伝承歌という。国民的文学にふさわしい。とりどりの歌がおさめられている。雄略天皇御製と伝わる歌は、万葉集に二首、古事記に九首、日本書紀に三首ある。
万葉集の冒頭歌は次である。
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 天皇御製歌
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母。 . . . 本文を読む
令和に、仕事始めとなるのか。10連休を過ごした人々の思いにはいかがか、2019年GW明けの仕事再開ということだけか。海外のマーケット、ビジネスはじっととどまっていたわけではないから、一斉に休暇をとる日本のこのシステムでは、グロ-バル戦略に太刀打ちできまいかと、余計なことを考える。ネット情報の現代進行のことには対応が可能であろうとも思いつつ、働き手の人口に意識がどう動いているかということである。長すぎた休日での、人々の思い思いの家族サービスにあるとして、それは3日ほどで限度があるから、もしもこのような連休があるとしたら、やはり即位の記念ということになる思いが、この特別な日々のこととなる。そうでなければ、仕事のあいまなら、週休2日で慣れて、さらにはシフトによる息継ぎで日常は足りている。働き方改革というと、一斉のゴーサインが出るような国民性にはまだまだ、人々の意識改革なのか、経済の効率なのか、日本の労働人口は自らが考えなければならない。 . . . 本文を読む
歌番号といった、国家大観番号である。万葉集だけではない。国書として歌集、物語、日記の所収歌など、和歌索引書、各句索引として知られる。それぞれ正編1901年明治34年、続編1925大正14年、新編1983年昭和58年、2年ないし9年をかけた。正編に二十一代集、万葉集、新葉和歌集、歴史歌集、日記草子歌集、物語歌集の53種、続編に六家集、歌仙歌集、諸歌集、私撰集、歌合の113種を収め、新編は10巻全20冊と収載書は飛躍的に増加し、面目を一新している。 . . . 本文を読む
成立論は作品の成立時期を議論する。万葉集は奈良時代、759年以降、成立であるとして、この以降はいつなのかを明らかにすることになる。その手掛かりとなるものは書の成立を述べる、記すものの存在である。出版文化において現代の書籍なら奥付があってそこに記載されているようなことが、古代からなかったわけではない。その作品に序文、跋文、作者による説明のことがあれば、それが成立の事情を明かす。それも時代とともに生まれた、つくられた状況の結果がある。古典文学の作品にはそのようなことを明示する、明記するものがないということがあって、作品の成立時期、作者による作品の成立状況、編者かいて編集があるとその様子など、作者の意識にかかわらず作品としてまとまると、まとめられたものとして伝わってくることによって、後世の学者、研究者によって、そこにある成立の問題が論議される。 . . . 本文を読む
万葉集の時代を歌集編纂の時代に見ると、それは現在時となる、奈良時代であるが、巻軸歌の年次記載、題詞には、天平宝字3年となる、759年春正月一日に因幡國庁で国郡司らを饗宴したときの歌と見える。ほかに年号を記すもので、これより後はないから、万葉集の歌集の編纂された時期、この歌をを下限とすることとなる。在位期間として629年から764年までを見ると、おおよそ135年の間の歌に、伝承が加えられていることになるが、この時間をとらえて、いまから135年前のことを想起する。13代にわたることになるが、この時期には重祚があり、女性天皇がいた時代である。さて、令和のいまから、135年前になると平成、昭和、大正、そして明治の10年ごろ前後までのこと、世代感覚が近い、万世である。近代の画期となった出来事のことではある。 . . . 本文を読む
万葉集に注がある。歌集であるから歌の鑑賞にはかかわりがあることと、それにかかわりなく、注を書いていると見るから、万葉集を読むとわかることを、多くは解説にしている。これは歴史書などに照らし、万葉集の解明に用いることがわかる。題詞にふれているものは歌の鑑賞にふつうのこととなるが、左注は万葉集編纂時の注書きであるので、ここを読むことで古典文学の真実を知ることがある。万葉集の編集、編纂に意味を持つ。万葉集研究では明らかなこと、明らかでないことがこの左注によって示されるので、ここから議論されることがある。 . . . 本文を読む
題詞は作歌事情を書いている。
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 (雄略天皇)
高市岡本宮御宇天皇代 (舒明天皇)
明日香川原宮御宇天皇代 (皇極天皇)
後岡本宮御宇天皇代 (斉明天皇)
近江大津宮御宇天皇代 (天智天皇)
明日香清御原宮御宇天皇代 (天武天皇)
藤原宮御宇天皇代
寧楽宮 . . . 本文を読む
お宮参りに外宮に来た。ここでふと、お宮参りは初宮参り、すると、参詣に来たというのがよいか。しかしそれでも賽銭を入れ2礼に2拍手それから1礼をしてきて、本宮別宮風宮など、ぐるりぐるりとめぐってきて、大変だったから、なにがと言って、ひとの行列ばかり、そこをくっついて回ったようなものだから、拝礼したのである。どうしてこうも神は何も語らず、と感想をもっていた。うまれてこのかた、神社仏閣はでかけはしても、善男善女となることはなかったから、令和の参拝とした。内宮には雨が降り傘にまぎれ、今日はまた、陽が射してあつい、頭皮が陽光を受けて、かがやかしかろうと、いたかった。巡拝には、朝熊山の金剛證寺、伊勢下宮、伊勢鳥羽の二見興玉神社となっていればよいが、朝禊は夕刻になった。 . . . 本文を読む
伊勢神宮内宮に来た。伊勢の参拝客は新年を祝うごと、10万人が押し寄せた。神社が用意したお祝いの菓子は4万個と報じた。赤福の朔日餅も700個が開店すぐにもなくなった。人々は新元号を待ち構えていた。あいにくの雨が降ってきて、午後には結構な降り方であったから、傘をさして参道がうずまった。これは近づけない。おかげ横丁にも行き交う人と店頭で食する人たちのひしめき合いの混雑は先が見えない状態で人が動いていた。行ってきて戻りするのは公共交通機関のバスに乗降があるからである。祝え唄え舞い踊り、でもない、ただ新年に雰囲気に行きつ戻りつ、令和の年はじめである。 . . . 本文を読む
うつろいゆくものは
ときのながれ
あのひはかくかく
こうだったから
こうしよう
こうなればいいとおもい
そのひにな
それとかわらず
すこしかわるといいとねがい
このときをすごしながら
このひは
よかったか
どうだったか
ほーとするときのおもい . . . 本文を読む