遅ればせながら名作『ジョーカー』の続編を観てきました。
映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』予告 2024年10月11日(金)公開
んーーー判断の難しい作品ですね。アメリカでの賛否両論も興行不振も分かる気がします。
大傑作『ダークナイト』で故ヒース・レジャーが一世一代の迫真の演技で観る者を圧倒したジョーカー。
そのジョーカー誕生の物語を狂気の演技で演じきったホアキン・フェニックスの『ジョーカー』。
甲乙つけがたい両雄の作品は、僕の中のランキングでも未だ上位に留まっています。
今さら『ジョーカー』 - 表通りの裏通り (goo.ne.jp)
前情報を一切排除(予告編は何度も劇場で観てるけど)して観た『ジョーカー2』(このタイトルじゃダメ?以下これでいきます)は、てっきりアーサーが一層狂気の世界に入り込み、宿敵バッドマンと対峙するちょっと前あたりまでが描かれるのかと勝手に思い込んでいました。
しかも前作があれほどのインパクトを残しているし、歌謡界きっての演技派(だと思いませんか?)レディ・ガガとの共演。否応なしに期待しちゃいますよね。
期待値があまりにも高かったせいか、正直?マークがいっぱい並んでいます。一回しか観ていないので断言はできません。しかしどうしても前作と比べちゃうし、その前作で作り上げたホアキン版ジョーカー(=アーサー)のキャラクターが、極悪人から弱いオジサンになってしまいました。ここまで前作からキャラ変させるのって珍しいし、大きな賭けだったのでは?
このキャラ変は、厳しい病院への収容生活で強制的に変えられたものなのかどうかは分からないけど、本作では以前の凶暴さが影を潜め、妄想の中以外では暴力的な行動が出てきません。その妄想の中の破壊シーンはさすが!の一言ではありますが。
とても個人的な意見を一つ言わせてください。
ほぼ全編がミュージカル仕立てだったせいで、映画『ジョーカー』の持つ猥雑で陰湿で暗く救いのないゴッサムシティの街外れ感が薄まってしまったように感じました。もっとも物語の9割が病院内と裁判所ではありましたけど。
個人的には、ここまでアーサーの内面をえぐるようなストーリーにするのであれば、今や唯一無二の演技派ホアキンさんなんだから、あの変幻自在の表情とセリフ回しだけでじっくり見せて欲しかったです。幾度も挿入される妄想の中のリーとアーサーのステージのシーンだけがミュージカルっぽい作りだったらメリハリがあって飽きなかったかな。裁判所のシーンの緊迫感漲るやり取りがスゴく良かったので一層そう感じました。
『ジョーカー2』に関して賛否が渦巻いている理由は、多分僕も含めて”前作を超えるハチャメチャなアーサー(=ジョーカー)が観たかった”お客さんが多かったのではないでしょうか。劇中のガガさん演じるリーも、今の腑抜けとなってしまったアーサーではなく、悪の権化に覚醒しつつあった(これも彼女の願望・妄想でしょう)ジョーカーに恋をしていただけでは?裁判でアーサーが罪を認めた瞬間に恋から覚める表情(ガガさんの名演技!)を見せたとき、そう確信しました。そんな相手のウラをかくつもり(かどうかは分かりませんが)で、トッド・フィリップス監督はこのようなアプローチを仕掛けてきた気がします。
それでも裁判所の爆破はリーの仕業だと思っていたのに、アーサーがファンに連れられ逃亡(この時ラジオから流れるビリーの「マイ・ライフ」にグッときました)し、命からがらリーの住むアパートに向かう途中のあの階段(ブロンクスに実在するそう。今度ニューヨーク行ったら行かなきゃ)でのシーン。ここでもガガさんはとっても冷めた表情でアーサーを見つめながら別れを告げます。物語前半に見せていた”ジョーカー好き好きビーム”を発していたリーと、ジョーカーになり切れないアーサーに見切りをつけた後のガガさんの表情のギャップは背筋が凍る思いがしました。やっぱりガガさん上手です。
そして衝撃的だったラストシーン。
面会に来たのは誰だったのか?
それともおびき出すためのウソだったのか?
アーサーの笑みの理由は?
もしかしてこの『ジョーカー』シリーズは『ダークナイト』には続かない、アナザーストーリーだったのか?
もうこれでこのシリーズはおしまいなのか?
色んな意味でモヤモヤの残る映画です。一度観ただけだから良し悪しの判断はつきませんが、何故全米で賛否が渦巻いたのかを確かめるためにも是非劇場でごらんください。
前作から続く撮影監督のローレンス・シャーさんがフィリプス監督と作り上げた独特の世界観を表現したくすんだ色みの映像美は大スクリーンでこそ映えると思います。
追伸:
場面の約8割で誰かしら煙草を吸っているので、観終わった後自分が煙草臭くなったように錯覚をおこしました(笑)