季のまま彩時記

京都、奈良、大阪の四季折々の景色や、旅で見つけた風景などを写真に・・・

橿原・今井町 その2

2020-03-17 20:27:26 | 町並み歩き

この通りにも景観に配慮されて


床屋や


古美術工房が並びます。


大相撲春場所を前に合宿する朝日山部屋です。


高木家住宅
唯一、この住宅が内部公開されていたので拝観料300円を払って入ると
江戸時代の武具や生活用具が展示されています。


玄関前の土間には泥棒よけとして槍が


行灯・ランプ、火縄銃なども。


奥が書院造りの部屋です。


床の間には


江戸時代の掛け軸と


雛人形が飾られています。


河合家住宅
江戸時代初期より酒造業を営んでいました。




軒下には造り酒屋であることを示す杉玉が吊り下げられています。


趣のある町並みの景色が続きます。


狭い路地も雰囲気があります。


郵便局も古い町屋に合わせた外観となっています。


旧米谷家
切妻造りの町屋で代々金物商、肥料商で栄えました。
伊藤園の伊右衛門(宮沢りえ)のCMとしても使用され、
これで暖簾がかかっていたら絵になるのですが。




玄関を入ると広い土間におくどさんがあります。


これは馬や牛を繋いでおく金物で「駒つなぎ」というものです。


この通りも趣のある町並みです。




町屋茶屋「古伊」
江戸中期からの商家を改造した町屋で、ここで昼食です。


来店者は他になく貸切状態です。


注文したのが「ゆでたてそば&柿の葉寿司、コーヒー」で1,100円。


新型コロナウィルスの関係で町屋内部の見学が限られていたが
観光客は殆どなく、町並みをゆっくりと見学できました。

最後は華甍に戻り今井町を後にしました。

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橿原・今井町 その1

2020-03-16 22:09:00 | 町並み歩き

3月6日 奈良県橿原市にある今井町を訪れました。

今井町は今も大半の民家が江戸時代からの姿をそのまま残る
情緒と風情を感じる町です。



かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した町。
今でも約500軒もの民家が連なります。

江戸時代初期には東西600m、南北300m、周囲に濠をめぐらし
9つの門からは木橋を渡って濠を渡り外部の道路と連携。
内部の道路は屈折があり、見通しのきくのはなく
当初は敵の侵入に備えてのことでしたが
江戸時代中期には裕福な商人の生命と財産を守ると
いうものに変わったとのこと。

今ではNHK連続テレビ小説の「あさが来た」や「ごちそうさん」のロケ地として
使用されました。

先ずは華甍(はないらか)の駐車場にバイクを置き、町歩きの情報収集です。

今井まちなみ交流センター(華甍)
明治36年に博物館として建設、昭和4年から今井町役場として使用され
今では今井町の歴史に関する資料を集めた資料館として運営されています。




ところが、新型コロナウィルス感染予防のため華甍は閉館で
殆どの伝統的民家の内部の見学は中止となっていました。


最寄駅となる近鉄八木西口駅からは飛鳥川を渡ると蘇武橋のエノキがあります。


その近くにある観光案内板で見学の順序を抑えます。


町に入ると早々、古い町並みが軒を連ねます。


山尾家住宅
肥料・木綿商で幕末には両替商も合わせて行っていました。
丸木の塀が歴史を感じます。


旧上田家住宅
明治の頃までは肥料・精米・絞油業で栄えました。


格子の塀におもてなしの心遣い。


通りには青果の店が・・・。


この通りには電柱はなくレトロ感ある街頭が立ちます。


上田家住宅
かまどの上には煙り出し屋根がついています。






豆腐の店
軒下には豆腐の自動販売機が町並みとアンマッチ。


風情ある木塀の民家や店が並びます。


今西家住宅
今井町の西にあるのは、その名のとおり今西家です。
立派な城郭風の外観です。


塀の外側は復元された環濠です。


おしゃれな茶屋も出ています。


立派な漆喰の蔵も建ち並びます。


紙半豊田記念館とカイヅカイブキ
景観重要樹木に指定されているこの大木はどのように剪定しているんだろうか。


春日神社


お堂には明治30年の絵馬が掲げられています。


豊田家住宅
木材商の家らしく屋号を表す「木」が漆喰壁に描かれています。




その2に続く

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伊根・舟屋の町並み

2019-09-18 20:05:30 | 町並み歩き

9月15日(日) 京都府最北部の丹後半島東岸にある伊根町・
舟屋の町にやって来ました。

1階が舟のガレージで2階が居住スペースとなっている舟屋は
江戸時代から存在するとされています。

周囲5キロメートルの湾に沿って約230軒が並び、その景観は
国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。

建ち並ぶ舟屋の風景。


舟屋を間近に見ることができます。


先ずは観光案内所から西側に入り江に面した舟屋の通りを歩きます。

創業250年の造り酒屋、向井酒造。
 

道路を挟んで海際には販売所があります。


暖簾の横には杉玉と花火の筒。


舟屋は、海際に建てられ、通りを挟んで山側にある住居の母屋としているのが多いです。


舟屋の扉が開いていたので撮らしていただきました。


民家の駐車場にお邪魔して振り返った湾岸風景です。


軒下にはブイがぶら下がっています。


再び来た通りを戻ります。


人通りもなく静かな通りです。


本通から山側の通りを覗いてみました。


観光案内所の近くまで戻ってきました。


伊根浦公園から見た舟屋の建ち並ぶ風景。


隙間なく建ち並びます。


布団が干され、生活感ある景色です。


岸壁や桟橋が整備されているので、絵を描く人たちや


魚釣りを楽する人で賑わいます。


次に伊根漁港に向かって歩きます。

漁港では漁船が数隻と網が干されています。




漁港から南に向かった歩きます。

1階が全面格子になっている舟屋らしい民家です。


玄関にはガラスのブイや


アンパンマンのブイが飾られています。


舟屋の間から見た風景。


白漆喰塗の蔵が建ち並びます。


白が眩しい蔵です。






木塀が多いのは潮風に当たるからでしょうか。


舟屋の先にはボートが浮かび、船揚場、物置、作業場があります。


港は干満差が少なく穏やかで、遊覧船が往来します。


遊覧船のお店。


明治から昭和初期にかけて建てられた舟屋の町並み
いつまでも残ってほしいものです。

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高島市・大溝城下町

2018-07-22 21:10:15 | 町並み歩き

7/14(土)海津の街並みを散策した後に訪れた
のが大溝(おおみぞ)城下町、現在の勝野地区です。

大溝は、琵琶湖の北西岸、比良山地と琵琶湖の
間に位置する集落で戦国時代末期、琵琶湖の畔
に築かれた大溝城の城下町として栄えました。
江戸時代には城下町に用水路を整備して今でも
利用されています。

湖西線の近江高島駅から湖畔方面に5分程歩く
と城下町の面影を残す勝野地区があります。
軒を連ねた古い町並みや民家や商家を利用した
アイルランド交流館びれっじが点在し、今では
観光スポットになっています。


大溝の街並み
通り一帯は昔の面影が感じられ、
古い商家を保存・改修し味と工芸の町として再生されています。



高島びれっじ

江戸時代の旧商家を改修し食事や体験を楽しめる店舗となっています。


高島びれっじ1号館
店内はキャンドルの製作体験ができます。
江戸時代、この周辺は「蝋燭(ろうそく)町」と呼ばれ、
蝋燭の製造や販売をする店が集まっていました。




左手の建物が1号館、奥の右手が7号館です。

奥へ入って振り返って右手が1号館。


此方はカレー屋さんの5号館。


さらに奥にはカフェが入る6号館です。


此方はパン屋、お食事処、ヘアーサロンの高島びれっじ2号館です。




此方は高島のお米と地酒を扱う「まいもんや米屋酒屋」。
 

 

荻乃露酒造元 福井弥平商店
江戸時代中期、寛延年間(1748~51)の創業で270年の老舗です。










大溝陣屋
総門と呼ばれる長屋門が現存しています。
武家屋敷地への出入り口の正門であったと考えられています。





民家






町割用水路
道路の中央を用水路が流れます。
城下町の町割りの整備で作られた飲用、防火用の水路です。
昔はこの水路に琵琶湖の魚がのぼってきたという。




鮒寿司
創業400年の歴史を鮒寿司の老舗です。




ステンドグラスの玄関灯がある民家。


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高島市・マキノ町海津

2018-07-20 22:33:42 | 町並み歩き

7/17(土)高島市マキノ町海津を散策してきました。

琵琶湖の北西に位置するマキノ海津は江戸時代になってからは北陸と海津を結び、
また、海津から京都、大津への湖上の交通とを結ぶ重要な宿場町、港町として栄えました。

今でも、琵琶湖の景勝地として「日本さくら名所100選」に選定されるなど桜の名所としても
有名です。

旧街道の街並み






吉田酒造

明治10年創業の造り酒屋です。











波除の石垣

湖岸には、風や波から家を守るために延々と続く石積みが残されています。
この石積みは、江戸時代にこの地の代官の西与一左ェ門(にしよいちざえもん)
によって作られた立派な石垣です。







旧街道に佇む民家










海津迎賓館

寺院のような山門を金色に塗装された建造物ですが・・・
この歴史的な街並みには似合わないような気がします。




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信州・小谷村~千国宿

2018-06-08 20:45:06 | 町並み歩き

5月26日(土) 「塩の道」として知られる千国街道沿いにある牛方宿を後にして小谷へと暫く
歩くと千国の宿にたどり着きます。

千国の宿は寄棟屋根屋に白壁の家々が立ち並ぶひっそりと佇む里です。


集落の南側にある石標から千国集落に入ります。


木立が覆う川沿いの谷間を下りて行くと


最初に目に入るのが2階建の立派な民家です。


玄関を覗くと生活感がなく空家のようです。


かつては民宿だったのでしょうか。


手榴弾消火器
昭和30年前後の頃と思われる消化器です。

茅葺屋根から鉄板被覆に変わった民家が軒を連ねます。


正面の屋根を切り落とした「かぶと造り」の民家が並びます。


周りを山に囲まれた谷合にある集落です。


かつての暮らしぶりが想像できそうな民家や農小屋が佇みます。








千国の宿を貫く千国街道。


江戸時代は越後と信州を結ぶ主要道でありながら、大名行列などが通る華やかさはなく
庶民の生活を支える物資の輸送路でした。




茅葺屋根に白い漆喰壁が映えます。





千国の庄資料館・千国番所の受付と休憩所




千国番所 

ここに江戸時代初期から明治2年の280年にわたり松本藩の千国口留番所(関所)が置かれ
通行税の徴収や塩などの荷物や人改めの監視をしました。




史料館

集落にあった民家をそのまま移築した建物で、いろりや居間、黒光りの梁や板戸、オヒツなど
から昔の暮らしぶりを見ることができます。


長閑な田園風景です。










千国宿は街道の名前にもなって街道の中心でした。
今ではかつての華やかさは感じられませんが
往時を偲ばせる宿場町の暮らしぶりや牧歌的な風景が見られました。

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信州・小谷村~牛方宿

2018-06-05 21:21:19 | 町並み歩き

5月26日(土)小谷村・千国街道沿いの沓掛に
残る「牛方宿」を
訪れました。

牛方とは牛を使って物を運ぶのを仕事とする人。

日本海を臨む糸魚川から信州の松本城下を結ぶ
街道は「塩の道」と呼ばれていました。
その街道は、深い谷あいの山道を牛や人が荷を
背負い塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草を
運ぶ道でした。

そんな牛方と牛が一緒に寝泊まりして疲れを
癒したという「牛方宿」が何軒もあったようです。


牛方宿(母屋)







険しい山坂と谷あいの道を背に塩俵を二俵ずつ
積んだ六・七頭の牛を牛方は一人で手綱をさば
いて歩み続け夜になると牛方宿の灯りのもとで
牛方と牛たちはともに眠りました。
こうした牛方宿はかつて千石街道沿いに何軒も
ありましたが、明治二十年頃に別の新しい国道
ができると街道は役目を終え今では唯一、この
建物だけが昔の塩の道の貴重な証しとなってい
ます。~パンフレットより~



















牛方は玄関入口の土間の上の中二階の寝所から
馬屋の牛の様子を見ながら眠むりにつきます。

牛方と牛の宿泊料は
牛方は一人で6頭をまとめて移動するとなると
牛6頭分も支払うことになります。
「牛、米糠と薪の代五厘、牛方は七銭、
但し賄いは別」という明治29年の文書が残っています。

玄関土間から見た座敷の様子。









塩倉

この塩倉は牛方宿とともに旧街道に現存する唯一の建物です。
幕末頃の建物と推定。半地下式で階上に塩を保管しました。










土蔵

今はギャラリーとなっている土蔵です。



塩の道

戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った
有名な故事はこの「塩の道」に由来しています。 





かつて千石街道を行き来した牛方や牛馬たちに
思いを馳せながら街道を歩くのも良いものですね。

この後、千石街道沿いにある小谷村千国の集落に向かいました。

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東近江市・五個荘ひな人形めぐり

2018-03-21 20:49:46 | 町並み歩き

3/10(土) 東近江市の五個荘でひな人形めぐりをしてきました。

展示会場の近江商人屋敷4館と近江商人博物館(共通券千円)で
代々伝わる御殿雛などの家宝雛を始めとした江戸から平成までの
ひな人形が展示されています。



外村宇兵衛邸

この屋敷の畳は157年使用しているとは思えぬほど綺麗な状態です。

古今雛御殿飾り・有識雛を主に寛政・慶応、
明治、大正、昭和の雛人形が展示されています。


古今雛御殿飾り 江戸時代


明治時代


大正時代






吊るし雛



外村繁邸






中江準五郎邸

雛匠東之湖氏による創作雛人形で琵琶湖をモチーフに作成。



通りには可愛らしい雛人形が飾られています。




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東近江市五個荘の町並み

2018-03-21 14:57:27 | 町並み歩き

3月10日(土) 東近江市にある近江商人の
発祥地として知られる五個荘(ごかしょう)を訪れました。

江戸時代末期から昭和戦前期に全国に行商した
近江商人たちの本宅が今も多く残ります。

通りには、てんびん通り、あきんど通り、
祭・馬場通り、寺前・鯉通りなど
商人にちなんだ通り名が付けられています。

静かな通りに白壁や舟板張りの土蔵が続きます。


中江準五郎邸

朝鮮で昭和9年に株式会社三中井百貨店として
終戦まで一大百貨店を築きました。




2階からは茅葺屋根の喫茶店が見られます。



あきんど通り

立派な土蔵や納屋


エビスヤ株式会社 何んの会社かな?

めんめんたなか うどん・そば屋



外村宇兵衛邸

明治時代に御服類の販売などで全国長者番付に
名を連ねるなど近江を代表とする豪商を築きました。


中庭にはてんびん棒を肩に全国を飛び回った近江商人の像が立ちます。


立派な漆喰の蔵



筏通り

商人本宅は広大な敷地を板塀で囲まれています。


なつかしいポスト 入口が塞がって使用されていません。



寺前・鯉通り





弘誓寺


川戸を設けた水路にはコイが泳ぎます。




湖国バス 近江商人屋敷前


舟板塀


大城神社


五個荘小学校 立派な門の向こうに近代的な校舎が建ちます。

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高取町・土佐街道(その2)

2017-03-22 20:54:03 | 町並み歩き

2017/ 3/19(日)

軒を連ねる土佐街道は、両脇に水路があり、
車一台がやっと通れる狭い道です。

 



路地


連子格子の窓がある町屋が続きます。


藩主下屋敷
時代劇の代官所のような立派な建物は、石川医院という皮膚科の病院です。


門を叩くと、ちょうまげ頭に髭面の先生が
お出まし・・・と思いますが、
今は、若い先生に代っているとのことです。


壷阪漢方堂薬局
高取町は薬の町と知られ三代にわたって営業している漢方薬のお店です。




くすり資料館
高取町は江戸時代から製薬売薬の歴史を持っています。


レトロな薬箱が懐かしいです。


立派な和洋折衷の屋敷
3階建ての高さもありそうな庭木の剪定はどうしてるんでしょうか。


「瓦斯溶接」と書かれた看板
「瓦斯」を「ガス」と平成生まれの人は読めるのかな。


味噌醤油


やまと吉永


髪館もりした
家屋外壁からは散髪屋とは思えませんが景観に配慮されています。


土佐街道まちなみ作法として7つの心得があります。
1.和風建築様式を基調として平屋建てまたは二階建て・・・
2.屋根は勾配屋根平入りとして灰色・黒色を基調といた瓦・・・
3.家屋の外壁は無彩色系または茶色系を基調・・・ 
4.道路に面した 戸口や窓は格子を取り付け・・・


この協定は法的規制はなく住民の自主ルールによるものです。

どことなく懐かしい古い町並み、いつまでも残ってほしいものです。

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