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いつも基本を忘れずに
お茶名を拝受された方がいらっしゃいます。
先日、お家元に代わりお渡しする式をしました。
いただいた方の感想の一言は、
「続けてきたから、この日がある。ちょっと自信がもてました。」
そうなんですよね。
お茶に関しては、続けるという根気に勝る才能はないと思います。
ここの所続けて三十代の方が二人お茶名をいただきました。
お仕事をしながら、子育てをしながら、頑張ったことは、
本当に素晴らしいことだと思います。
お家元からいただくお茶名には、「宗」の一字がつきます。
多くの場合、自分の名前から一文字取り、宗なになにとなります。
雅子さんなら、「宗雅」というように。
ですからいただくお名前は、おおよそ予想がつくのですが、
まれにそうでないことがあります。
たとえば「淳子」さんが、「宗淳」をいただけるのかとと思っていたら、
「宗順」というお名前で届きましたし、
私も、「一枝」なので「宗枝」かしらと思っていましたが、
「宗和」という名前をいただきました。
いずれにしても、自分でこの名前がいいなどと希望出来るものではないので、
付けていただいたお茶名をありがたくいただくことになります。
「宗」は家元の名前からいただくなのですが、元をさかのぼると、
大徳寺を開山した宗峯妙超に由来するとのこと。
そう考えると、宗名をいただくということは、
さあこれから修行をお始め下さいという許しを得たようなものなのです。
けして到達点ではなくて、むしろ出発点なのですね。
その名に恥じないように、さらにお茶に励んでくださいということなのですね。
それは別に苦しい修行をしなさいというわけではなく、
もっともっと楽しみなさいということだと、私は思っていますが。
どのように楽しむか、何を楽しむかですね。
