日本語教育史をとらえると、日本語学習、日本語教師、そして日本語教科書などの教材として、教育学の教育方法にあわせて考えることになる。日本語教育が学校で行われるなら、その例には、宣教師たちの布教のための語学習得、コレジオの歴史をはじめ、大学での日本研究、日本学など、民間に目を向けてもその教育機関としてのものがある。あるいは、戦略とする言語習得となると、これは見えるもの、見えないものとなって、そのとらえ方は古来、困難がある。ロシアにわたった漂流民は方言を伝えてぺテルスブルグまで日本語を運び、さらにそれは、ヨーロッパに広がる日本学となる。戦時、米軍の語学将校としてみれば、近くは第2次大戦中にあって、日本語の速習が開発されて教授にも特徴を持つことになったものがある。現代の日本語教育は、近代に行ってきた国語教育の日本語ではない、外国語教育の日本語となって、第2言語の理論を取り入れるが、日本語とその文化で際立っての現象が出てきている。コミック、アニメなど話し言葉をさらにくだいているコスプレの日本語であるが、日本語のスピーチコンテストにアフレコ日本語なるものが現れている。 . . . 本文を読む