Sydney Yajima


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地震

2012-03-21 17:32:42 | 地震予知 24時間
M7.4の地震がメキシコで起こったが、どうも規模が中途半端である。
このまえのHAARPの振動のぶれは、もっと大きいはずだ。
タイミング的には、昨日の7.4で正解なのだが、どうも小さいのが気になる。 7.4といえば結構な規模だといわれるかもしれないが、私の予想ではもっと大きなものだった。
いずれにせよ、引き続き警戒レベルをあげておいてほしい。

しかし、今の日本には、もっと恐ろしい影が忍び寄っている。
今年の5月ごろから、そのただちに健康には影響のない程度の、ただちに、の時間軸がなくなり、健康に影響が出始めてくる。
そのときまでに、原子力保安庁は、すべての原発に駆け込みでお墨付きを与えて継続営業をさせようと目論んでいる。

日本には、大きな秘密がある。
オカルトめいているかもしれないが、まあ、もうちょっと付き合いたまえ。忙しい人は、読まなくてもいい。

今日は、言葉について考えてみたい。
言葉には優劣があるか?
という質問をなげかけてみたい。

つまり文明の発達において、言葉の果たす役割のなかで、優劣がつくかどうかである。
私の答えは YESだ。

私は二ヶ国語が自由に話せる。
日本語と英語である。
日本語は、感情を表すのに適している。だが、一方 機械やコンピューター、工学関係などに関しては、すべて英語のほうが適している。日本はかなりの自動車を世界に送り出しているが、その車の部品はほとんどすべて、英語そのままである。コンピューターの部品もソフトもそうだ。工学関係も英語をそのまま入れているのが多い。理由は、英語のほうがそういうものを表現するのに適している。つまり、優れているからだ。
だから、日本人は日本語にカタカナを入れて、なんとか柔軟に対応してきた。しかし、それも限界がある。
日本語では、正確に描写しきれない図面の詳しい説明などは、まったくカタカナ英語だらけになってしまう。
経済だってそうだ。英語のほうが何倍も分かりやすい。
つまり、日本語は、経済や工業には全く適していない言葉なのである。そして日本の先端技術を担っているエンジニア(職業名までが英語だ)たちは、日本語で理解しようとはせず、初めからカタカナ英語で理解していく。
ところが、日本の新聞や法律家、それに政治家たちは、すべて日本語で物を言う。日本人なのだから当たり前の話だが、当然、エンジニアに対する理解度が少ない。
少ないだけではない。間違うのである。

今回のフクシマの問題でも、政治家たちは日本語でごちゃごちゃと言い訳をするが、本当に何も伝わってこない。
福島の避難地域では、大地が平米あたり、何万ベクレル 何十万ベクレル 何百万ベクレルのレベルで汚れている。
保安員→原子力規制庁で肩書きを変えてみたり、 土壌の除染をする などの言葉遊びは、いかにも日本の政府らしい。
名前を変えて何も変わらず。

大変な被害がでていて、実際に 人も死んでいる。これからも死んでいくだろう。
そのことを、誰も責任は取らない。そのことに対して、もちろん誰も怒らないからだ。

当たり前である。多くの日本人は「自分さえ良ければそれでいい」と考えていて「誰かがなんかエエ感じにしてくれへんかな」と期待しているだけであるからだ。

だが、二ヵ月後にはそろそろと現実をつきつけられることになるであろう。
大騒ぎになるだろうが政府は多くの言論を規制しはじめるはずだ。

さて、此処からが秘密に迫ってみたいところである。
いよいよ本題だ。

言論や報道を規制することは、民主主義では違憲であるが、日本ではいつも行われている。
特に最近は、うんざりさせられるほどだ。
本当の情報は、決して伝わってはこず、危険な状況のまま棄民させられている。
日本は今、旧ソ連のチェルノブイリの対応よりも悲惨で、無責任で 放置状態に置かれている。
だが、日本人の多くは、知らされていない。
ご存知だろうか?
もし今余震が起こり、すでにボロボロになっている4号機の燃料プールにちょっこっとでもひびが入ったら、日本は終わりなのである。関東地方も含めて、終わりなのだ。そしてそれは、あとほんの一押しで ビリビリっとひびが入る。
それで、終わり だ。

危機感を煽るつもりはない。
日本が終わりを告げようとしているということを、淡々と書いているだけだ。

こんな状態になっているのにもかかわらず、守りたい秘密とはなんなのか?

日本はどうしても、守っておきたい秘密がある。
もちろん、此処で指す日本とは、日本国民の日本ではない。
だが・・・
これ以上書くことに、私自身 身の危険を感じるし、それほどのリスクを承知で書く時期でもないと考えている。
いずれ、「ああ、あのことか」と読者の中には気がつく人がいるかもしれないが、私は、場合によっては この秘密を墓場までもっていくつもりだ。
ただ、秘密があるとだけ、書いておくにとどめる。