日本文化論がさかんとなったのは、菊と刀を再論するようになってからだろう。それは経済大国といわれるようになる、日米の貿易摩擦が原因する。その摩擦と言い得るのは、1950年代に繊維製品摩擦、1960年代に鉄鋼摩擦、そして1970年代になって、カラーテレビ摩擦、自動車摩擦と、その製品でとらえられた、いわば日本による保護貿易である。次いで1980年に半導体摩擦となって、輸出の自主規制として日本はこれまで繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車などで規制を行ってきたが、ついに1985年のプラザ合意でドル高を是正する、円高の誘導を実施するに及んだ。日本からの輸出は、1ドルが240円だった、為替レートが1ドル120円になってしまう。そうして1989年日米構造協議が開始され、1990年代の日米の協議、包括経済を協議するようになる。 . . . 本文を読む
夏目漱石「夢十夜」
第九夜
戦争(いくさ)
裸馬(はだかうま)
周囲(まわり)
暴(あ)れ廻(まわ)る
足軽(あしがる)
犇(ひしめ)き
追掛(おっか)けて
家(いえ)
森(しん)として
何処(どこ)か
床(とこ)
草鞋(わらじ)
穿(は)いて
頭巾(ずきん)
被(かぶ)って
雪洞(ぼんぼり)
灯(ひ)
闇(やみ)
射(さ)して、
生垣(いけがき)
檜(ひのき)
照(てら)した
御父様( . . . 本文を読む
口から、食べかけたご飯を噴きだすのは、どんなときか。フンパン と、フンマンと、これは、噴飯ものというのと、憤懣やるかたないというのと、そのいずれかを知れば笑いと怒りの相違であることがわかる。食べかけるご飯を、こらえきれなくなって、それは多くは笑いが原因であるから、口を開けることになってしまっては、たまらないだろう。くしゃみがこらえきれない連想もよいかもしれない。もし怒りで大声をあげるようなことになれば、口を開けてご飯が見えるかもしれないが、噴きだすところまでは至らない。と、こういうふうに解説をしても、この慣用句は、笑いをこらえきれないようすを表現したもので、笑いそうなことだ、笑ってしまったということである。 . . . 本文を読む