乗れる様になりたいな。」と感謝の言葉を従兄に言うも、返事が無い。「あれっ!?」と思って振り返ると、坂の上の方で従兄がニヤニヤ笑っているではないか。そう、従兄は最初から手を離していたのだった。
「やれば出来るじゃない。」と笑い乍ら言う従兄、そして“事実”を知って青ざめる自分。その時になって、足ががくがく震え出した。「酷いよ、嘘を付いて!」と怒ったものの、初めて補助輪無しで自転車に乗れた事に「何か大人になった様な気持ち」もして、誇らしい気持ちが湧いて来たのを覚えている。
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父親に憎しみを抱く男が、病院で死の淵にいる年老いた父親に会いに行くのを拒む。二人の子供時代を知る第三者から「確かにお前の親父はダメな人間かもしれないが、俺は子供時代のお前と親父のいい関係を見てたぞ。思い出してみろよ。」なんていわれて出てくる回想シーンは、土手かなんかで自転車に乗る子供と後ろから支える父親の画。で、男は病院に駆けつける。とか、その逆で「俺と親父にはそういう当たり前の思い出がない。」みたいな話。いつもピンとこない。普通ないんじゃないのか?
友人数人に聞いてみたが、「いつの間にか乗れてたなあ。」というのが多く、僕自身もそうだ。幼稚園の時に兄のお古の補助つき自転車に乗っていて、いつの間にか補助輪(「こま」とかいったか?)はなくなっていたから、乗れた瞬間の記憶はない。
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「補助輪無しで自転車に乗れた瞬間って、一般的には記憶に無いケースが殆どなんだ。」と、少々驚きが。と言うのも、自分の場合は「その瞬間」を明確に覚えており、「大概の人も同じなんだろう。」と漠然と思っていたので。
自分の場合、補助輪無しで自転車に乗れたのは小学1年の夏休みの事だった。昔から運動神経には全く自信が無く、小学校に上がった時に親から購入して貰った自転車も、なかなか補助輪が外せなかった。「何時も補助輪頼みって訳にはいかないだろ?」と、父親が補助輪を外してしまったのは6月位だったろうか。それ迄は積極的に乗っていた自転車も、外されて以降は怖くて乗らなくなってしまった。
そして迎えた夏休み、少し年上の従兄(♂)が名古屋の我が家に遊びに来た。彼は既に補助輪無しの自転車に乗れており、「俺が協力してやる!」という事になったのだ。家の脇には舗装されていない砂利だらけの坂道が在り、其処で練習する事に。彼曰く「普通の道では一定のスピードが出る迄、自転車がふらついてしまう。だから転んでしまうんだ。坂道を利用すれば直にスピードが出るので、ふらつく事も無い。俺もこの遣り方で乗れる様になった。勿論、俺がずっと荷台を支えてやるから、安心しろ。」と。頭脳明晰なな彼が言うのだから、「そんなもんかなあ。」とアドヴァイスに従う事に。
早速補助輪を外しての練習に取り掛かったが、なかなか上手く行かない。従兄の最大の計算違いは、自分(giants-55)が相当な“びびり”だった事。彼が荷台を支えてくれているとは判っていても、「グン!」とペダルを強く踏み出す勇気が出ないのだ。弱くしか踏み出せないのでは、そりゃあ加速度も付く訳が無い。次第に従兄が強く荷台を押し出したが、それも怖くてブレーキを掛けてしまう自分。昼時から始めた練習も、気付けば夕方近くになっていた。
「上手く行かないなあ。今日は取り敢えず、次の1回で止めておこう。」と従兄。「最後だから強めに押すけど、今度は最後迄手を離さないから、安心してペダルを踏み続けろよ。」と言うので、「手をずっと離さないのなら、実質的に補助輪付きと同じだ。それなら大丈夫。」と安心し、強くペダルを踏み続けた。加速度がどんどん付き、“手で支えて貰い乍らも”坂道の下迄滑走出来た。「有り難う。明日は独力で乗れる様になりたいな。」と感謝の言葉を従兄に言うも、返事が無い。「あれっ!?」と思って振り返ると、坂の上の方で従兄がニヤニヤ笑っているではないか。そう、従兄は最初から手を離していたのだった。
「やれば出来るじゃない。」と笑い乍ら言う従兄、そして“事実”を知って青ざめる自分。その時になって、足ががくがく震え出した。「酷いよ、嘘を付いて!」と怒ったものの、初めて補助輪無しで自転車に乗れた事に「何か大人になった様な気持ち」もして、誇らしい気持ちが湧いて来たのを覚えている。
逆上がりがなかなか出来ずに苦労しました。逆上がりの出来た喜びのほうが記憶にあります。(はて、いまできるのかな?)
補助を両方ともつけていて、
一気に両方はずそうとしたのでは?
私は途中で片輪にして走り回っていて
ある日親が「じゃあ外そか」と
外して、その日に乗れたと思います。
だから鮮明な記憶はないのですが
「○○な日」というのは、覚えています。
しかし最近は
補助輪つけた子供は、あまり見かけません・・
嬉しかったですね。^±^
補助輪の期間が長かったように感じました。
年齢を問わず、それ迄出来なかった事が出来る様になると嬉しいもの。特に子供の頃は悪戦苦闘した結果成功すると、自身がとんでも無く成長した様に感じちゃうんですよね。
運動神経が全く駄目駄目な自分でしたが、何故か鉄棒関係は直ぐに出来ました。向き不向きっていうのが在るのかもしれません。(身体が硬いので、柔軟関係の運動は全く駄目でした。)
自分が子供の頃の自転車の価格って、今の自転車のそれよりも高価な感じは在りましたね。感覚的に言えば”、今の電気自転車よりちょい安い位の感じかと。
自転車を乗りまわしていた小学生時代、「ローラースルーGOGO」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%BCGOGO)なる乗り物が登場し、これが欲しくて堪らなかった。乗っている友達を見ては、羨ましくて羨ましくて。
ハムぞー様の書き込みを拝読する迄全く意識していなかったのですが、確かに自分の場合は「補助輪を、一気に両輪共外してチャレンジ。」していましたね。何と無くですが、片方だけ外した方が両方外すよりも、バランス面で怖さを感じたからだと思います。
自転車に補助輪付けた子って、そう言われてみれば見ないですね。最初から補助輪無しで乗っているとも思えないし、一体どうしているんだろうか?
自転車ネタだということで、思わず食い付いてしまいました。
今でこそ自転車を趣味としていますが、僕が乗れるようになったのも少し遅めで、小学1年のGWでした。
最近はコマ(←関西では補助輪をこう言います)無しで乗れるようになる為に教える方法論がかなり確立されています。
簡単に書くと、先ずペダルを外して両足で蹴って進み2輪で走る感覚を覚えさせます。その後ペダルを付けてペダリングをさせてやると、比較的早く乗れるようになるようです。
また、自転車も3、4歳から乗る事が出来て成長に合わせてハンドル・サドルの高さを変えることが出来る者が多くなっているので、小さな頃から適切なポジションで乗ることが出来るので、直ぐに補助輪無しで乗れるようになるようです。
最近補助輪を見ないのは、それらが理由だと思われます。
)書き込み有り難う御座いました。
「先ずペダルを外して両足で蹴って進み、2輪で走る感覚を覚えさせます。」というのは、頭の中で「先ず補助輪在りき」という思考が出来上がっていましたので、目から鱗が落ちる思いでした。(先日、家庭で簡単にクレープを作る事が出来るという「クレープメーカー」なる商品が、TV番組で取り上げられていました。クレープを作る上で難しいのが「クレープの生地をプレートに載せて薄く伸ばす。」という点。しかし、この「クレープメーカー」は、素人でもそれが簡単に出来る。詳細は下記URLを見て戴ければと思うのですが、要は「発想の転換」。「プレート上に生地を載せ、そして伸ばす。」のでは無く、「プレート側に生地を“付けて”、そして焼く。」というスタイル。「一寸視点を変えただけ。」とも言えますが、その「一寸視点を変える」というのが実は難しい。補助輪に固執するのでは無く、ペダルに着眼したというのも、「一寸視点を変えた」事で出来上がったという感じがしますね。)
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/07/10/029/index.html
そして「幼い頃から、適切なポジションで乗る事が出来る。」というのも併せて、これならば補助輪に依存しないスタイルというのも納得です。それで近年は、補助輪の付いた自転車というのを目にしなくなったのですね。又、謎が1つ解明され、すっきりしました。有り難う御座います。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
「クレープメーカー」は非常に面白いですね。日常生活や仕事でも、「一寸視点を変える」というのを生かしたいですね。