海外就労経験者・・・
帰国後の就職について、厚生省が斡旋を始めている。これは、海外で就労経験がある人に就職の機会を与えるというような書き方か、もしくは、彼ら(彼女ら)をどう企業に、求められるスキルとして、活用するかという方針を立てたのち、その活用を・・・というものだが、事実は逆であるはずだ。(参照)
円高・・・超がつく円高で、海外で製造拠点を作る必要に追われている企業が、人材を欲しがっていることは、すでに述べた。
人材とは、単純労働や、会社内の根回しのうまい人間ではない。
今、企業が欲しい人材とは、即戦力。それも、語学スキル、文化の理解、もっとはっきり言えば、アメリカ人をこき使える人間が欲しいのだ。
だが、日本の風土で育った人間は、群れるだけで、一人で外国に乗り込んでいく気概など、まず無い。お互いが寄り添って、村社会のような感覚で 甘えていて、それが、常識だと思っている。
あいまいな「あの人って、さあ、なんかちょっと冷たい感じ」などと抽象的な言い回しで仲間を募って、「みんな、こんな風に言ってるのを、聞いたんですけどぉ~」などと、言うのが関の山。対等の関係で、同じ土俵で 外国人と 一対一で きちんとした理論武装をして、やりあうことなど、できない。
そういう生き方は、確かに、日本という限られた天国の中では、知恵かもしれない。臆病というそしりをうけようとも、少なくとも 敵は作らないだろう。可もなく不可もない、無難な人生は、日本ではやっていける。なぜなら、周りにいるみんながそうなのだから、グループの中ではみ出すことさえしなければ、それで、いい。
空気を読むという言葉自体、外国では、存在しない。外国人同士の空気は確かにある。それは、だが日本のものとは温度も湿度も違う。日本の空気を読む達人は、外国ではやっていけない。最初から、文化も人種も言語も、背負っているものも、みんな それぞれ違うのだから。
「べつにぃ、外国に行って、そんんあやりあわなくたって いいしぃ~」と言っている人は、それはそれで、いいかもしれないけれど、いつまでそう 言い続けていけるのかな?と、私は思う。
日本では、“出るくいは打たれる”といい、アメリカでは、“きしむドアには、油をさしてもらえる”と言う。まったく、同じことをしても、日本では集団でたたかれ つぶされるが、アメリカでは持ち上げられ 賞賛される。
これからの 国際情勢は、日本の国内事情をどんどんと、変えていくだろう。日本でも、スキルのない人間は、仕事がなくなってきているはずだ。スキルも一つや二つのものでは、とても足りない。いつも武装して生き残る手段を講じている人間だけを、企業は必要としているし、もっと言えば、何もできない人間を、置いておけるほど余裕はなくなってきているのだ。
今の時代で言えば、一時を争ってでも、海外に製造拠点を設けたい企業は、おそらくは経団連を通じて、国にプレッシャーをかけて、海外就労者 云々となったのであろう。
日本の企業としては、プロテクショニズムに対抗する、唯一の手段は、海外に製造拠点を作り 現地生産でのみ生き残るしか、方法は残されていないと考えるのは、理の当然で、のどから手が出るほど欲しいのが、即戦力になる海外就労経験者なのである。企業の成り立ちは、経済的な利益をいかに継続させていくかということに、尽きる。いや、それ以外には何も無いといって言い。
そこに、人情だとか、お互いの連携などというぬるい言葉は、本当は存在さえしない。いくらきれいごとを言っていても、企業は利益を得ることだけを毎日24時間休まずに考えているものだ。もし、そうでない言葉をちりばめていたら、それは言葉の世界では綺麗かもしれないが、企業としては、もうすぐ舞台終了まぎわとなるはずだ。とても合理的で、冷酷、そして、守銭奴のような考えかただ。
だが、問題を、たくさん含んでいる。
一番の問題は、企業が、そこで仮に生き残ったとしても(私はこの日本企業と厚生省の 合理的過ぎる発想には、多少懐疑的では あるからか、多少辛口になるが・・・)国内産業の空洞化について、どう考えているのだろう・・・?と、疑問が残る。
実に、日本の産業の空洞化・・・古くはブーメラン現象などと呼ばれていたが・・・は、1980年代から、すでに30年近く言われ続けている。
それまでは、行け行けどんどん、できた日本産業だったが、ここにきて内需拡大策もとれないまま、どう知恵を絞って生き残るかを 考えている識者もおられる。(参照)
共有している懸念は どこも やはり、産業空洞化で、これでは日本中が、過疎の村になってしまうというのだ。
人は働いて、糧を得る。
糧は、毎日の 私の小さな家族の生活を守る。
だから、私は明日も働きにいく。
単純な言葉だし、それだけでとても美しい響きがある。なのに、空洞化した日本には、この素朴な労働者に、働く場所を与えてはくれなくなる。
第二の問題点は、海外で働いてきた一匹狼を、日本の企業が使いこなせるかどうか?という点だ。
海外で生き残ってきた・・・少なくとも10年以上・・・そして 働いてきた人間は、距離感のとり方も、あるいは、喧嘩の仕方も、また、やめるときの早さも、もっと言えば やめることに対してまったく未練すら持たないという傲慢さも、持っている。もっと言えば、上司が言うから従うというような、図式は、はじめからない。自分の仕事はやるが、人からそれを指図されるのは、嫌う。指図する上司が無能ならば、徹底的に、馬鹿扱いするだろう。給料も、きちんと支払わなければ、やめる。訴える。しかも、損害賠償は何倍も要求する。
そうして、自分を守ることをしてこなければ、生きて来れなかった。そういう人生を歩んできたから、今更変われるはずも無い。
海外でバリバリやれて、しかも日本的情緒を分かってくれて、日本的サービス残業にもつきあってくれる人を採用したいと思っている企業があったとしたら、それこそ お笑い種である。
自分は働く。働きたいからではない。生活のためだ。だから条件のいいところがあれば明日にでも会社を辞める。どんな仕事でも やる。だが、時間通りきちんと支払ってもらう。そんなこともできない会社には 一日の未練も無い。実力はあるから、いつでもどこにでもいける。
一匹狼の本音は、こうだ。
一匹狼って、かっこいい・・・という読者がいたとしたら、この読者も、実際には何も分かっていない。
一匹狼は、かっこいいのではない。外国の大地に二本足で立つためには、そうしなければ、ならなかった・・・それだけだ。
そんな中、なまぬるい話が 今度は逆に アメリカのGMあたりから聞こえてきた。GMとクライスラーはまた、21.6ビリオンの追加融資を頼んでいるのだ。(参照)
GMもクライスラーも、今まで、何年もただ、売れない車を作り続けてきた。誰も買わない、いらない車を、作って、そして、赤字になって困っている・・・。ただ困っているのではない。アメリカ政府に駄々をこねて、金をむせび取っている。彼らに融資した借金は、向こう40年は返す目処もないと言われている。GMは、駄目な会社だから、もう破産させちゃえという意見も多い。(参照)また、もし破産したらどんな影響が出るかを、詳細に渡って分析している記事もある。(参照)
どれもこれも、推測に過ぎないが、結果どころか、先行きの目処も立たない点では、納得がいく。それにしても・・・今働いている人の保障は?部品会社は?顧客は?年金は?投資家は?と書いていけば、きりが無いほど、大きな影響が出る・・・のは、間違いない話だ。この影響は、アメリカの話だけではない。
多くの部品メーカーは日本の会社であるし、また、様々な形で大きな影響が、それこそ世界中に出るのだ。ウォールストリートの人間には、関係ない話だ。影響とは、インドネシアだとか、タイなどの弱小国こそ、本当に大きなダメージ・・・生きるか死ぬか・・・のダメージとなる。
もっと えげつない話になるが、日本だってうかうかしていられない。餓死者が出るほど困窮することも、起こりうる話だ。日本にはソーシャル セキュリティーがどのくらい充実しているのかが、とても不透明だし、もしそういうものがきちんとしているなら、今現在だって、ホームレスが凍死して死ぬことなどありえないはずだ。
帰国後の就職について、厚生省が斡旋を始めている。これは、海外で就労経験がある人に就職の機会を与えるというような書き方か、もしくは、彼ら(彼女ら)をどう企業に、求められるスキルとして、活用するかという方針を立てたのち、その活用を・・・というものだが、事実は逆であるはずだ。(参照)
円高・・・超がつく円高で、海外で製造拠点を作る必要に追われている企業が、人材を欲しがっていることは、すでに述べた。
人材とは、単純労働や、会社内の根回しのうまい人間ではない。
今、企業が欲しい人材とは、即戦力。それも、語学スキル、文化の理解、もっとはっきり言えば、アメリカ人をこき使える人間が欲しいのだ。
だが、日本の風土で育った人間は、群れるだけで、一人で外国に乗り込んでいく気概など、まず無い。お互いが寄り添って、村社会のような感覚で 甘えていて、それが、常識だと思っている。
あいまいな「あの人って、さあ、なんかちょっと冷たい感じ」などと抽象的な言い回しで仲間を募って、「みんな、こんな風に言ってるのを、聞いたんですけどぉ~」などと、言うのが関の山。対等の関係で、同じ土俵で 外国人と 一対一で きちんとした理論武装をして、やりあうことなど、できない。
そういう生き方は、確かに、日本という限られた天国の中では、知恵かもしれない。臆病というそしりをうけようとも、少なくとも 敵は作らないだろう。可もなく不可もない、無難な人生は、日本ではやっていける。なぜなら、周りにいるみんながそうなのだから、グループの中ではみ出すことさえしなければ、それで、いい。
空気を読むという言葉自体、外国では、存在しない。外国人同士の空気は確かにある。それは、だが日本のものとは温度も湿度も違う。日本の空気を読む達人は、外国ではやっていけない。最初から、文化も人種も言語も、背負っているものも、みんな それぞれ違うのだから。
「べつにぃ、外国に行って、そんんあやりあわなくたって いいしぃ~」と言っている人は、それはそれで、いいかもしれないけれど、いつまでそう 言い続けていけるのかな?と、私は思う。
日本では、“出るくいは打たれる”といい、アメリカでは、“きしむドアには、油をさしてもらえる”と言う。まったく、同じことをしても、日本では集団でたたかれ つぶされるが、アメリカでは持ち上げられ 賞賛される。
これからの 国際情勢は、日本の国内事情をどんどんと、変えていくだろう。日本でも、スキルのない人間は、仕事がなくなってきているはずだ。スキルも一つや二つのものでは、とても足りない。いつも武装して生き残る手段を講じている人間だけを、企業は必要としているし、もっと言えば、何もできない人間を、置いておけるほど余裕はなくなってきているのだ。
今の時代で言えば、一時を争ってでも、海外に製造拠点を設けたい企業は、おそらくは経団連を通じて、国にプレッシャーをかけて、海外就労者 云々となったのであろう。
日本の企業としては、プロテクショニズムに対抗する、唯一の手段は、海外に製造拠点を作り 現地生産でのみ生き残るしか、方法は残されていないと考えるのは、理の当然で、のどから手が出るほど欲しいのが、即戦力になる海外就労経験者なのである。企業の成り立ちは、経済的な利益をいかに継続させていくかということに、尽きる。いや、それ以外には何も無いといって言い。
そこに、人情だとか、お互いの連携などというぬるい言葉は、本当は存在さえしない。いくらきれいごとを言っていても、企業は利益を得ることだけを毎日24時間休まずに考えているものだ。もし、そうでない言葉をちりばめていたら、それは言葉の世界では綺麗かもしれないが、企業としては、もうすぐ舞台終了まぎわとなるはずだ。とても合理的で、冷酷、そして、守銭奴のような考えかただ。
だが、問題を、たくさん含んでいる。
一番の問題は、企業が、そこで仮に生き残ったとしても(私はこの日本企業と厚生省の 合理的過ぎる発想には、多少懐疑的では あるからか、多少辛口になるが・・・)国内産業の空洞化について、どう考えているのだろう・・・?と、疑問が残る。
実に、日本の産業の空洞化・・・古くはブーメラン現象などと呼ばれていたが・・・は、1980年代から、すでに30年近く言われ続けている。
それまでは、行け行けどんどん、できた日本産業だったが、ここにきて内需拡大策もとれないまま、どう知恵を絞って生き残るかを 考えている識者もおられる。(参照)
共有している懸念は どこも やはり、産業空洞化で、これでは日本中が、過疎の村になってしまうというのだ。
人は働いて、糧を得る。
糧は、毎日の 私の小さな家族の生活を守る。
だから、私は明日も働きにいく。
単純な言葉だし、それだけでとても美しい響きがある。なのに、空洞化した日本には、この素朴な労働者に、働く場所を与えてはくれなくなる。
第二の問題点は、海外で働いてきた一匹狼を、日本の企業が使いこなせるかどうか?という点だ。
海外で生き残ってきた・・・少なくとも10年以上・・・そして 働いてきた人間は、距離感のとり方も、あるいは、喧嘩の仕方も、また、やめるときの早さも、もっと言えば やめることに対してまったく未練すら持たないという傲慢さも、持っている。もっと言えば、上司が言うから従うというような、図式は、はじめからない。自分の仕事はやるが、人からそれを指図されるのは、嫌う。指図する上司が無能ならば、徹底的に、馬鹿扱いするだろう。給料も、きちんと支払わなければ、やめる。訴える。しかも、損害賠償は何倍も要求する。
そうして、自分を守ることをしてこなければ、生きて来れなかった。そういう人生を歩んできたから、今更変われるはずも無い。
海外でバリバリやれて、しかも日本的情緒を分かってくれて、日本的サービス残業にもつきあってくれる人を採用したいと思っている企業があったとしたら、それこそ お笑い種である。
自分は働く。働きたいからではない。生活のためだ。だから条件のいいところがあれば明日にでも会社を辞める。どんな仕事でも やる。だが、時間通りきちんと支払ってもらう。そんなこともできない会社には 一日の未練も無い。実力はあるから、いつでもどこにでもいける。
一匹狼の本音は、こうだ。
一匹狼って、かっこいい・・・という読者がいたとしたら、この読者も、実際には何も分かっていない。
一匹狼は、かっこいいのではない。外国の大地に二本足で立つためには、そうしなければ、ならなかった・・・それだけだ。
そんな中、なまぬるい話が 今度は逆に アメリカのGMあたりから聞こえてきた。GMとクライスラーはまた、21.6ビリオンの追加融資を頼んでいるのだ。(参照)
GMもクライスラーも、今まで、何年もただ、売れない車を作り続けてきた。誰も買わない、いらない車を、作って、そして、赤字になって困っている・・・。ただ困っているのではない。アメリカ政府に駄々をこねて、金をむせび取っている。彼らに融資した借金は、向こう40年は返す目処もないと言われている。GMは、駄目な会社だから、もう破産させちゃえという意見も多い。(参照)また、もし破産したらどんな影響が出るかを、詳細に渡って分析している記事もある。(参照)
どれもこれも、推測に過ぎないが、結果どころか、先行きの目処も立たない点では、納得がいく。それにしても・・・今働いている人の保障は?部品会社は?顧客は?年金は?投資家は?と書いていけば、きりが無いほど、大きな影響が出る・・・のは、間違いない話だ。この影響は、アメリカの話だけではない。
多くの部品メーカーは日本の会社であるし、また、様々な形で大きな影響が、それこそ世界中に出るのだ。ウォールストリートの人間には、関係ない話だ。影響とは、インドネシアだとか、タイなどの弱小国こそ、本当に大きなダメージ・・・生きるか死ぬか・・・のダメージとなる。
もっと えげつない話になるが、日本だってうかうかしていられない。餓死者が出るほど困窮することも、起こりうる話だ。日本にはソーシャル セキュリティーがどのくらい充実しているのかが、とても不透明だし、もしそういうものがきちんとしているなら、今現在だって、ホームレスが凍死して死ぬことなどありえないはずだ。