日本語文法に基本文型がある。文型があればその基本となるもの、おそらく文型は数限りなくつづられる日本語にあって、その一つに文型をもって分析すれば、あてはまるものを抽出することになる。その要素をとって、文の法則、文法の分析とすれば、そこには基本文型がわかればとらえやすくなるので、行われるように、主語述語の文型と、言語主体の述語文型となる。国語教育で、文末にある表現形式を3種に分けて、文末の名詞と指定断定の形式による文、文末に動詞があってそこに形式には動詞の活用とあるいはまた語尾となるものが活用する文、そして形容詞による言い切りの文であるが、それを名詞文、動詞文、形容詞文と簡便な呼び方をしている。日本語教育ではその文型に、言語の発話にもととなる存在の表現を動詞の文型としておくことと、単位文に分ける一つに複文構造を析出しておく。形式の名称で、…wa…ga構文とするものをおく。この文型について日本語教育では強調の文として見ることもできるし、夏は太陽がまぶしい という言語主体の文に、夏は太陽がまぶしいのである という含意を持たせた、独立した用法を見る。 . . . 本文を読む
横書きに、ローマ字名を姓名の順に書くように海外メデイアに要請をするというニュースが流れた。20年もの前に政府が提唱したものを、慣行は悪しくも、改められなかったということだろうが、このたびにまた、例えば、安倍晋三首相は、Shinzo AbeからAbe Shinzoとするような、21日河野外相が記者団に対し、海外メディアによる姓、名表記の例に中国の習近平国家主席 Xi Jinping、韓国の文在寅大統領 Moon Jae-inなど、ほかのアジアの人名では長らく慣例化されていると述べて要請をして促している。>「西洋文化の影響」
読売新聞の英語ニュースサイト「Japan News」によると、西洋文化の影響が増えた19世紀から、日本人の名前表記は近隣諸国とは違う、独自路線を歩んでいった。
姓名の順番入れ替えに関する議論は、何十年も続いてきた。
文部相(当時)の諮問機関である国語審議会は2000年12月、ローマ字表記であっても「姓・名」の順番が望ましいとし、国内のメディアや出版社、大学に対し、言語や文化の多様性を自覚し、それを活用することを求めたと、産経新聞は報じている。
河野外相は3月、外務省が公式文書におけるローマ字表記を「姓・名」に変更するか検討していると述べた。
新天皇の即位に加え、6月28日から大阪で開かれる主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)や2020年東京オリンピック・パラリンピックなど、今後国際的なイベントの開催を控えている今が、氏名の表記の順番を変更するにはちょうど良い時期だとしている。
毎日新聞によると、柴山昌彦文科相が「姓・名」の順で表記するよう関係機関に求めるなど、河野外相の方針は政府内で支持を得ている。 . . . 本文を読む
山部赤人、歌聖とあがめられて、柿本人麻呂と並び称された。万葉集にその業績を残す作歌年代が天皇の行幸に従駕している代表作であるので宮廷の職業歌人の様相がある。古今集の序文、人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける、との評を受けて、当時の受け止め方であったろう、大伴家持による山柿の門という、儀礼的な長歌の貢献があったのである。 . . . 本文を読む
主語を言わなくても日本語はどうして通じるのかという質問について、日本語に主語があるので、それを明確に表現するかどうかのことで、言わなくても通じるのは文法上の主語を場面、文脈上にわかっているからであるということを説明する、あるいは、主語と述語を必須にしないのではなくて、主語、主体についての捉え方を知るとわかりよく、主語に対して、主体をとらえているのは言語主体が話し手であることを了解する表現法があるからだということを、主語を言う会話内でわざわざ明示する必要がないことがあるのが日本語である、と、主語を文における要素として分析することは、その文章を理解する上で重要な解釈となるが、そのほかに動詞について目的語をとる、とらない表現かどうかということを明らかにして、言語主体を知ることがある。モダリティの分析には言語主体による話し方、その法である説明が多く欠落してしまっている。 . . . 本文を読む
柿本人麻呂、その人である。万葉集に名を遺して影響を与えた一人者である。歌人である。その生涯に宮廷賛歌、儀礼を歌い上げた、万葉集の全歌数のほぼ10%を占める彼の作品は、その実は多く人麻呂歌集にあるとするものから編集されたとみられ、人麻呂自身の作であるかどうかの議論があるものもあり、宮廷歌人と目される、その優れた歌の数々にあわせ生涯の事績には神秘めく謎がとらえられている。作品の世界には古代王朝の争いを跡付けるドラマが読み取れる。また人麻呂は人麿とも書く。万葉集に万葉仮名表記の日本語史になる興味のある事実があるので、その歌体をなす日本語の表し方に、略体、非略体の別が認められて、和歌を記録する日本語の表記法は漢字をどうとらえていたかを日本語の成立に知らせるものがある。 . . . 本文を読む
代表的歌人は、額田王、柿本人麻呂、高市黒人、山部赤人、山上憶良、高橋虫麻呂、大伴旅人、大伴家持など。
http://www1.odn.ne.jp/~cbg28720/manyou/s_kajin.htm
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第一期(古墳時代~大化改新前後)
磐姫皇后・雄略天皇(伝承として)
舒明天皇・有間皇子・天智天皇・天武天皇・藤原鎌足・鏡王女・額田王・・・
第二期(白鳳時代)
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万葉の例、家持の「天皇の 食す国なれば みこともち 立ち別れなば」(17-4006)
みこともち 命、御言葉、用法には、>天皇の命を受けて土地の政治を司る者をいう。紀では、新羅の「宰」(神功前紀)、遠江の国の「司」(仁徳紀)などが「みこともち」と訓まれている と見える。万葉神事語辞典 万葉集に、命持ち歌人と説明があるのは、文学者による学説の展開である。さらに代作の語を用いて、代作者、代作歌人となり、それはまた宮廷歌人に連なるが、はたしてその行為はどう見るか。 . . . 本文を読む
万葉集を語るには歌人を取り上げてその歌を鑑賞する。例えば初めに登場するのは伝説の歌人、額田王である。その有名に比して、歌人としてのこすのは、事績は歴史上の人物としての正確な記録は万葉集をおいてほかにはない。それだけに万葉集にある人物像となる。額田王はその名を額田姫王として、その記述には鏡王の娘で十市皇女を生んだと正史には記すが、その事実は系譜をたどりえないとされる。みこと持ち歌人、代作者のことは万葉集にある。 . . . 本文を読む
失言による議員の役職辞職で与党がその対策マニュアルを出したそうで、失言防止として、失言は切り取られることを意識すると言ったようなことを注意書きしているようである。どうか、ニュース、取材録によれば、 ><1> 歴史認識、政治信条に関する個人的見解 <2> ジェンダー(性差)、LGBTについての個人的見解 <3> 事故や災害に関し配慮に欠ける発言 <4> 病気や老いに関する発言 <5> 気心知れた身内と話すような、わかりやすく、ウケも狙える雑談口調の表現 というものである。ここには、選挙を控えて党内引き締めの必至のこと、コトバには責任が伴うという、政治家のイロハであるから、成熟してというか、生産的な議論をすすめてほしいもの、である。そこに、野党の議員が戦争の語を口にして、党から除籍処分を受けたという報道があった。酔っていたとか、参加をしたのはまた、住民たちとの話というから、これはテープ録音でのニュースになる内容は、はたして、どのレベルのものか、向こうの議会に発言が引用されたそうだから、どうなっているのか、わからない。 . . . 本文を読む