≪ 「『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の見解における過誤(あやまり)をみて固執することなく、省察しつつ内心のやすらぎをわたくしは見た。」(雑阿含経より) ≫-「原始仏教」(中村元)P.50
仏教の根本原理が「一切皆空」であるならば、仏教は絶対的根拠というものを持たないということになります。ものごとをとことん追求していけば、最終的にニヒルに突き当たるしかない。ものごとの根源的理由というものは存在しないのです。ですから、仏教には哲学的断定というものがありません。すべては相対的でしかないのです。
龍樹は「空とは縁起のことである。」と言います。縁起とはものごとの関係性のことです。善悪も人間の欲望やその時代の生活様式、社会制度、通念、言語、法律‥‥、あらゆる要素の関係性の中から生まれてくるのであって、絶対的な善悪というものがあるわけではないのです。つまり、ロゴスによる善悪の規定がないというのが仏教の大きな特徴です。
すべてが相対的であるならば、独自の立論というものもありません。ですから、仏教はイデオロギーを持たないのです。イデオロギーは立場が違えば必ず対立します、各々自分の価値観を絶対視するからです。自分を相対化しない限り、妥協はあり得ません。以上のような観点から、中村元博士は初期の仏教の顕著な特徴として次の2点を挙げています。
①無意義な、用のないことがらを議論するな。
②われわれは、はっきりした確実な根拠をもっているのでなければ、
やたらに議論してはならぬ。
(「原始仏教」(中村元)P.52)
仏教徒に対立は似合わない。「法論はどちらが負けても釈迦の恥」という言葉がありますが、一見くだけた表現の裏には上記のような哲理が含まれているのであります。
大雄山最乗寺にて (神奈川県南足柄市)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます