かくして日本語あれこれ百科は150をもって話題をひとめぐりした。日本語あれこれ事典からはタイトルだけをもらって、この、あれこれ百科に書き記したことは、その内容をいちいちに参照して書いたものではない。いわば、それこそ、サイト筆者自らの独断であるが、似たような物言いにはなっている。それでサイトにおける記事内容ということにつて思いをはせることになる。ちょうど日記のリマインダーというサービスで日々1年前の記事を送ってくると、それをニューストピックのコーナーに張り付けているわけであるが、これまた、どういうことかを心得ることがある。つまり、10年日記を書き続けてそのできごととその思いとは一日のごとく変わらないということだ。こういう思いを抱くのは3年連用、とか、5年連用の記録を見れば一目瞭然のこととなる。2006年を取り出して、ブログを引用すると。 . . . 本文を読む
処暑は8月23日、定気法と好恒気法とで決めるようだ。太陽の黄経150度か、冬至から2/3年を数えた日である。分かりやすく立秋ののち15日となる。処字は旧字体で處字になる。字通によれば、虎+几 き、虎形のものが几、腰かけにかけている形とする。訓義に、おる、聖所におる、またその、ところ、というのをはじめ、おちつく、すむ、やどる、そして、おく、すえる、きめる、あつかう、おさめる、やめる、などとある。厚さをおさめる意となる。2014年の夏は大気不安定で雨、おおあめである。広島市内で土砂災害が起こった。死者不明は90人を超える。一晩で1か月の1.5倍の雨量による山崩れが山際に迫った住宅に襲った。大変な状況だ。台風が始まる時期になる処暑には気象異変がある出来事だ。 . . . 本文を読む
日本語は中国語を取り入れた。漢語を日本語のかたちのひとつとした。中国語は現代中国語として見るものではない。古代漢語である。その古代というのは歴史区分で言えば、中国の秦、漢を典型とする古代に相当する時期の古代である。秦、漢、三国時代から、晋、十六国、南北朝時代にかけて、隋の時代までの影響がまずあるだろう。581年に隋を建てる、首都大興城、西安、そして618年、唐を建てる、首都長安の時代である。遣隋使、遣唐使の果たした中国文明との接触、中国の文物の移入は計り知れない。
遣隋使が派遣されたのは、推古天皇15年、607年7月3日、小野妹子らが派遣された。隋書、東夷傳俀國傳は高祖文帝の問いに遣使が答えた様子を載せる。 . . . 本文を読む
歴史となると記録である。歴史記述として歴史書がある。それは歴史物語としてもある。語られる歴史として記録し記述される歴史書と、人々の記憶にある歴史を語ることと、そのいずれが歴史であるか。日本語教育の歴史に、その記録を求めるとすると、その歴史研究としてのことがらがある。また歴史には時代をわけて時間的な経緯に述べていくものと、出来事の起こりを視点としてそのものごとの伸張また消長を述べる立場がある。日本語教育の歴史を見ると、時代的な画期をもとにその流れをたどることができる。視点にはいくつかのとらえ方があるだろうが、日本語を外国語教育としたのは、やはり、留学生に行った教育の歴史である。わたしには1980年代の留学生について変化があったことをとらえている。その前に日本語教育の歴史にとらえられるのは、なにか。 . . . 本文を読む
語彙は語の集まりである。彙字について、中国の古辞書、説文には、はりねずみが身を丸めている形、という説明がある。中国の許慎が9353字を540部に分類した、説文解字 せつもんかいじ がある。語彙という用語を、vocabularyの翻訳とする。それはまた、単語集、用語範囲の意である。語彙について国語学が語彙論ををすすめ、1950年代以降の研究がその用語の定義を明らかにし、多く、辞書義はそれに従う。すなわち語彙とは、デジタル大辞泉では、彙は集める意、ある言語、ある地域、分野、ある人、ある作品など、それぞれで使われる単語の総体、とする。また、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説には、ある一つの国語、方言あるいは作品などの単語の総体とある。そして、現代英語の語彙、東京方言の語彙、源氏物語の語彙、などのようにいうと、その捉え方をあげる。 . . . 本文を読む
51人安否確認できず 広島 死者不明90人のおそれ 土砂災害 計31か所 中日新聞トップ記事、見出しである。20140822
リードには、広島市の土砂災害で、広島県警は二十一日、安否の確認が取れず行方不明の人が五十一人に上ると発表した、とある。
>死者は三十九人で、最悪の場合、死者・行方不明者は九十人に達する恐れが出てきた。死者三十九人のうち、新たに十七人の身元も確認し、身元判明者は計三十一人となった。
中段の見出しに、「昭和天皇実録」24年かけ完成 とある。20140822
> 宮内庁は昭和天皇の生涯の公式記録「昭和天皇実録」を完成させ、二十一日に天皇、皇后両陛下に提出した。編さんに二十四年余りを要し、分量も過去の天皇実録で最長となる。宮内庁は情報公開請求の対象となる行政文書と位置付けており、九月中旬に内容を公表するほか、来年三月から五年計画で全巻の公刊も始める . . . 本文を読む