ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の読みにくい漢字(1)

2017-12-15 21:04:14 | 水戸

何陋庵(好文亭)
  徳川斉昭がつくった好文亭内にある茶室で、「かろうあん」と読みます。論語にある「君子これにおらば何の陋(ろう)かこれあらん」からとられた言葉で、文明の行き届かない地でも君子がそこに住めばどんな陋習(ろうしゅう 悪い習慣)でもただされるだろうといった意味のようです。

 

搦手橋(南が東台1)
 「からめてばし」ですが、大手に対して城の裏手をいうそうです。これは水戸城のものではなくて、かつてこのあたりにあった武熊城の搦手だそうです。このあたりは「カラメテバ」と呼ばれていたようです。

 

綱條(新川源流 浜田1)
 水戸徳川家2代光圀の兄、高松藩主・頼重の子供で、第3代藩主となった「つなえだ」です。大願を果たした赤穂浪士を水戸藩で引き取ればと進言された綱條は、それでは水戸藩に忠臣がいなくて義士たちを抱えることになってしまう。死を覚悟した忠義の志士は惜しまれて死すべきだといったそうです。歴代藩主の多くは皆読みにくい名前です。写真は綱條が備前堀の支流として開削した新川の源流で、手前に備前堀があります。

 

涸沼川(写真は平戸町臨海線鉄橋西側から)
 「ひぬまがわ」と読みます。笠間市国見山を源流として、汽水湖・涸沼へ、さらに涸沼湖から流れだして那珂川に合流する川です。備前堀の本流は、平戸町で涸沼川に流れ込んでいます。写真は涸沼川を渡る臨海線鉄橋です。

 

窈窕梅園(偕楽園公園)
 窈(よう)はくらい、おくぶかいといった意味、窕(ちょう)はふかい、しずかといった意味で、窈窕は、奥深いさま、なまめかしいさまといった意味だそうです。偕楽園公園側から徳川ミュージアム庭園へ登る道を窈窕坂というそうです。梅園は窈窕の両方の意味をもたせているのでしょう。また、窈窕坂は、箱根八里の歌にある「羊腸(ようちょう)の小径(羊の腸のように曲がりくねった小道)」の意味を持たせているのでしょう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸の鉄道の話題(2)  | トップ | 水戸の江戸時代創業老舗(4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

水戸」カテゴリの最新記事