ギリシャは古い歴史のある国だ。
エジプトとの交流も長く、イスラム、アラブの影響を多く受けている。
いわば、半分は、ヨーロッパだが 残りの半分は 間違いなく 中東なのである。
そんな ギリシャは、粉飾をして、ヨーロッパから金を借りまくって、そしてパーティーをして、散った。
今でもその パーティー気分は抜けないらしく、収入が半分になると言って怒っている。
怒って話が自分たちの思う方向に行けば、私だって一緒になって怒ってあげたいくらいだが、残念ながら、経理というものは、数字で一切の感情がない。
数字は、残酷で、半分は半分なのである。
怒っても増えたりはしない。
もちろん、最初のうちは嘘やごまかしをすることができるかもしれない。
だが、いずれ数字は、正しい監査の結果を待ち そして、出来の悪い生徒は、放課後に居残りをしなければならない。
よく、日本がギリシャのようになるという人がいる。
理由は国債発行額が国民のGDPの倍になるからだ。
確かに金額は大きい。
だが、平均的なサラリーマンに対して、多くのファイナンシャルプランナーたちは、年収の4倍までの住宅ローンなら、安全ですと言うはずだ。
国の単位で考えてみても、同じパーセントは、単純に当てはめるべきではないかもしれないが、年収の二倍は、危険だと言い切れるだろうか?
しかも、借りているのは、国民からであり、いわば、家族同士で融通しあっているのである。
銀行から借りているのでもない。
それでも、日本はギリシャのようになるかもしれない と危機感を煽る人がいる。
危機感を煽ることで、テレビの視聴率があがるからだ。
世界は、混迷する。
それは、混迷し、戦争が局地的に起こり、あるいは暴動が始まるというなかで、儲けることができる人間がいるからだ。
彼らは、これから、そういう機会を使って、より大きな利益を得ていくのである。
例えば、食料が騰がっている。
もちろん天候不順も理由だが、それだけではない。
投機筋がすでに青田買いをしているからだ。
そんなことは、ずっと前から分かっていた。
投機筋は、ドライな集団だ。
彼らの青田買いが、末端の貧困国の人々を飢餓におとしめるであろうことなどは、どうでもいいことなのだ。
水が豊富にある日本にとっては、水が深刻な投機になることなど、理解できないかもしれない。
だが、チョコレート ラッパー (チョコレートの包み紙)でさえ、価値があると誰かが言えば、それは、何億円にだって化けるのである。
つまり、世の中のすべてのものには、値段がつけられる。
貧すりゃ鈍する
こういう説明は古典的かもしれない。
だが 真実だ。
矛盾することを言うようだが、世界を一律の数値で換算しようなどということは、不可能だ。
数字はドライかもしれないが、数値(メジャー パフォーマンス)は、常に変化する。
しかし、それでも、何らかの指標になる数値が必要になる。
それも 粉飾のない、頼れる数値がいる。
その数値は、、現在を表すものでなければならないし、過去のいつかの時点の数字であっては、ファイナンシャル レポートの材料にはなるかもしれないが、とうてい未来を見通すことはできない。
だからスピードはとても重要だし、また、フレキシブルに対応できる体制も必要だ。
それが、できるのは、実は限られた国でしかない。
例えば、日本などという小さい国で、教育水準が高く、しかも、戦争のリスクが少ない国は、このメジャー パフォーマンスを手に入れることは、比較的たやすい。(決して 簡単だとは言っていない)
しかし、その数字がなければ、未来のゴールどころか、それにいたる、ミッション ストラテジーさえ、覚束ないのである。
アメリカは随分 ラフなやり方で、今までやってきた。
とうていきめ細かい、未来の構築というストラテジーなどは、できそうもなかった。
その結果、GMは破綻したし、多くの金融市場もまた、カリフォルニアをはじめとする多くの州政府までもが、破綻した。
中国は粉飾をしている。
私が言うまでもないことだし、世界中の誰もが知っていることだ。
中国は、粉飾をしている。
そして、粉飾の結果は、ギリシャのようになる。
今は まだなっていないかもしれないが、いずれ、そのように なる。
これは、最後に、必ず数字というドライなものに、決して抗うことが出来ず、つぶされてしまうからだ。
例えて言えば、それは、ボクサーの選手生命のようなものである。
どれほど、タフで強いボクサーであったとしても、年齢という数字には、絶対に勝てないのである。
それが、どれほど残酷であるのかは、みんな知っているはずだ。
それほど、数字というものは、最後には鉄槌を下すということを、私は言いたいのである。
もし、1980年代の日本に 数字への、畏れをもち、そして敬意を持って接する気持ちがあったならば、日本にバブルはおきなかったかもしれない。日経平均が4万を突破して喜んでいたのは、数字をなめきっていたからだ。
今の中国も そしてギリシャも 私には同じ事が言えると思う。
トヨタの社長が、企業を小さくして、もう一度原点に立ち返って、良い車を作ろうとしている。
企業が拡大することだけが、成長ではない。
内実の数字が きちんと満たされてこそ、安定した未来が予測できるというわけだ。
サムソンが苦しんでいる。
液晶テレビなどが、すでに、ライフサイクルの最終章に入りつつあるからだ。
液晶テレビの安売りが、日常化すると、拡大してきた工場や、そこの従業員 在庫 などに、大きな影響が出てきて、最後には、ラットレースとなってしまう。
例えば、VHSを、今では、店頭で見ることも出来なくなっている。
わずか20年前には、CDが出てきたが、それももはや、過去だ。
それによって、音楽業界も変わった。
あたりまえだ。
不法コピーだと幾ら怒ってみても、いたちごっこなのだ。
私は 今の世界の 混沌の 根本的な原因は、数字だと思う。
数字を、誤魔化してきたツケが、アメリカを襲い、そしてヨーロッパを震わせ、やがて、中国を破綻へと導くことになるであろう。
日本の今の原子力発電問題も、原因は数字だ。
つまり、原子力発電が、大事故になる確率は、何万年に一度だとか、そういう数字が、一体、どこから導き出されて嘘なのか、ともかく、それを元に、散々 無知な国民を騙してきたわけだ。
数字は、恐ろしい。
もちろん、きちんとした数字ほど、味方になってくれるものもないけれど、その強大な武器をつかって、粉飾や嘘をつくと、とんでもない結論が出てくる。結論は、その本人だけではなく多くの人を巻き添えにしてしまう。
それほど、数字は恐ろしいのだ。
数字というものに、もう一度 謙虚な気持ちで目を向けて、そして、自分の立ち居地をきちんと見極めたうえで、将来を計るということは、とても大切なことだとは、思わないか?
例えば、こんな人がいたとしよう。
「おれは、勘がいい」と彼は自分自身を信じている。
そして・・・
「おれは、度胸がアル」と、投資と、博打の区別もなく拡大していくと、うまくいくときは、うまくいくかもしれないが、それは実際には偶然で 運が良かっただけなのだ。
冷静な投資家にとっては、度胸などは、必要はない。
もし、信じられる数字が手に入ったならば、そのリスク面を計算して、損失に耐えられる範囲で投資を行うからだ。
欲に目がくらんで、全力投資することは、タブーなのである。
実際に、例えば私自身で言えば、5発打ち込んで短中期では3発当たるというのが、過去の実績なのである。
2発は、外れるが、それでも、トータルでは儲けが出るという数字管理をし続ける。
よく損ギリをするか、塩漬けをするのか どのタイミングが良いのかなどと聞かれる。
私はどちらも考えない。
長期では、何十年も持ち続ける場合もあるし、損ギリする場合もあるとしか、言えないのである。
繰り返しになるが、きちんとした数字管理をしながら、考えるのである。
人間は時として 間違う。
私も もちろん そんな人間の一人でしかない。
間違うことは、あたりまえのことだ。
間違えば、やめるか、方向転換をするか、あるいは、さらに突き進むのか、さらには、本当に間違っているのかどうかの検証も、しなければならない。
エジプトとの交流も長く、イスラム、アラブの影響を多く受けている。
いわば、半分は、ヨーロッパだが 残りの半分は 間違いなく 中東なのである。
そんな ギリシャは、粉飾をして、ヨーロッパから金を借りまくって、そしてパーティーをして、散った。
今でもその パーティー気分は抜けないらしく、収入が半分になると言って怒っている。
怒って話が自分たちの思う方向に行けば、私だって一緒になって怒ってあげたいくらいだが、残念ながら、経理というものは、数字で一切の感情がない。
数字は、残酷で、半分は半分なのである。
怒っても増えたりはしない。
もちろん、最初のうちは嘘やごまかしをすることができるかもしれない。
だが、いずれ数字は、正しい監査の結果を待ち そして、出来の悪い生徒は、放課後に居残りをしなければならない。
よく、日本がギリシャのようになるという人がいる。
理由は国債発行額が国民のGDPの倍になるからだ。
確かに金額は大きい。
だが、平均的なサラリーマンに対して、多くのファイナンシャルプランナーたちは、年収の4倍までの住宅ローンなら、安全ですと言うはずだ。
国の単位で考えてみても、同じパーセントは、単純に当てはめるべきではないかもしれないが、年収の二倍は、危険だと言い切れるだろうか?
しかも、借りているのは、国民からであり、いわば、家族同士で融通しあっているのである。
銀行から借りているのでもない。
それでも、日本はギリシャのようになるかもしれない と危機感を煽る人がいる。
危機感を煽ることで、テレビの視聴率があがるからだ。
世界は、混迷する。
それは、混迷し、戦争が局地的に起こり、あるいは暴動が始まるというなかで、儲けることができる人間がいるからだ。
彼らは、これから、そういう機会を使って、より大きな利益を得ていくのである。
例えば、食料が騰がっている。
もちろん天候不順も理由だが、それだけではない。
投機筋がすでに青田買いをしているからだ。
そんなことは、ずっと前から分かっていた。
投機筋は、ドライな集団だ。
彼らの青田買いが、末端の貧困国の人々を飢餓におとしめるであろうことなどは、どうでもいいことなのだ。
水が豊富にある日本にとっては、水が深刻な投機になることなど、理解できないかもしれない。
だが、チョコレート ラッパー (チョコレートの包み紙)でさえ、価値があると誰かが言えば、それは、何億円にだって化けるのである。
つまり、世の中のすべてのものには、値段がつけられる。
貧すりゃ鈍する
こういう説明は古典的かもしれない。
だが 真実だ。
矛盾することを言うようだが、世界を一律の数値で換算しようなどということは、不可能だ。
数字はドライかもしれないが、数値(メジャー パフォーマンス)は、常に変化する。
しかし、それでも、何らかの指標になる数値が必要になる。
それも 粉飾のない、頼れる数値がいる。
その数値は、、現在を表すものでなければならないし、過去のいつかの時点の数字であっては、ファイナンシャル レポートの材料にはなるかもしれないが、とうてい未来を見通すことはできない。
だからスピードはとても重要だし、また、フレキシブルに対応できる体制も必要だ。
それが、できるのは、実は限られた国でしかない。
例えば、日本などという小さい国で、教育水準が高く、しかも、戦争のリスクが少ない国は、このメジャー パフォーマンスを手に入れることは、比較的たやすい。(決して 簡単だとは言っていない)
しかし、その数字がなければ、未来のゴールどころか、それにいたる、ミッション ストラテジーさえ、覚束ないのである。
アメリカは随分 ラフなやり方で、今までやってきた。
とうていきめ細かい、未来の構築というストラテジーなどは、できそうもなかった。
その結果、GMは破綻したし、多くの金融市場もまた、カリフォルニアをはじめとする多くの州政府までもが、破綻した。
中国は粉飾をしている。
私が言うまでもないことだし、世界中の誰もが知っていることだ。
中国は、粉飾をしている。
そして、粉飾の結果は、ギリシャのようになる。
今は まだなっていないかもしれないが、いずれ、そのように なる。
これは、最後に、必ず数字というドライなものに、決して抗うことが出来ず、つぶされてしまうからだ。
例えて言えば、それは、ボクサーの選手生命のようなものである。
どれほど、タフで強いボクサーであったとしても、年齢という数字には、絶対に勝てないのである。
それが、どれほど残酷であるのかは、みんな知っているはずだ。
それほど、数字というものは、最後には鉄槌を下すということを、私は言いたいのである。
もし、1980年代の日本に 数字への、畏れをもち、そして敬意を持って接する気持ちがあったならば、日本にバブルはおきなかったかもしれない。日経平均が4万を突破して喜んでいたのは、数字をなめきっていたからだ。
今の中国も そしてギリシャも 私には同じ事が言えると思う。
トヨタの社長が、企業を小さくして、もう一度原点に立ち返って、良い車を作ろうとしている。
企業が拡大することだけが、成長ではない。
内実の数字が きちんと満たされてこそ、安定した未来が予測できるというわけだ。
サムソンが苦しんでいる。
液晶テレビなどが、すでに、ライフサイクルの最終章に入りつつあるからだ。
液晶テレビの安売りが、日常化すると、拡大してきた工場や、そこの従業員 在庫 などに、大きな影響が出てきて、最後には、ラットレースとなってしまう。
例えば、VHSを、今では、店頭で見ることも出来なくなっている。
わずか20年前には、CDが出てきたが、それももはや、過去だ。
それによって、音楽業界も変わった。
あたりまえだ。
不法コピーだと幾ら怒ってみても、いたちごっこなのだ。
私は 今の世界の 混沌の 根本的な原因は、数字だと思う。
数字を、誤魔化してきたツケが、アメリカを襲い、そしてヨーロッパを震わせ、やがて、中国を破綻へと導くことになるであろう。
日本の今の原子力発電問題も、原因は数字だ。
つまり、原子力発電が、大事故になる確率は、何万年に一度だとか、そういう数字が、一体、どこから導き出されて嘘なのか、ともかく、それを元に、散々 無知な国民を騙してきたわけだ。
数字は、恐ろしい。
もちろん、きちんとした数字ほど、味方になってくれるものもないけれど、その強大な武器をつかって、粉飾や嘘をつくと、とんでもない結論が出てくる。結論は、その本人だけではなく多くの人を巻き添えにしてしまう。
それほど、数字は恐ろしいのだ。
数字というものに、もう一度 謙虚な気持ちで目を向けて、そして、自分の立ち居地をきちんと見極めたうえで、将来を計るということは、とても大切なことだとは、思わないか?
例えば、こんな人がいたとしよう。
「おれは、勘がいい」と彼は自分自身を信じている。
そして・・・
「おれは、度胸がアル」と、投資と、博打の区別もなく拡大していくと、うまくいくときは、うまくいくかもしれないが、それは実際には偶然で 運が良かっただけなのだ。
冷静な投資家にとっては、度胸などは、必要はない。
もし、信じられる数字が手に入ったならば、そのリスク面を計算して、損失に耐えられる範囲で投資を行うからだ。
欲に目がくらんで、全力投資することは、タブーなのである。
実際に、例えば私自身で言えば、5発打ち込んで短中期では3発当たるというのが、過去の実績なのである。
2発は、外れるが、それでも、トータルでは儲けが出るという数字管理をし続ける。
よく損ギリをするか、塩漬けをするのか どのタイミングが良いのかなどと聞かれる。
私はどちらも考えない。
長期では、何十年も持ち続ける場合もあるし、損ギリする場合もあるとしか、言えないのである。
繰り返しになるが、きちんとした数字管理をしながら、考えるのである。
人間は時として 間違う。
私も もちろん そんな人間の一人でしかない。
間違うことは、あたりまえのことだ。
間違えば、やめるか、方向転換をするか、あるいは、さらに突き進むのか、さらには、本当に間違っているのかどうかの検証も、しなければならない。