みそか、みそか、晦日を13回数えると年周期が現れる、月の暦であったのが、日にちに
太陽の周期を見て、大小の月を配した日、陽の動きとなった暦である
卯月晦日を、しかし、何回経験をして、一生のこととなるか、それは百を超えない
わずかな経験であるの過ぎないから、それをだけ、科学とした大昔には太古の時間があった
人類の蓄積には親世代から子世代への伝承が行われて
それは遺伝したのであるから、一代限りの経験数を何代も続けた
それは天文学数字にはなるかならないか、わたしの代までの二千年には
30代から50代のことであろうか、50歳とするか70歳とするかによる
わたしが30人続けば、さかのぼってたどれば、歴史以前となってしまう
10年のことで昨日のようにとは言えないから、1000年を想像するのは
もとよりできない脳の働きである、といいながら、実は、藤井4段の指し手には
脳が蓄積する直感が働くというから、うーむ・・・ . . . 本文を読む
文体史は文章体にある、それは文章表記体に見る歴史であると国語学の泰斗は言い、国語の静態を指摘した。文体史が文章表記史にあるのは、日本語の歴史に見る特異な現象である。当初は書記としての見方であったが、それを表記行動に写してみるなら、表記の選択には言語の担い手にある想像、創造による作業があったのである。静態に見る規範は必ずしも動態の規範を制約するものではない。表記主体の文体の選択はいつの時代にも言語にある意思の表れである。通史を現在からみるか、時間をさかのぼる、その時点から始めるか、それは出来事による起点でもあるが、その立場によって記述はことなってくることがあるだろう。表記史に漢文か、和文か、あるいは真名文か、仮名文か、それは書記された結果による分類でしかないから、和化漢文の実態を明らかにするのは、漢文と日本文の経過をみるに過ぎなくなり、そこに起こった言語現象の価値判断は困難である。個々の意思に解釈が施されることになるからである。 . . . 本文を読む
核弾頭の成功にある実験段階を迎えている北朝鮮である。核実験といながら、ミサイルの成功は着弾をすると、戦争となる。失敗を報道し続ける韓国軍は米軍とともに牽制をして核弾頭の成功を言うことはない。緊張続く中で朝鮮半島から発信する映像には閲兵をするパレードにかつての軍事国家、いまは隣国の国慶節に見せる姿に重なって、これをやりたくて強盛大国を理想していたかと思わせる。軍人を従えた大将に見えるとしたら、そこまでのことだが、これからは取引にするものは何か。武力を背景にした、石油か、エネルギー資源を手にれようとするのか、食糧支援か、いずれを得ようとしても武力の威嚇ではグローバル経済の中で立ち行くことはない。発展途上の国には、自動車産業が国を建てて、電子工業がそれを維持し、その消費を経済欲望の喚起にうつし行く、と、ある現実世界が見える。 . . . 本文を読む