おに は、おん 音変化だとする。これは、古辞書に見える、語源になる。>(「隠(おん)」が変化したもので、隠れて人の目に見えないものの意という)死者の霊魂。精霊。*十巻本和名類聚抄〔934頃〕一「人神 周易云人神曰鬼〈居偉反和名於邇、或説云於邇者隠音之訛也。鬼物隠而不欲顕形故以称也〉」*観智院本類聚名義抄〔1241〕「神 カミ オニ タマシヒ」 もののけ としてみあっれていた。 >)人にたたりをすると信じられていた無形の幽魂など。もののけ。幽鬼。*日本書紀〔720〕神代上(水戸本訓)「此れ桃を用て鬼(ヲニ)を避(ふせ)ぐ縁(ことのもと)なり」*日本書紀〔720〕欽明五年一二月(北野本訓)「彼の嶋の人の言(こと)に、人に非ず、とまうす。亦の言(こと)に鬼魅(オニ)なりと言して敢(あ)へて近(ちかつ)けず。〈略〉人有りて占へて云はく、是の邑人(さとひと)、必ず魃鬼(オニ)なりと為」 桃が鬼を防ぐとされたのは、中国由来の、桃の実の神話伝承にあるか。
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日本文化論の変容とはその説明に従えば日本文化の特殊性の認識にある。日本文化の特殊性は日本が特殊であると語られ続けていたことへの内実を明らかにしようとするもので、それは日本人とはなにかを問い続けることへの答え探しでもある。敗戦を契機に語ることが可能となった議論である。その特殊性は日本の家族観にある。いわば家族国家観と呼ぶべきものである。個人主義という呼称も漱石による見方であり、それにはおのれの物言いを持てと天衣無縫の漱石ならではの考え方と、状況に現れた、純粋無垢であるところへの回帰を唱える、日本人の姿を知るには堕落する思想のありようがあてはめられるのは、そこに著者が視点を据えて家族同胞の国家観を見直せと言うことであった。日本人は疲弊し自らを見失い経済にに困窮していたのであるが、そこに戦後があった。 . . . 本文を読む