<軍艦島に上陸>
雨だったが、運よく上陸できた。
軍艦島は、長崎半島から西に約4.5km、三菱石炭鉱業(㈱の主力炭鉱があった高島から南西に約2.5km、長崎港から南西に約19km(約40分)の沖合に位置する端島」(はしま)。
端島は、南北に約480m、東西に約160m、周囲約1,200m、面積約63,000㎡という小さな改定炭鉱の島で、塀が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶ、その外観が軍艦「土佐」(1942年建造の戦艦)に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。
炭鉱閉山後、長い眠りについていたが、2009年1月5日に世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の更生資産の一つとして、また新しい歴史を刻もうとしている。(パンフレットから)
<端島の歴史>
端島では、1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が小規模な採炭を行っていたが、1890年、三菱合資会社の経営となり、本格的海底炭鉱として操業が開始された。出炭量が増加するにつれ人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため、1916年には初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が建設され、最盛期には約5,300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達した。
エネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山した後は、同年4月に無人島になった。
(パンフレットから)