世間ずれを、悪賢くなった、とする、この解釈はおかしい。勘違いをするな、と言うのも、おこがましい。世間ずれは、本来、要領よくなった、社会になれている、という意味が当てはまる。辞書にある、世知にたけている、というのを、世渡りがうまい、として、悪賢いとするか、要領がよいとするか、である。辞書の解説で、日本国語大辞典が、世間ずれる という項目で、小利口になる、悪ずれする という解説をする。これは、すれる の語釈で、>多くの人に接して世慣れる。世間になじむ。また、世間でもまれて純粋さを失ったり、悪賢くなったりする。世間ずれがする。 というところから、出ている。ソフィスティケート sophisticate [名](スル)《「ソフィスティケイト」とも》趣味、考え、態度などが都会的に洗練されていること。「―されたもてなし」 この意味内容とは対照的である。 . . . 本文を読む
日本思想、日本文化の講座は久しくなかった。それは1990年代にまで及んだ。いまもなお、その状況は変わりないかもしれない。日本を語ることをしなかった。ところが、日本人論となると、日本の民族を議論することの、日本民族のルーツを探ることに困難があるかのように行われなかった。敗戦による精神論が失われたことによるようである。日本文化、日本文明はその拠るべきを見失っていた。教育の場で文化文明のその内容を語ることが行われない時期と状況を抱えていた。 . . . 本文を読む