右手にくっきりと出ている。それと知ったのは20代であるから、ずっと見続けてきている。手相を見る、その手ほどきを受けたようなことであった。大学院のころに、中国讖緯思想の研究をしている先生から言われた。キミ、手相の勉強をしなさい、ということだった。袴をはいて風呂敷包みから取り出すテキストは授業にも雰囲気を醸した。お公家さんかとも見まがう、おっとりとして、そう、色白の顔にかけたメガネはまるぶちであったし、髪の毛は天からふわりと頭に乗って、漢文の授業をしていたので、それこそ静寂の教室に、淡々と読み進めた。授業での印象よりも、ともに作業をするようなことがあって、その雰囲気のままにち密に物事の分析をしていた。物静かで、大声を立てたりすることはなく、周りの教員から手相を見てもらえとばかりにけしかけられて、やおら、おもむろにカバンから取り出したテンガンキョウ、そこに見えたわが手相の線をじッと見て、とくに話すことではない、ただ一言だけ、さきの神秘の十字を教えてくださったのである。それで、のちのち、教えを仰ぎたいと思ったのであるが、ご著書を読んで、いっぺんで分かってしまったので、手相には少しの関心が持てる。 . . . 本文を読む
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[結びの由来]
菊結びは、菊の花をモチーフにした結びですが、その縁起は「聴く」からきています。
「聴く」とは、物事を受容し理解する姿勢であり、相反するものをまとめていく力です。
菊結びの霊験は問題を解決に導く力、物事をスムーズに運ぶ力です。
白山信仰の菊理姫(きくりひめ)がイザナギ・イザナミの神々の争いを . . . 本文を読む
儒教は聖人君子の教えである。仏教は仏の安寧である。そして日本の原始信仰には自然への崇拝がある。それには宗教の信仰と哲学にすみわけがある。現実、死後の世界、そして来世への祈りである。政治に儒教を入れて、その経典は君子の教えを民人に施した。漢語漢文の学びのゆえであるから、寺子屋で君子の仁たるを暗誦する。素読のゆえである。永くその典範を仰ぐことになる。政治にはまた、国家を鎮護する法をいれて、民族の精神を仏の願に見い出し、念仏信仰を確かにした。いわば、日本宗教であった。その儒学と仏法の真理において、民人は神をいただいてきた。日本人の心性はその自然崇拝の霊を見いだすことにある。世界は洋の東西をもって知性理性の目覚めを促し、それまでの哲学に絶対者との問答を加える論法が導かれる。直観と慈愛は宗教世界へと遷り、目覚めに学問が開かれて、東洋西洋の学びを知る。はて日本の学びは、なににおいて実現をしてきたのか。 . . . 本文を読む
はたして記録には予見している。いま2018年であるから2008年のできごとをどのように見るか、記憶にしまい込んでしまったのだから、それを取り出してみることは難しい。ブログ日記は何気に、それを書きつけているので、そこに詳しい顛末を見るものでもない。しかし、その記録の片言隻句にあらわれて、見方を知る。余ほどなことでない限りに、その記憶があるわけではないから、この10年の記憶を取り出す実験はそれなりに、脳の働きにあるものか、10年前のさらに10年をたどると、1998年となる。このときから、10年後の2028年は世代を作る。 . . . 本文を読む