ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

ネットでぶらっと水戸(2)

2016-05-21 22:14:13 | 水戸
水戸を知るホームページいろいろです。

水戸梅日記
 水戸の飲食に関してはここにおまかせしましょう。このブログで自分好みの店が探せます。

渡里湧水群を活かす会
 地域にある資源を活かそうとする努力をみることができます。これで行政がうまく協力してくれれば成果がでるのでしょう。

みんなで学ぼう河和田の歴史
 正統派の地域史ですが、新しい試みもしているようです。

逆川を愛する会 & こどもエコクラブ
 鮭、螢などの逆川の自然を伝えます。こうした努力が自然を持続させていくのでしょう。

水戸桜川千本桜プロジェクト
 ぜひ続けていただきたい活動です。ご発展を願っています。

郵ちゃんバンド&黄門さまの漫遊記
 ボランティアの出前コンサートしている方のブログのようです。コンサートは終了したようですが、郵便局に関係している方なのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の佐竹氏ゆかり(1)

2016-05-20 22:03:47 | 水戸

 佐竹氏は、徳川氏が水戸に入る前の支配者です。佐竹氏伝説として、徳川家康による秋田国替え以降、水戸から鰰(はたはた)、金銀、美人、春慶塗がなくなってしまったなどというものがありますが、水戸入り前の期間も含めて約500年間(徳川氏は約350年間)常陸に住んだ佐竹氏の影響力を、これらは示唆しているのではないでしょうか。(写真は神応寺)

水戸城大手橋の擬宝珠(ぎぼうしゅ)
 見川1-1215-1(徳川ミュージアム) 029-241-2721
 「文禄五年(1596)丙申二月吉日造之」と鋳造されているそうで、これは佐竹氏の水戸城にいた時期だそうです。

水戸八幡
 八幡町8-54 029-226-8854
 12代佐竹義宣(よしのぶ)が常陸太田から水戸に氏神を分祀した神社で、一時徳川光圀によって移された後、光圀死後の宝永6年(1709)に現在地に移されたそうです。

天徳寺
 河和田町914-1 029-252-4604
 13代佐竹義人(よしひと)が夫人供養のために常陸太田に建立した寺で、佐竹氏の水戸進出とともに水戸へ、その後佐竹氏の秋田への国替えで一緒に移されましたが、その衣鉢が最終的に現在地に引き継がれたそうです。

愛宕神社
 愛宕町10-5 029-221-9247
 水戸城内にあったものを佐竹義宣が、天正8年(1580)に現在地に移したそうです。火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を祀り、火伏(ひぶせ)の神であるとともに、現在はコンピューター関係にも御利益がある神社だそうです。

神応寺
 元山町1-2-64 029-221-7772
 佐竹義宣が天正19年(1591)に同族・三十二世遊行上人を招いて藤沢小路(現在の梅光2丁目あたり)に創建した寺に始まり、現在地へは延宝8年(1680)に移されたそうです。


水戸に残る佐竹氏の伝説

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の城下町マップで見る備前堀

2016-05-19 19:52:27 | 水戸

                         (写真はマップの備前堀あたり)

 水戸市観光協会が発行している「水戸の城下町マップ 幕末版」は、文久元年(1861)と最近の地図が重ねられていて、新旧を比較することがができて大変興味深いものです。まず、幕末には、堀の始まりが今とまるで違っています。当時の堀は、今の桜川方面から来て荒神橋を過ぎて少し行くと少し左へ曲がるところがありますが、そのあたりだったようです。そしてそのあたりが千波湖東南の末端だったようです。竃(かまど)神社向かいの白梅一帯は、千波湖です。ですから、竃神社は千波湖畔に建っていたわけです。一番目の橋は「タマゲバシ」(銷魂橋)、次は「道めきはし」(「き」はマップの通り 道明橋)、その次が三叉橋(みつまたばし)となっており、それに続く橋は文久の地図には描かれていないようです。酒門墓地(常陸山橋)は当時あったはずですから、そこへ行く橋はあったと見てよいのではと思うのですが。道明橋(どうめいばし)を「道めきはし」と表示しているのはどうしてなのでしょう。今の伊奈橋、荒神橋がこの当時なかったということは確かなようです。昔の地図を見るのは面白いものです。

備前堀初めの八つ橋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳川頼房時代(1609-1661)の遺跡(1)

2016-05-18 21:28:03 | 水戸

                        
                          (写真は頼房奉納の銅造灯籠)

東照宮
 水戸市宮町2-5-13 029-221-9025
 元和7年(1621)の創建で、現在のものは復元。戦前の国宝で、日光東照宮のように極彩色の権現造りだったそうです。

頼房奉納の銅造灯籠
 水戸市宮町2-5-13 029-221-9025
 空襲の火災で焼け残った、東照宮にある灯籠です。慶安4年(1651)徳川家康33回忌の奉納物だそうです。

備前堀(伊奈堀)
 慶長15年(1610)伊奈忠次(ただつぐ)によって開削された、延長3里、恩恵を受けた耕地21カ村1,000町歩という用水路です。

中山備前守信吉(のぶよし)屋敷跡
 北見町1-9
 慶長18年頼房の付家老だった中山信吉に割り振られた屋敷で、石高は15,000石だったそうです。屋敷は代々子孫に受け継がれたそうです。

三木之次(ゆきつぐ)屋敷跡
 屋敷跡(三の丸2-2-29)・墓(見川2-103-1(妙雲寺))
 慶長9年1604に登用されたそうです。頼房と乳兄弟で、大番頭で1,500石だったそうです。

木葉下金山
 木葉下(あぼっけ)町三ケ野
 天和2年(1616)金掘勘兵衛らが鉱脈を掘削しましたが、大雨で被害を受けて廃坑になったそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の「薬」(1)

2016-05-17 21:04:40 | 水戸

                         (写真は東光寺薬師堂)

北斗香めぐす利
 泉町3-1-30 029-221-3857
 徳川光圀が招聘した東皐心越(とうこうしんえつ)禅師から、目薬の製法を岩間東華堂薬局の先祖が伝授され、それが「北斗香めぐす利」という名で今に続いているそうです。

救民妙薬
 茨城県立歴史館、茨城県立図書館にはあるようです。
 徳川光圀が鈴木宗与(そうよ 穂積甫庵(ほあん))に命じて作らせた、農民たちのための簡便な医療法397種を記した出版物だそうです。

水戸市植物園薬草園
 小吹町504 029-243-9311
 救民妙薬に記載された植物などを栽培しています。

東光寺薬師堂
 水戸市大場町1369 029-269-2320
 薬師堂と厨子が市の指定文化財になっています。厨子の中には寺の本尊、薬師如来が安置されているそうです。

中国漢方フローラ薬局 
 開江町743-5 029-253-4793
 店のとなりに公園のようなハーブガーデンを併設させた薬局です。

司命丸
 河和田3-2329-1 029-254-2173
 司命堂でかつて作っていた滋養強壮薬だそうです。店の後方にある自宅のみごとさを見ると、かつての繁栄がうかがえます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする