〇所神社と表示されている神社がよくあります。何か所かあった神社や神さまを合祀したという意味なのでしょう。信徒の減少や、明治維新のような社会の大きな変革などで、他の神社と一緒になったのでしょう。ただ、境内社のように、お客様といった感じの扱いではなく、だいたい対等な立場で合祀されたということなのでしょう。ただ、十二所神社については、熊野三山の神々を祀る神社を十二所神社といったようで、そういう名前の神社が勧請された場合もあるようです。
二所神社(大足町(おおだらちょう)454)
明治維新のころ、稲荷神社(倉稲魂命(くらいなたまのみこと))と鹿島神社(武甕槌命(たけみかづちのみこと))が合祀されて二所神社といわれるようになったそうです。前方後円墳の上に建てられているそうです。朝房山と大串の十二所神社(下にあります)を結ぶ直線の延長線上にあると書いたものもあります。
三所神社(加倉井町1162)
鹿島神社だったそうですが、明治6年に黒袴神社と、八幡神社を合祀して、加倉井神社となったそうです。さらに、明治7年に三社神社と改称されたそうです。祭神は、建御雷神(たけみかづちのかみ)、大己貴命(おなむちのみこと)、誉田別命(ほむだわけのみこと)だそうで、それぞれ旧神社の祭神なのでしょう。
六所神社(大串町723)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、蛭児命(ひるこのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、月読命(つきよみのみこと)の六神を祀っているそうです。延宝2年(1674)の記録に載っているそうです。
十二所神社(塩崎町)
国常立命(くにとこたちのみこと)外、11神を祀っているそうです。江戸時代には二所権現とあるそうで、明治になってから10神を合祀したのではないかとのことです。
十二所神社(牛伏町(うしぶしちょう))
牛伏古墳群のなかにある藤伏山(古墳)にあり、創建は天平8年(736)といわれているそうです。祭神は、建磐竜命(たていわたつのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、倉稲魂命だそうです。天然痘がはやったために建磐竜命を勧請したのが始まりだそうです。少彦名命、大己貴命ともに、病気の神さまですので、関係があるのでしょう。内原町史には、祭神がこれら4神しか書かれていないのですが、同じ神を祀ったいくつかの神社を合祀したということなのでしょうか。なお建磐竜命は、熊本・阿蘇神社の祭神だそうです。
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