Sydney Yajima


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君たち 英語をなんのために勉強するのか?

2012-02-01 05:57:27 | 脱原発に一票
昨日 小田実の思い出を書いて、もうひとつ大事なことを思い出した。
ビキニ諸島のとき、おばちゃんたちが立ち上がったという話は書いた。
そして、彼女たちが立ち上がって アメリカ合衆国政府を裁判にかけて、なんと勝訴した と言う話も書いた。
彼女たちは 英語ももちろん出来ないし、弁護士をやとう費用さえなかったから、独自で英語を学び法律を勉強し、アメリカのシステムを勉強して、そして裁判を起こし しかも勝ったのだ。それはただ一心。子供たちを守りたいという気持ちからだった。

その話をするとき、小田実は、僕たちにむかってこう、語りかけてくれた。

「君ら、英語をなんのために勉強するんや?」
と言う質問だった。
「大学に行くためか。仕事で使って金儲けするためか? なんや?」
と言うのである。
そして、
「わしの英語もひどい発音や。あのこの間しゃべった おもろいおっさん。 竹村健一も、けったいな英語や。そやけど、ワシらの話の中身は、大分違う。」
「英語でも、中国語でも 韓国語でも、なんでもいい。若いうちにしっかり勉強することは大事なことや。しかし、もっと大事なことがある。」と区切りそして
「その学んだ言葉で、なにを話すのか ということや」と言った。

それ以来、「何を話すのか?」が私の心の中で、なんども繰り返されることになった。
時々 忘れそうになるが、福島の原発が爆発したことで、一気にそのことを 思い出すに至った。
「ああ、私は間違っていた」とも思った。
私自身、いつのまにか、金儲けのことを考えていて、若いときに学んだ大事なこと・・・つまり、何を話すのか?についての自己探求を、すっかり 忘れていた。
愚かな私は、ウラン鉱山への投資さえしていたのである!
そのときに、私は、「長期的には、原発はよくないが、短中期的には、これしかCO2を減らしていく方法はないであろう」と、もっともらしいことを、知ったような顔で語っていた。私は、間違っていた。読んでくれていた人に、まず 謝る。
そして、恥ずかしい私は、このブログを閉じて、しまうべきか、どうか 実は迷った。
しかし、それは 卑怯だと思う。
まずは、間違いを謝って、それから、初心に戻って 脱原発についてみんなとともに、考えそして戦うべきではないかと思うに至った。
どう、戦えば良いのか?については、いずれ徐々に見えてくると思う。
そして、さまざまな日本の矛盾点についても、考えていきたいとおもう。

欲も得もない話だ。
儲け話だと 多くの読者をひきつけられることを私は経験で知っている。
もう、そんな退屈な話をしている自分にも飽き飽きするし、経済や政治がいかにくだらないものなのかが よく分かった。

一言で言えば、3・11の、震災以降、日本は変わったし、私も変わった。

しなければならないことも、変わったと思う。
それは 個人の場合には、どうやって身を守るかということだし、国の場合にはどうやって舵を切るかということだろう。
私にとっては、自分自身をもてあましている大馬鹿者という定義に、あまり変わりがないようだが、しかし、なにかできないかを考え続け そして、ここに書き続けることを許してもらいたい。



いずれ分かること

2012-02-01 00:17:34 | 政治
この世の中の多くのことは、「○○ごっこ」の人たちによって適当に行われている。
たとえば、原子力発電所の所員でさえ、実際にきちんとしたトレーニングと教育を受けてきた人たちが、現場の一番危険なところで働いているケースは、稀で、そのへんで集めてきた日雇いのおっちゃんに、作業を孫受け企業を通じて委託している。
もちろん、きちんと閉めるべきボルトが甘かったり、などということが日常茶飯事に起こりうるし、過激な環境の中で、危険と隣りあわせで、あと数秒の間に、ナットを締めなければならないなどということは、たとえトレーニングを受けてきた人間にとっても、とても難しいことだ。
そんな中で、原発ができている。
以前 小田実が、授業で、「こんなにたくさんある原発に通常のミサイルが飛んできただけですぐに核兵器となってしまう」と警告していた。
18歳の私の耳、眼には、彼の偉大さと一種独特の雰囲気に呑まれて、あまりよく分からなかったが、しかし、その言っている意味はよく理解できた。なるほど、危険と隣りあわせか。
という程度ではあったが、若者にとって、危険と隣り合わせというだけで、ぞくぞくするほど クールな感じさえしていた。本当の危険の意味を分かっていないから、バイクで早く走ったり、無理なコーナーリングをしてみたりして、かっこいいと考えているくらいの、いわば お馬鹿さんであったから、しかたがないのである。
しかし、そんなお馬鹿さんの私であっても、アメリカの核実験やビキニ諸島での住民たちの戦いについて聞いたとき、一般市民の立ち上がる強さというものに感動した。
立ち上がったのは、教育も何も受けていなかった おばちゃんたちである。
おばちゃんたちが立ち上がると、アメリカ合衆国政府が、震え上がった。
彼女たちは、裁判で勝訴したのだ。

これから、日本のおばちゃんたちが 立ち上がる。
彼女たちを止める者は、なにもない。
なぜなら、日本のおばちゃんたちは、無敵だ。彼女たちは、日本の青っ白い官僚や、アホの二世議員の首筋を、生きたまま食いちぎるであろう。
私の言うことは 予言ではない。
もうすぐ起こる現実だ。