大切な人ということでラジオ投稿しました。
営業車で走っていたら、ラジオから流れてきました。
恥ずかしくて、ボリュームは絞って小さな音で聴いたけど。
父の「大切な人」、それは、私のおばあちゃんのことです。
私が生まれる1年前に亡くなったおばあちゃんの墓参りに家族がそろって、父は毎年行くのをとても楽しみにしていたのです。
父は、子供3人はそれぞれ、所帯をもったり、独立して、実家は母の2人暮らしになってしまって、さぞかし、賑やかになるそのお墓参りの日は楽しみにしていたことでしょう。
父は80を過ぎてから、体力も落ちてきて、昨年は体調がすぐれなくても、お寺の近くまでクルマで連れて行き、なんとかお参りができて本人も満足していたのです。
でも、今年は、いよいよ、介護が必要なまでに体力がなくなり、介助なしでは歩行ができない状態までになったので、持病の肺病を治すか、それとも、おばあちゃんのお墓参りをさせるか、家族で検討をしたのですが、病気を治してからお参りをしようと決断に至り、入院させる事にしました。
父は、治療も順調に進んで、90日のプログラムのリハビリを開始したということで、家族で安心していました。
しかし、父の容体は急変し、酸素マスクをしながら、親戚・家族の名を順々に呼び、そして、最後に「ばあさん」「ばあさん」と、声を振り絞って呼びました。
おばあちゃんが病魔に苦しんでいる父を楽にしようと、迎えに来てくれたのでしょう。
そして、笑って眠るように永眠しました。
法要49日には、父の大切な人「おばあちゃん」のもとへ連れて行きます
営業車で走っていたら、ラジオから流れてきました。
恥ずかしくて、ボリュームは絞って小さな音で聴いたけど。
父の「大切な人」、それは、私のおばあちゃんのことです。
私が生まれる1年前に亡くなったおばあちゃんの墓参りに家族がそろって、父は毎年行くのをとても楽しみにしていたのです。
父は、子供3人はそれぞれ、所帯をもったり、独立して、実家は母の2人暮らしになってしまって、さぞかし、賑やかになるそのお墓参りの日は楽しみにしていたことでしょう。
父は80を過ぎてから、体力も落ちてきて、昨年は体調がすぐれなくても、お寺の近くまでクルマで連れて行き、なんとかお参りができて本人も満足していたのです。
でも、今年は、いよいよ、介護が必要なまでに体力がなくなり、介助なしでは歩行ができない状態までになったので、持病の肺病を治すか、それとも、おばあちゃんのお墓参りをさせるか、家族で検討をしたのですが、病気を治してからお参りをしようと決断に至り、入院させる事にしました。
父は、治療も順調に進んで、90日のプログラムのリハビリを開始したということで、家族で安心していました。
しかし、父の容体は急変し、酸素マスクをしながら、親戚・家族の名を順々に呼び、そして、最後に「ばあさん」「ばあさん」と、声を振り絞って呼びました。
おばあちゃんが病魔に苦しんでいる父を楽にしようと、迎えに来てくれたのでしょう。
そして、笑って眠るように永眠しました。
法要49日には、父の大切な人「おばあちゃん」のもとへ連れて行きます