昨日 小田実の思い出を書いて、もうひとつ大事なことを思い出した。
ビキニ諸島のとき、おばちゃんたちが立ち上がったという話は書いた。
そして、彼女たちが立ち上がって アメリカ合衆国政府を裁判にかけて、なんと勝訴した と言う話も書いた。
彼女たちは 英語ももちろん出来ないし、弁護士をやとう費用さえなかったから、独自で英語を学び法律を勉強し、アメリカのシステムを勉強して、そして裁判を起こし しかも勝ったのだ。それはただ一心。子供たちを守りたいという気持ちからだった。
その話をするとき、小田実は、僕たちにむかってこう、語りかけてくれた。
「君ら、英語をなんのために勉強するんや?」
と言う質問だった。
「大学に行くためか。仕事で使って金儲けするためか? なんや?」
と言うのである。
そして、
「わしの英語もひどい発音や。あのこの間しゃべった おもろいおっさん。 竹村健一も、けったいな英語や。そやけど、ワシらの話の中身は、大分違う。」
「英語でも、中国語でも 韓国語でも、なんでもいい。若いうちにしっかり勉強することは大事なことや。しかし、もっと大事なことがある。」と区切りそして
「その学んだ言葉で、なにを話すのか ということや」と言った。
それ以来、「何を話すのか?」が私の心の中で、なんども繰り返されることになった。
時々 忘れそうになるが、福島の原発が爆発したことで、一気にそのことを 思い出すに至った。
「ああ、私は間違っていた」とも思った。
私自身、いつのまにか、金儲けのことを考えていて、若いときに学んだ大事なこと・・・つまり、何を話すのか?についての自己探求を、すっかり 忘れていた。
愚かな私は、ウラン鉱山への投資さえしていたのである!
そのときに、私は、「長期的には、原発はよくないが、短中期的には、これしかCO2を減らしていく方法はないであろう」と、もっともらしいことを、知ったような顔で語っていた。私は、間違っていた。読んでくれていた人に、まず 謝る。
そして、恥ずかしい私は、このブログを閉じて、しまうべきか、どうか 実は迷った。
しかし、それは 卑怯だと思う。
まずは、間違いを謝って、それから、初心に戻って 脱原発についてみんなとともに、考えそして戦うべきではないかと思うに至った。
どう、戦えば良いのか?については、いずれ徐々に見えてくると思う。
そして、さまざまな日本の矛盾点についても、考えていきたいとおもう。
欲も得もない話だ。
儲け話だと 多くの読者をひきつけられることを私は経験で知っている。
もう、そんな退屈な話をしている自分にも飽き飽きするし、経済や政治がいかにくだらないものなのかが よく分かった。
一言で言えば、3・11の、震災以降、日本は変わったし、私も変わった。
しなければならないことも、変わったと思う。
それは 個人の場合には、どうやって身を守るかということだし、国の場合にはどうやって舵を切るかということだろう。
私にとっては、自分自身をもてあましている大馬鹿者という定義に、あまり変わりがないようだが、しかし、なにかできないかを考え続け そして、ここに書き続けることを許してもらいたい。
ビキニ諸島のとき、おばちゃんたちが立ち上がったという話は書いた。
そして、彼女たちが立ち上がって アメリカ合衆国政府を裁判にかけて、なんと勝訴した と言う話も書いた。
彼女たちは 英語ももちろん出来ないし、弁護士をやとう費用さえなかったから、独自で英語を学び法律を勉強し、アメリカのシステムを勉強して、そして裁判を起こし しかも勝ったのだ。それはただ一心。子供たちを守りたいという気持ちからだった。
その話をするとき、小田実は、僕たちにむかってこう、語りかけてくれた。
「君ら、英語をなんのために勉強するんや?」
と言う質問だった。
「大学に行くためか。仕事で使って金儲けするためか? なんや?」
と言うのである。
そして、
「わしの英語もひどい発音や。あのこの間しゃべった おもろいおっさん。 竹村健一も、けったいな英語や。そやけど、ワシらの話の中身は、大分違う。」
「英語でも、中国語でも 韓国語でも、なんでもいい。若いうちにしっかり勉強することは大事なことや。しかし、もっと大事なことがある。」と区切りそして
「その学んだ言葉で、なにを話すのか ということや」と言った。
それ以来、「何を話すのか?」が私の心の中で、なんども繰り返されることになった。
時々 忘れそうになるが、福島の原発が爆発したことで、一気にそのことを 思い出すに至った。
「ああ、私は間違っていた」とも思った。
私自身、いつのまにか、金儲けのことを考えていて、若いときに学んだ大事なこと・・・つまり、何を話すのか?についての自己探求を、すっかり 忘れていた。
愚かな私は、ウラン鉱山への投資さえしていたのである!
そのときに、私は、「長期的には、原発はよくないが、短中期的には、これしかCO2を減らしていく方法はないであろう」と、もっともらしいことを、知ったような顔で語っていた。私は、間違っていた。読んでくれていた人に、まず 謝る。
そして、恥ずかしい私は、このブログを閉じて、しまうべきか、どうか 実は迷った。
しかし、それは 卑怯だと思う。
まずは、間違いを謝って、それから、初心に戻って 脱原発についてみんなとともに、考えそして戦うべきではないかと思うに至った。
どう、戦えば良いのか?については、いずれ徐々に見えてくると思う。
そして、さまざまな日本の矛盾点についても、考えていきたいとおもう。
欲も得もない話だ。
儲け話だと 多くの読者をひきつけられることを私は経験で知っている。
もう、そんな退屈な話をしている自分にも飽き飽きするし、経済や政治がいかにくだらないものなのかが よく分かった。
一言で言えば、3・11の、震災以降、日本は変わったし、私も変わった。
しなければならないことも、変わったと思う。
それは 個人の場合には、どうやって身を守るかということだし、国の場合にはどうやって舵を切るかということだろう。
私にとっては、自分自身をもてあましている大馬鹿者という定義に、あまり変わりがないようだが、しかし、なにかできないかを考え続け そして、ここに書き続けることを許してもらいたい。