おおかれ少なかれ、というか、どちらにせよ、というか、言いもしなかったことに、ないものねだりは致し方ないが、批判はあるとして、はて、この記事は何を伝えようとしたのかと首をかしげる。朝日デジタルから、首相演説、受け止めに差 米議員「感謝する」/中韓側「自賛だけ」 米上下両院合同会議 2015年5月1日05時00分 この見出しのもとに、英語と日本語訳にニュアンスの違いがあるようなことを指摘する。14版総合3面。さらに、首相の米議会演説、評価は? 安保や歴史認識、日米の識者に聞く 2015年5月1日05時00分 14版総合4面 として、両論併記のようにもみえ、扱いの差が見えるようでもある。記事に指摘する翻訳の違いを見ても、英文がもとで、日本語訳としているところをよく読むと、その受け止め方による識者たちの意見なのか、中韓の表現理解なのか、この記事の示すところ、決まったように謝罪と歴史認識への言及にあり、その有無だけを取り沙汰している。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/端午 >この日を端午とする風習は、紀元前3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに汨羅江に身を投げることとなる。それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。しかし後漢末の応劭による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず、また南朝梁の宗懍(そうりん)による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。 . . . 本文を読む
端は初めという意味で、午は五に通じ、端午で五月初めの五日という意味になる、と解説する。 風習の由来は中国東周時代の政治家、屈原を供養するために始まった。三国志の時代に日本へ伝わったとされるそうだ。北方の詩経に対して南方の楚辞、屈原の離騒に故事を見る。>《離騷》是戰國時期楚國詩人屈原的收录于《楚辭》中的著名作品,其準確寫作年份迄無定論。中國最長的抒情詩.全詩共373句,2490字. >詩の様式としての楚辞は六言ないし七言で謡われ、元は民謡であり、その源流は巫の歌にあると言われている。中国北方の文学に対して非常に感情が強く出ており、音律を整えるためのものである兮の字が入ることが特徴。 . . . 本文を読む
五月晴れ、さつきばれ、と、読むと、ごがつばれ、と、読むときと、意味に違いがあるそうである。皐月は陰暦の呼称だから、ちょうど、梅雨の時期になるということから、その晴れ間をさして意味する。それを誤用としての用い方に、新暦の五月に使って、梅雨期でない、さわやかな晴れをさして言うようである。皐月晴れと、五月晴れと、その表記であれば読みわけができる。陰暦の気候と、新暦の気候とが重なった風情になる。国語辞典の説明と百科事典の説明とを読んでみると、ブリタニカの記述に、説明解釈があるのは、わかりよいし、世界大百科のように、そのものの記述となっているのも、そうだろうと思わせて、5月の晴れわたる様子と、6月の晴れ間とで、どちらの語感が生きるかを考えさせられる。 . . . 本文を読む