未来にまっすぐ、市政にまっすぐ。まっすぐな人、池渕佐知子。無党派、市民派の前吹田市議会議員です。
未来にまっすぐ(池渕 佐知子のブログ)
1リットルの涙
今日の午後、メイシアターで開かれた2006人権フェスティバル。アイルランド民謡の音楽も良かったけれど、『1リットルの涙』の原作者のお母さん木藤潮香さんのお話がとても良かった。
本当は全部聴いていたかったけれど、3時過ぎに千里山で人に会う約束があったので、最初の30分ぐらいしか聞けなかったのが残念。
早速家に帰ってから、amazonで本の購入予約をした。
テレビドラマになったとき、1,2度しか見ていないけれど、難病と闘い続ける亜也さん(ドラマでは沢尻エリカが演じた)の一生懸命な姿に何度となく涙した。
・・・私はめったに泣かないのだけれど、このドラマは泣いてしまった。
今日も30分弱しかお話を聴いていないのに、それでも涙が出てしかたがなかった。
病気のせいで歩き方が普通ではなくなって、ほかの子どもも大人たちもがその歩く姿を見て「へんな歩き方」「歩き方だけじゃなくて頭もおかしいんだろうか」という言葉を聴きながらも、お母さんにもだれにも辛さをぶつけられずにいた亜也さん。
お母さんが「このごろ、どう?」と声をかけたとたんに大声で泣き出した亜也さん。
子どもは、特に思春期の子どもは自分のプライドもあり、いじめられている自分が嫌だと思うことに加えて、そのいじめに負けそうになっている弱い自分も嫌だから、親にもだれにも弱音をはけなかった、という言葉。
子どもが、誰かに助けを求めるとき、助けてもらえると思って求めている。いくら「助けて」と声に出しても助けてもらえないとわかっていれば、助けは求めない、という言葉。
一つ一つの言葉が心にずしっと重く伝わってきました。
本当は全部聴いていたかったけれど、3時過ぎに千里山で人に会う約束があったので、最初の30分ぐらいしか聞けなかったのが残念。
早速家に帰ってから、amazonで本の購入予約をした。
テレビドラマになったとき、1,2度しか見ていないけれど、難病と闘い続ける亜也さん(ドラマでは沢尻エリカが演じた)の一生懸命な姿に何度となく涙した。
・・・私はめったに泣かないのだけれど、このドラマは泣いてしまった。
今日も30分弱しかお話を聴いていないのに、それでも涙が出てしかたがなかった。
病気のせいで歩き方が普通ではなくなって、ほかの子どもも大人たちもがその歩く姿を見て「へんな歩き方」「歩き方だけじゃなくて頭もおかしいんだろうか」という言葉を聴きながらも、お母さんにもだれにも辛さをぶつけられずにいた亜也さん。
お母さんが「このごろ、どう?」と声をかけたとたんに大声で泣き出した亜也さん。
子どもは、特に思春期の子どもは自分のプライドもあり、いじめられている自分が嫌だと思うことに加えて、そのいじめに負けそうになっている弱い自分も嫌だから、親にもだれにも弱音をはけなかった、という言葉。
子どもが、誰かに助けを求めるとき、助けてもらえると思って求めている。いくら「助けて」と声に出しても助けてもらえないとわかっていれば、助けは求めない、という言葉。
一つ一つの言葉が心にずしっと重く伝わってきました。
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講演会
午後から、ちさと(千里山・佐井寺図書館)の復元教室で講演会があり参加しました。講師は98歳の書道家 李径さん(菅谷 藍さん)で、タイトルは「私の戦中戦後の体験~元女子挺身隊長の思い出 開戦65年目~」でした。
98歳とは思えないほどの声の張りといっきに1時間お話できる元気。とてもエネルギッシュな方でした。女子挺身隊というのは、戦時中に未婚女性や未亡人が銃後の守りのために集められたもので、菅谷さんは大阪の隊長をしていたそうです。
その当時のお話や、大阪空襲でたくさんの人が亡くなったときの話、いよいよとなって自宅に帰ったら知らない家族が家にいた話、禅寺で修行をしたときの話など、今の時代から思えばすべて言葉では言い表せないぐらいの悲惨で辛いことだったと思うのですが、それを時には聞いている私たちが思わず笑ってしまうぐらい明るくお話してくれました。
菅谷さん曰く、普通ではない状況だったから、今であればできなかっただろうと思うことでも、何のてらいも恐れもなくできたのではないかとのことでした。お話を聞き、そういうことができてしまう恐ろしさが戦争にあるのだと、だからこそ、戦争をしてはいけないのだと思いました。
「平和」という言葉を使わずとも「平和」について考えさせられた今日の講演会でした。
また、今は書道を教えておられるのですが、「教えることは習うこと」だと言われたのが印象に残りました。同じような言葉に「助けている自分が助けられている、救われている」という言葉があります。また、「子どもを育てている自分が育てられている」ということもいえます。
「相手に○○してやっているんだ」というような奢った姿勢ではなく、相手に何かをすることによって、自分が経験を積むことができ、人間として育っていっているのだということを心に持っていたいと思います。
98歳とは思えないほどの声の張りといっきに1時間お話できる元気。とてもエネルギッシュな方でした。女子挺身隊というのは、戦時中に未婚女性や未亡人が銃後の守りのために集められたもので、菅谷さんは大阪の隊長をしていたそうです。
その当時のお話や、大阪空襲でたくさんの人が亡くなったときの話、いよいよとなって自宅に帰ったら知らない家族が家にいた話、禅寺で修行をしたときの話など、今の時代から思えばすべて言葉では言い表せないぐらいの悲惨で辛いことだったと思うのですが、それを時には聞いている私たちが思わず笑ってしまうぐらい明るくお話してくれました。
菅谷さん曰く、普通ではない状況だったから、今であればできなかっただろうと思うことでも、何のてらいも恐れもなくできたのではないかとのことでした。お話を聞き、そういうことができてしまう恐ろしさが戦争にあるのだと、だからこそ、戦争をしてはいけないのだと思いました。
「平和」という言葉を使わずとも「平和」について考えさせられた今日の講演会でした。
また、今は書道を教えておられるのですが、「教えることは習うこと」だと言われたのが印象に残りました。同じような言葉に「助けている自分が助けられている、救われている」という言葉があります。また、「子どもを育てている自分が育てられている」ということもいえます。
「相手に○○してやっているんだ」というような奢った姿勢ではなく、相手に何かをすることによって、自分が経験を積むことができ、人間として育っていっているのだということを心に持っていたいと思います。
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