ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

慈恩寺界隈

2009-10-31 | Weblog

慈恩寺三重塔  2009 10 31 PM2時半頃

同上

現存する三重塔は元の三重塔が1823年に火災消失後1830年頃再建されたもの

慈恩寺本堂(桃山建築様式) 1818年頃最上義光によって建立された 国重要

文化財

平日の昼下がり いつもは訪れる人も少なくひっそりと静まり返っている境内 こ

の日に限って十数人の団体客で珍しく賑わっていた 三重の塔に抜ける道の階段脇

僅かに残された今が盛りの紅葉の朱色が眩しいほど

に眼に飛び込んで来た


慈恩寺境内に隣接する宝蔵院とその表門

同上

同上

慈恩寺境内の北東側に隣接する宝蔵院 以前彼岸花の記事で何度か紹介している寺

である

この寺の表門は慈恩寺境内一帯に現存する建物の中でも最古の建立(1613年)

とされ 中央の2本の太い本柱の前後に4本の柱を立てた四脚袖付き門と呼ばれ屋

根は切り妻破風造り いわゆる室町建築様式の流れを汲む格式の高い造りである

因みにこの門が建立された時代は 徳川家康により江戸幕府が開かれた1603年

から僅か9年後の 2代目将軍徳川秀忠の頃 まさに江戸時代幕開きの頃であった

慈恩寺仁王門 1736年建立

慈恩寺境内には江戸時代(1603年~1867年のおよそ265年間)初期16

13年建立の宝蔵院表門 中期1736年建立の仁王門 そして江戸時代末期18

30年建立の三重塔 この他にも沢山の建物が現存している

慈恩寺界隈の風景 中央に仁王門の銅版葺きの屋根が見える

同上 民家

同上


慈恩寺の山裾に広がる林の中 

晩秋の穏やかな日差しを浴びて

かっては どこにでも見られた

のどかな農村生活を呼び覚ましてくれそうな

懐かしい風景が慈恩寺界隈に

今でも残っていた

秋霜の季

2009-10-29 | Weblog
 最上川ふるさと総合公園 2009 10 29 PM2時頃
 同上
 同上

 同上


今朝 村山盆地全体が深い朝霧に包まれた


こんな日は決まって気温が低く 霜が降りる

やがて霧が晴れると

真っ青な空が拡がった


秋霜が徐々に草木を枯らし

季もいよいよ冬支度を始めた









午後 最上川ふるさと公園でウオーキング

平日ではあるが 親子連れや老人(私は違う)・・・・?で賑わっていた


この公園も11月に入ると

時雨模様の天気が多くなり

人影もほとんど消えてしまう


広い公園のあちこちで 

縄で枝を縛ったりして

冬支度を始めていた


そういえば 天気予報で

来月3日 初雪の予報がでていた

 
一段と彩やかさをました市内緑町の街路樹


今朝8時丁度 自宅を出発


父の認知症診察のために市内のS病院へ

8時15分 丁度20番の受付順カードをもらった

9時から診察開始

待つこと2時間半

やっと順番が回ってきた

20分以上 いろいろと診察してもらえた

診断の結果 先日の小事件の時は認知症とは一寸違う

せん妄状態にあったらしい

せん妄・・・・・・・・・・・・・・・・・?

インターネットでいろいろ調べてみたが なかなか難しい病気のようだ

せめてもの救いは 本人に身体的苦痛はあまりないらしいということだ

この病気は焦らずじっくりと気長に付き合っていくしかないようだ


今後更に医学が発展して 寿命がますます伸びるにつれ

誰しもに起こり得る可能性をもつ病気なのかもしれない


薬局で暫らく待たされた

帰宅したのは12時40分だった

疏水百選 高松堰・・・・・・・・・・・・・・・・・2/2

2009-10-26 | Weblog

山形県立中央病院 2009 10 26 AM10時頃

同上

同上


3週間振りの山形市

あいにく台風20号の影響で雨降り

午後からは ずっ~と土砂降り雨


正面玄関に続く銀杏並木の葉は

すっかり黄色に化粧

黄色の落葉に舗道1面が

すっかり埋まっていたところもあった


父の咽喉の経過 特に異常なし・・・・・・・・・・・・


ついでに 金曜日に起きた 小さな事件について相談した

軽い安定剤でも処方してもらえないかと お願いしてみた

医者から 今日にでも専門医で受診するよう指導された


県立病院の帰り 早速寒河江市にある認知症専門医

S病院を訪ねてみた


相談員の方と20分ほどいろいろ話し合った結果

木曜日 改めて受診することになった


どんな結果が出るか 

又ひとつ心配が増えてしまった・・・・・・・・・・


介護問題が社会問題となってからだいぶ久しいが

単なる病気と違って

個人々でいろんな要素が複雑に絡み合ってきている所が

なかなか大変である・・・・・・・・・・・


昨日の続き


寒河江市上谷沢

高松堰は写真中段の帯状になっている林の陰を流れている

葉山・寒河江市白岩

同上


高松堰遊歩道を自転車で回っておよそ1時間

いよいよ 遊歩道の終点に近付いた


そこから先 高松堰は

小さな随道の中に潜ってしまい

とうとう見えなくなってしまった


帰り道は 山側に続く道を選んだ

少し坂道を登ると

見晴らしが急に開けた場所に出た


今通って来た 高松堰の流れに沿って

帯状になった林が西から東へ

ずーと続いていた


そこから更に山道を上って行った

りんご畑と葉山 りんごは今が収穫の最盛期 りんごをいっぱいに詰め込んだコンテナが山のように積み重ねられていて あちこちの畑からボリュームをいっぱいにしたラジオの音が流れていた

同上 赤い点々とした小さな屋根は別荘・・・・?実はりんご畑の作業小屋

同上 眼の前に広大なりんご畑の180°大パノラマが拡がる

青いりんご畑に突然真っ赤に熟した柿の実が・・・

雑木林はそろそろ紅葉が始まってきた

ウルシの紅葉

収穫を終えたブドウ畑は黄色に紅葉していた

いよいよ山深くなって来て 熊でも出てきそうなところまでやってきてしまった

そろそろあたりも薄暗くなってきた

間もなく山道も終りに近付いて来た

戸数7~8戸の谷沢

山道を少し下ると谷沢が眼に入って来た

人家が見えて ほっと一安心

高松堰の自転車ダイエット・・・・・・・・        これでおしまい


自分の住んでる家から

自転車でほんの15分ほどの身近な足元に

素晴らしい故郷の歴史や自然が

まだまだこんなにたくさん残されていたことを

改めて知った 貴重な半日だった


谷沢から

ゆっくり自転車を走らせて

およそ15分 無事自宅到着


久し振りのダイエット挑戦・・・・・・・・・・・・でした

でも・・・・・・・・・・・・・・少し疲れたァ~

疏水百選 高松堰・・・・・・・・・・・・・・・・・1/2

2009-10-25 | Weblog

疏水百選の高松堰・三山線の線路跡(S49年廃線)・お茶の木の花 2009 10/25 PM1時半頃


午前中 秋晴れの良い天気

陽気に誘われて 自転車に乗ってダイエットに

と 思いきや............

空模様が少し怪しくなって来た

家の近くを少しだけ

と 思って出掛けたのだが 

あちこち 2時間半も回って来てしまった


寒河江川(右下)・高松堰畔

葉山・白岩

高松堰 畔


今日の自転車乗りの出発点

自宅から西におよそ1kmの所にある

高松小学校の裏を流れる高松堰


日本の疏水百選に選ばれている

高松堰遊歩道はそこから始まる

終点はおよそ5KM先の上谷沢の高松堰頭首工


寒河江川・高松堰頭首工 (2009/10/23撮影) 高松堰を流れる疏水はここから取水され8km先の700haの田畑を潤す

高松堰

同上

同上

同上

同上 

堰の両岸一帯は親水公園として綺麗に整備されている

同上

同上

高松堰(右)もここから先 堰堤までのおよそ4~500mの距離は 細い隧道となって地中に入って行った

日曜日の午後 この日高松堰沿いの遊歩道を自転車に乗って見かけたのは農家の人5~6人だけだった

高松堰が最初に作られたのは今からおよそ800年前の鎌倉時代といわれている

1185年 源頼朝が壇ノ浦の合戦で平氏を滅ぼし征夷大将軍となった

そして 鎌倉に幕府を開いたのが1192年(いいくにつくろう)


そんな遠い遠い昔から 

人々の悠久の歴史を刻み続けてきた高松堰

いったい何を見つづけて来たのだろうか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く

霜降・月山・柿の実

2009-10-23 | Weblog

月山・左沢線上り山形行き2両編成ディーゼルカー 2009 10/23 AM10時半頃


今朝の寒河江市の最低気温 5℃

今日は二十四節気のひとつ 霜降

※霜降・・・・・ 北国や山間部では霜が降りて 草木が白く化粧する頃 又 野の花の数が減り始め 替わって野山が鮮やかな彩の紅葉に色付く頃


霜降の日の朝にふさわしく

雲ひとつない青空が拡がり

その分 放射冷却が強く

今年一番の冷え込みとなった



朝陽の

眩しいひかりに照らされ

鮮やかな

橙色に染まった柿の実



彼方には

山肌すべてが

錦繍に染められた

紅い炎のように燃える月山が・・・・・・・・・・・・





月山の頂きが

白い帽子をかぶる 初冠雪の朝

もう そう遠くはなさそうだ・・・・・・・・・・・



今朝 我が家で小さな事件が起きた

6時少し過ぎ


少々認知症にかかっている父

ふとした妄想・・・・?の呪縛にとりつかれ

昨夜は一睡もせずに

一晩中起きていたらしい


そして今朝

一人で軽トラのエンジンをかけ

出発寸前 !!!

のところで 危うく母と女房の二人で制止・・・・・・・・・・・・


「お父さ~ん・・・・・・」

と 女房の叫ぶ声に起こされた


慌てて駆けつけると

そんな事件が起きていた


いつもは車から キーを抜いておくのだが

昨日に限って 付けっ放しに


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもお世話になっているデイサービスのスタッフの方に

わざわざ来てもらい

父を何とか説得してもらった


そして今日一日 スケジュール外でデイサービスのお世話に

夕方 デイサービスから戻って来た

まだまだ 妄想の呪縛から解き放たれてはいなかった・・・・・・


追分石・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

2009-10-21 | Weblog
 追分石 寒河江市宮内 左・湯殿山  右・幸生


 右ガードレールの裏に建っていた
 寒河江市宮内国道112号線沿いにある 追分石 2009 10/21 PM4時頃

元は別の場所にあったらしいが 何度か移設されて今は国道脇のガードレールの裏側にひっそりとして建っていた

石に刻まれている文字 もともと漢字に弱い私 なかなか全文は判読しがたし

左 湯殿山  右・・・・   他に 道 が読めただけ

月山 湯殿山を通って鶴岡までつながる 旧六十里越街道に建っていたことは間違いなさそうだ


かってこの追分石が

湯殿山 月山 そして羽黒山の出羽三山を巡礼した 

いにしえの旅人達の貴重な道標として 

おおいに活躍した時代が長く続いたことだろう 


今日は暫らく振りにゆっくり過ごした・・・・・・・・・・・・・・?


10月も半ばを過ぎると

そろそろ冬支度のことが

脳裏をかすめるようになって来た・・・・・・・・・・・・・


冬を前に まだやり残しているものはないかと・・・・・・・・・・・


女房が珍しく風邪をひいてしまったようで

昨日から寝込んでしまった


新型インフルエンザ・・・・・・・・・・・・・・?

今朝になったらだいぶ良くなって

近所の友達がたまたま遊びに来て 

朝からお茶のみをしていた

 日帰り温泉脇の最上川・遠くに奥羽山脈


午前中 家の掃除や外の片付け

午後 久し振りに日帰り温泉に行って

のんびりして来た

 葉山 


帰りに一寸寄り道して 

寒河江市の西端 宮内まで行った

 寒河江市下谷沢・白岩
 寒河江市下谷沢
 寒河江市宮内 国道112号線にあるバス停
 寒河江川 月山方面
 寒河江市宮内
 葉山
 同上 
 同上
 葉山・寒河江川・宮内橋
 寒河江川・獅子ヶ口神社・仙台 酒田自動車道 夕方4時半を過ぎると急に夕闇が迫って来た
 葉山・宮内
 同上
 同上

夕方4時40分 

すっかり夕闇が迫って来た 

刈り取りの終わった田んぼの

寂しい風景に

少し人恋しさを覚えて来た


こんな田舎に住んでいても なお 

ここから僅か数kmしか離れていない

自分の住んでるのほうが

まだ少しは人の往来がありそうな気がした



国道112号線に平行して

山沿いをもう1本の太い道路が走っている

その裏道を通って

オレンジ色に染まった夕陽を背に受け 

間もなく 我が家に戻った

信号3箇所 僅か6~7分で到着した

芋掘り体験

2009-10-18 | Weblog

菊(観賞用)・青菜畑  2009 10 18 AM9時半頃

稲刈りの終わった田んぼ・長岡山

菊畑(食用菊)・芋掘り体験


寒河江市主催 芋掘り体験行事に女房と二人で参加

今日はチエリーランドで寒河江 農業と物産祭り があった

その一環として 芋掘り体験行事だった

先着100組募集に参加



朝から薄曇りの芋掘り作業には絶好の天気


持ち物はスコップと軍手

ニノ堰親水公園駐車場に車をとめ そこから歩いておよそ10分


辺りは稲刈りの終わった茶色い田んぼと

これから収穫を迎える漬物用の真っ青な色をした青菜畑

が続く 長閑な景色を眺めながら

里芋畑へと向かった


親子連れ じいちゃん・ばあちゃんと孫 そして私達のような夫婦連れ・・・・

等々 およそ二百人位の人が集まった



参加料は一組200円

里芋2本が各自の持分

あらかじめ里芋に番号札が付けられていた


慣れない手つきで

「よこらっしょっ」 と 持参したシャベルで

足を使って 一気に掘り起こす

土の中から

びっしり詰まった里芋の根っこが出て来た

感激・・・・・・・・・・・・!!!


我が女房・・・・何故か片手で芋を取り出していた


およそ30分で芋掘り体験 終了

みんな満足そうに収穫した芋を入れた白いビニール袋を持って

今来た道を帰っていった


寒河江ふれあい交流村 駐車場脇公園

だいぶ紅葉していた そろそろ秋深し・・・・・・?




家に帰って早速泥洗い

私達の収穫はこれで普通程度

倍くらいの量を採った人もいた


夜 里芋煮のおかずが出てきた


つるり里芋 という

近頃出回り始めた新品種


もちもち感が強く

加えて 自分たちで苦労して?掘ったかと思うと

いっそう美味しく感じられ 

まさに 秋 真っ只中 これぞ里芋の味覚だった

セイタカアワダチソウ

2009-10-15 | Weblog

葉山・セイタカアワダチソウ 寒河江市中央工業団地にて 2009 10 15 PM4時頃


十月三日 仲秋の名月

を 界にして

それまで野山の秋の主役だった

ススキに代わって

セイタカアワダチソウが

いよいよ勢いを増して来た





背高泡立草・・・・・・・・・・・せいたかあわだちそう

秋桜・・・・・・・・・・・・・・コスモス


どちらもキク科の

北米原産の帰化植物で

コスモスは明治時代に日本に入って来て

今では古来から日本を代表する花であるかの如く

みんなに親しまれている


それに比べ セイタカアワダチソウ

ある意味で悪党呼ばわり

されているようだ


所かまわず群生し

いかにも精力旺盛ないでたちは

日本人が好む

物静かな秋の想いとは裏腹で

けして交わることはなさそうだ


セイタカアワダチソウの名前の由来には

いろんな説があるようだ


花の形が

酒を醸造する過程で生まれる

泡立ちの様に似ている事から来ているという説が

一番もっともな気がする


セイタカアワダチソウも秋桜と同じく

明治時代に初めて日本に入って来たようだ


私が子供の頃は ほとんど見掛けなかった


昭和40年以降 徐々に広まって行ったようだ

これ以上増えてしまうと

植物の生態系にまで大きく影響してしまいそうだ



今日は三ヶ月に1度の眼科の定期検診日

いつもながら 三ヶ月という月日が

瞬きのように流れ去って行く

時の過ぎ行く速さに

ただただ驚かされる


今日も特に異常なし・・・・・・・・・・・・・・・・

でも 少しずつ視力が落ちているようだ

本の読み過ぎ・・・・・・・・だと いいのだが


寒河江市緑町住宅団地の街路樹


隣組の男性が11日 突然亡くなった 

今日が葬式だった

五十七歳 まだまだこれからという人だった


先日 私にハーブの苗をくれた人だった


一月ほど前 我が家の庭先で

大きく成長した立派なハーブ

を 一緒に眺めながら

いろんな話をしたばかりだったのに・・・・・・・・・


人の寿命は本当にわからないものだと

つくづく考えさせられた


夕方5時少し前から犬の散歩に出掛けた

5時5分 下り列車が到着したばかりの左沢線 羽前高松駅前広場

帰宅する高校生を迎えに来た車で 駅前の駐車場が混雑していた


列車がホームを離れる頃には

再び元の閑散とした駅前の広場に戻った


大都市にしろ こうした田舎町の無人駅にしろ

大勢の人々が1度に行き来するする駅は

時にいろんな表情を見せる

まるで魂を持った生き物のように・・・・・・・・・・・・・・・・

ラッキーヱビス・・・・・・・・・・・・・?

2009-10-11 | Weblog

自宅裏散歩コース 寒河江市中央工業団地 2009 10 11 PM4時半頃

自宅裏神社の杜


いつもは夕方5時~5時半頃に出掛ける犬の散歩

今日は少し早めに出掛けた

まだ青空が残っていた

左沢線・蔵王連峰

里芋畑


およそ40分の散歩

今日1日の歩数・・・・・・・・7670歩

これでも私にしては いつもより少し多めの歩数だ


夕暮れの始まる時間が 

日一日として早まっている


白いマントを被った冬の使者が

今にも駆け足で迫ってきそうな季節が

とうとうやって来た


でも・・・・・・・・・・

線路沿いに咲く

ピンク色のムクゲの花が

微かに夏のなごりをとどめている


この夏は

なにも記憶に残さず

ただ 短く終わってしまった・・・・・・・・・・・



ラッキーヱビス(左)ヱビスビール(右)


昨日 夕方から親友のKさんを自宅に呼んで酒を飲んだ

こうして一緒に酒を飲むのは実に久し振りのことだった

夕方 ふと彼の事を思い出した

土曜日で もしかして休みかも・・・・・・・・・

思い立ったら吉日・・・・・・・・・・・・・

早速電話・・・・・・・・・・・近くでTVの音がした

是非相談したいことがあるので家に来ないか・・・・・・・・・・・・・・・

今日から3連休 夕方5時を少し過ぎたばかりの時間だったが Kさんはすでに酒を呑んでいて 車は運転できない との事だった

私が今から迎えに行く

・・・・・・・・・・・・・・・よし わかった

と 返事が返って来た


Kさんの家までは車でおよそ5分の距離

途中 スーパーに寄って酒と酒の肴を買った


彼は根っからのスーパードライフアンである

もちろん本命は日本酒 まさに酒の正統派


酒の腕前?は横綱級で 私などはとても足元にも及ばない位の力量だ

彼とは昔 よく1Lの缶ビールを豪快に呑んだ


でも痛風治療中の今の私は ビールはご法度


昨日は

昔を思い出して 1Lのスーパードライの缶ビールを1本買った


すぐ近くに 瓶のヱビスビールが並んでいた

これまでも時々ラッキーヱビスを探して来た

10年前「銀河の館」での竣工祝いで見つけて以来 ずーとお目にかかっていなかった

もしかして・・・・・・・・・・・

と 昨日もラベルを確認していくと 

なんと前から3列目でとうとうラッキーヱビスを探し出した


ラッキーヱビス(左)はヱビスビール(右)のラベルで小脇に鯛を抱えた戎様が その他にふごに入ったもう1匹の鯛を背負っている


今日はラッキー・・・・・・・・・・・・・

暫らく振りで会ったせいもあり 3時間半ぐらい酒を呑んだ

二人でスーパードライを呑んで その後エビスビールを飲んだ


ラッキーヱビスは次の機会まで残しておくことにした


それから彼は日本酒 私は焼酎を呑んだ

夜9時半過ぎ 奥さんが車で迎えに来てくれた

お土産に彼が呑み残した残りの1升瓶を抱えて 上機嫌で帰って行った

彼にしては珍しく半分以上残っていた

我が家に来る前にすでに相当飲んでいたのかもしれなかった


後で迎えに来た奥さんの話でわかったことだが

相談にのってくれと言う私の誘いが 実は酒を飲もうという誘いの電話であったことをすぐさまお見通しであったという

彼とはかって同じ職場で働いた同僚だ

私よりひとつ年下ではあるが 長年大工さんをしていた経験からだろうか 世間一般の知識に関しては私よりはるかに物知りである

そういったことに関してはまるで私を子供扱いにする

私もそのことに関しては特に異論はない

しかし ひとたび設計の分野のことになると まるで人が変わったように私を評価してくれた

今でも彼は私のことを当時の室長と言う名前で呼んでくれている

そして時々 お互い「お前」呼ばわりする時さえある

やはり持つべきものは近くの友・・・・・・・・・・・・・

昨日はそんな一夜を二人で楽しく過ごすことが出来た


さて 今日のテーマのラッキーヱビス・・・・・・・・・・・?

※ (一般的にはよくエビスビールと書かれているが正式名称はラベルにヱビスビールと書かれている)

今朝起きてみると

昨夜 栓を開けずに大事に残しておいたはずのラッキーヱビスがどこにも見当たらなかった

栓を開けたヱビスビールの空瓶はそのまま部屋に残っていた


いやな予感がした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母屋の冷蔵庫の扉を開けた

アルミホイールで栓をした半分入った無残な姿のラッキーヱビスが並んでいた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

連休で泊まりに来ていた娘が夜中に呑んだらしいとの事だった

10年前大切に家に持ち帰って来たラッキーヱビスも 実は無断でその夜の内に娘に呑んでしまわれた苦い経験を思い出した

でもどうしてラッキーヱビスが母屋に運ばれていったのか・・・・・・・?

私が呑もうと思って・・・・・・・・・・・・・・・・

と 妻が小声で謝った

我が家の女性陣 二人揃って酒飲み家系を受け継いでいるようだ


数百本に1本の割合で入っているらしいラッキーヱビス

戎様が福を持って来てくれるというラッキーヱビス

我が家に来ると 

ごく普通の単なるヱビスビールでしかない

はかない運命を持っているようだ

さて次のラッキーヱビスが我が家にやって来るのは何年後のことだろう・・・・・

今度こそ本当に福を運んできてくれるラッキー戎様でありますように祈念して・・・・・・・

鈴鹿サーキット

2009-10-07 | Weblog

鈴鹿サーキットメインスタンド・・・・・・ もしかして 小説「冬のひまわり」の舞台となったのは このスタンドなのかもしれない


4日前の 日曜日の午後

鈴鹿サーキットで行われれていた4時間耐久カーレース

テレビでライブ放送していたのを偶然見ることが出来た


鈴鹿サーキットのメインスタンドが

目に飛び込んで来た


鈴鹿サーキットのメインスタンドは

五木寛之著 小説「冬のひまわり」の

まさしくメイン舞台でもあった



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼はうつろな目の奥で、あの鈴鹿の海を見ていた。

巨大なメイン・スタンドの端のほうに立つと、晴れた日には左手に青く光る海が見えるのだ。

彼は心に乾きをおぼえるたびにいつもその海のイメージを思いうかべた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おれは鈴鹿では何者でもない。

観客でもなければ、走る側でもない。

だがしかし、このおれにも、自分なりのレースがないわけではない。

鈴鹿の耐久レースは八時間だ。

だが、おれのレースは7年目を迎えても、まだ終わってはいない。

おれもまた走りつづけてはいるのだ。

海を見ながら、男と女の、いつ果てるともしれない耐久レースを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もしかして こちら側のメインスタンドなのかも・・・・・・・


当時アルバイト学生だった二十歳の森谷透

サーキット場に2人で遊びに来た 当時16歳の高校生だった麻子と瑤子


20年もの時が移ろっているにもかかわらず

二人にとって運命的な出会いは

いつまで経っても

けして色褪せることはなかった



森谷と麻子

その日もお互い別々な思いを抱き

鈴鹿サーキットに来ていた


8時間オートバイ耐久レースが終わっても

森谷がまだそこで麻子を待ち続けていてくれたなら・・・・・・・・・・・


麻子は夫との幸福な家庭生活のすべてを投げ捨ててでも

守屋の胸に飛び込んで行こうと決心する

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが まもなく耐久レースが終わろうとしていた

その時

一瞬目を離したすきに

森谷の姿がそこから消えていた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森谷は今年も麻子が必ず鈴鹿に来ると確信していた

だが・・・・・・・・・・・・・・・

森谷はスタンドで熱射病で倒れた

意識を失った


二人は以後 2度と再会することはなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・



鈴鹿サーキットにはレースのたびに

今でも全国から20万人以上の人が集まってくると言う


鈴鹿サーキットは

レーサーでもなければ観客でもない

いろんな思いの人が集まって来る

人間模様が織り成す

永遠に走り続けるサーキットなのかもしれない