国土交通省木曽川下流河川事務所が主催する木曽三川流域開放講座が桑名市の桑名メディアライブで開催されました。演題は「閘門建設を請願した人々と幻の閘門」—佐藤義一郎、椙村保寿、小池正一らの活動と幻の鰻江川閘門— でした。
講師は大同大学名誉教授の久保田 稔先生でした。
「閘門建設を請願した人々と幻の閘門」— 佐藤義一郎、椙村保寿、小池正一らの活動と幻の鰻江川閘門 — のチラシです。
今回の会場。
桑名メディアライブです。
1階が多目的ホールとなっていて2階が保健福祉部が入り、3.4階が桑名市中央図書館となっている複合施設です。
講義の始まる前の多目的ホールです。
講義を進める久保田 稔先生です。
今日の資料です。
本題に入る前に新聞記事の紹介です。
左は船頭平閘門のレンガに刻印があると言うものです。大量のレンガが使われていても、すべての物に刻印があるわけではない。それに刻印は中で隠れてしまうので表に出てくるのは珍しいのだそうです。
右は三河版なのですが、レンガが安城で作られたのではなかろうかと言うものです。
講義は「閘門建設を請願した人々と幻の閘門」—佐藤義一郎、椙村保寿、小池正一らの活動と幻の鰻江川閘門— で、3人の人物を紹介していきました。
佐藤義一郎の経歴です。桑名銀行の頭取を務めた。
こちらは椙村保寿の解説です。
生後、間もなく視力を失いました。
松平定敬などの桑名藩士は官軍に抗戦し戊辰戦争後、桑名藩は逆賊として取り潰されました。
大久保利通らと親交が厚かった同藩出身の椙村保寿の嘆願が有り桑名藩は再興を許され、松平定敬は桑名藩知事に任じられました。
嘆願に尽力したことは有名ですが、三重県会議員を務めています。
木曽三川の分流に寄り通行が閉ざされて舟運に差し障りが生じたので、閘門を設けるように嘆願しました。
もう1人の人物。
小池正一です。
三重県の会計課長や土木課長を務めました。
そして、退職後は諸戸の番頭として活躍しました。
繁盛していた桑名港が鉄道の開通により衰退していきました。
揖斐川橋梁の完成により関西(カンセイ)鉄道が全通しました。
桑名市中央図書館
3階と4階が桑名市中央図書館となっていました。
休憩時間に入館してみました。
受付です。
こちらは雑誌などが並んでいるコーナーです。
一般書が並んでいます。
路面電車の模型が有りました。
模型の説明です。
昭和19年に廃止となったと有ります。
運行したのは短い年月でした。
斜めから見ました。
こちらは正面からです。
桑名を走った路面電車の解説です。