Sydney Yajima


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国家と政治

2014-11-05 01:29:47 | 政治
福島第一原発が事故を起こして 三年半経った。
誰もが、自分にいつか なんらかの形で降りかかるであろう災いへの 不安な予知を感じながらも 暗鬱な気分で過ごしているはずだ。
それは、東日本のみならず、日本全体を暗い雲が覆いかぶさるように、決して消えることなく、ずっと心の中のどこかで、1億人以上の人間が、感じているはずだ。

もし、何も感じていないと言う人がいるとしたら、それは、嘘である。

少なくとも

福島から出た放射性物質が、何らかの形で環境中にばら撒かれた状態で 現在も様々な場所や地域で、放射能を出しているはずであり、それは、程度の差こそあれ、そこに ある ものなのだからだ。

もし、日本という国があり、国民が主権を持ち、そして 危機管理を国が責任をもって、国民の生活の立場に立って、行うのが、行政というものだとしたら、被爆という環境汚染に対して もっともっと 慎重に かつ 繊細に 調査し、あるいは公表もし、さらには、移住の支援も行うはずだが、そうではなく、除染という 広大な土地の土を移動させるという手段を取っている。

今、福島の事故は現在進行形なのであり、それえは、決して 収束などしていないのである。
そこでは 作業員の方々が猛烈な被爆環境のなかで、今現在も 戦っているのである。

にも関わらず、一時は 終息宣言なるものを、野田総理時代には出した。

私は 唖然 とした。

この国は、政治は どうなってしまったのだろうか? と

私はそれほど、日本の国の政治や体制に対して、全幅の信頼を持っているというタイプの人間ではなかったかもしれないが、それでも、もう少し、期待はしていた。

危機に際して、もっと迅速に、人々を危険な放射能汚染から遠ざけることをするだろう。 あるいは ヨウ素液を配り、人々を守る手段は講じているはずだ。と思っていた。

友人たちは、かつて、私が何度も原発事故の危険について話したとき、冗談のように、ふざけて 「イソジンを飲もうっと。」と笑っていた。
イソジンにはヨウ素が入っているからなのだそうだ。
しかし、同じことを言い、私を半分馬鹿にして笑う人は、今はいない。

私が ずっと昔にオーストラリアに移住したことを、あるいは、妬む人はいるかもしれない。
シチュエーションの違いが、何を呼ぶのかというと、残念ながら、そこには 嫉妬しかないのだ。

私は、嫉妬されるために、こんなことを言ってきたわけでもなく、また 人から嫌われるために、わざわざ 書いてきたわけでもない。

ただ、ひとりでも多くの人が、気づいてくれるか、本気になって、考えてくれるかのどちらかを、期待していただけであり、また、そのために、どうやれば 時間を味方につけることができるか ということを 悩んでもいた。

結局 私の悩みなどは、私自身にしかわからないことであったのかもしれない。

いつもはGSMにしか書かないような 内容を少し、書く。

国家と政治について、だ。

国家とは、お金を刷り、あるいは、優秀な官僚を雇い入れ、彼らを複雑なICチップのように、配置し、そして運用していく機械のようなものである。
よく、官僚が国を動かしているかのように、勘違いしている人がいるが、それは違う。
官僚は、コンピューターであり、コンピューターは、どれほど優秀であっても、コマンドがなければ、動かない。
つまり、誰かが、何らかの意図を持って キーボードを叩き、命令を出さなければ、一ミリも動かないのである。

では、誰が、どんな意図を持って、キーボードを叩くのだろうか?
とあなたは考えたことがあるだろうか?

国民主権という幻影やファンタジーの世界で 中学校の公民の教科書どおりに 国民の意思によって、国が動くと思っている人にとっては、この先は読む値打ちはないだろう。

国民が選んだ政治家によって、その キーボードが叩かれるのだ。
ということは、確かに、かつて、あった。

田中角栄あたりまでの日本の政治は 確かに もっと国民に近かっただろうし、国民の意志は、何らかの形で、国策に反映されてもいた。
だが、それは、勘違いである。

それはたまたま、国民の唯一の願いであった 「裕福になって 腹一杯食べたい」という気持ちと、日本の国を豊かにするという政治家が、日本の国を豊かにしておくモデルと作っておく という ある意思決定をした勢力との意図と、一致しただけに過ぎない。

日本が世界の経済大国になっても、今 現在 6人に一人の児童が貧困家庭であり、給食費も払えない現実を、どうすり合わせてみれば、日本の国民が裕福になって 腹一杯食べられるように なったと言い切れるのだろうか?

その 本当の意思決定をする勢力が 誰であるのか などという野暮なことは、この際 どうでもいい。
仮に、それを知ったところで、あなたには どうしようもないからだ。
だが、超国家的な存在が、ある。ということは、あなたは 理解しなければ、 この「なぜ 日本には原発事故があり恐らくは 大きな被害が出るにもかかわらず、再稼動を急ぎ、あるいはまた、危険な地域に人が住み続けるのか? なぜ 経済大国に、路上生活者がたくさんおり、彼らは、字も読める教養のある人たちである驚きを、外国人は不思議な顔をして眺めているのか?あるいは、6人に一人の貧困家庭が存在するのか?」
などという疑問には、説明がつかないからである。

彼らを救うことのできる存在は、権力の持つものたちである。
それは 私でもなければ あなたでもない。
国の中に存在する 権力が、国の人々を助けようと思えば、助けることができる性質のものであるはずだ。

国の外にいる人々に対して、自分の国の中の人間をなんとか助けてやってほしいとか、なんとか良い感じにしてくれないか?などと聞くものがあるだろうか?
また、見たこともない外国の人々に対して、あなたが親身になって助けようとしないように、外国の人々が あなたのために、命がけで助けてやろうとは、しないのである。

唯一、アメリカが友達作戦をして、なんらかの援助をし、なんらかの見返りを将来に期待していただけでは なかっただろうか?
そのアメリカでさえ、世界一の規模の軍事と経済をもつ、そのアメリカでさえ、自国の人々を救うこともできないで いるではないか。

なぜか、考えてみたことはあるだろうか?
この不思議なパズルに、真剣に一度向き合ってみたことは、あるだろうか?

超国家的 存在

それは、あらゆるものを超える存在だ。
そういう存在について、あなたは 考えてみたことはあるだろうか?

彼らは、有権者の不満に対して、聞いてやる義理はなく、そこに住む人間について、同情する必要もないし、一生出会うこともない。貧しい人々のために一肌脱いで救済してやろうと考える親切心を持つ必要もなければ、そのために自己犠牲を払う気も もちろんない。
 経済 工業力 環境 あるいは 人々の健康に、どんな種類の関心も 持つ必要もないのである。
なぜなら、彼らはあなたや 有権者のいる場所で同じように空気を吸い、同じように スーパーのレジに並んで買い物をしていはいないからだ。
しかし 彼らは絶大なる権力 財力 コネクションを持つ。
こういう構造の中で 日本の政治家やその政治は、まるで、野球のリーグ戦のようなものでしかなく、大衆は どちらが勝ち、どちらにより優秀な選手がおり、あるいはどのような展開になるのか ということに夢中になっているうちに、どんどんと時間がたっていき、気がつけば、大衆は毒ガスだらけの野球スタジアムで苦しんでいるのかもしれない。
実際に物事を決めて行うのは、あくまでも 超国家の力と、彼らの意思と、さらには、かれらにとって都合のよい結果を導き出すことだけであって、その間のプロセスに、どんな野球チームが勝とうと あるいは 負けようとも、いささかも関わりがないのである。

私の書くこの中に、いくつかの変数がある。
その一つ一つを、つまびらかには解説する気はない。また、その義理もない。
あなたは 私が困ったとしても、決して 私を助けようとはしないであろう
私も あなたを助けなければならない義務も 責任も ない。
ただ、私はいくつかの情報と すぐに来るであろう (あるいはいくつもが現実になってしまったが)災いについて、注意や その前にやるべきことを示唆して見せたに過ぎない。
あなたを助けるのは、あなた自身であるということだ。
国家や政治に期待するほど、夢を見続けるつもりがないのであれば あなたは、なにをするべきなのか、多分 もう 考えているに違いない。

さらに言えば、それほど 甘えた人たちでもないはずだ。


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