ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

赤大根

2009-09-29 | Weblog


昨日 女房が産直から赤大根を買って来た


紫がかった赤い色の大根やカブは

時々目にするが

まるで人参のように

鮮やかな朱色をした

大根を見るのは初めてだった


大根と言えば

外見も中身も白に決まっている

と 昔からず~とそう思っていたのだが

いろんな色や形 

大きさがあるのに

此の頃になってやっと気が付いた



包丁で真ん中から二つに切ってみた

中身は真っ白だった

なぜか安心した


隣の二十日大根と一緒に

薄く切って生で食べてみた


味や食感はどちらも淡白で

ほとんど区別がつかないくらい一緒だった




自宅裏の神社の境内 

今年はまめに下刈りをしたせいか

一面小さなピンク色した花が咲いている





今年も年貢の新米が届いた


去年の新米の記事を探してみたら10月3日だった

今年は去年に比べ4日も早い


まだ手付かずの米が1.5俵(≒50kg)も残っている

家族だけでなく他の人にも

だいぶあげたのだが

それでも余ってしまった


来年はもっと余ってしまうかもしれない・・・・・・・・・・・

運動会

2009-09-26 | Weblog

孫の保育所運動会 2009/9/26 AM9時


今日は孫が通っている保育所の運動会

娘から招待されて行って来た


自慢の息子


親の気持ち子知らずとは正にこの事か・・・・・・・?


用意ドン

孫 前に走らず

横に逃げ回って

まるでやる気なし


あの時

長い時間待たされてしまって

飽きてしまったの

と しきりに娘が言い訳していた


ふと 自分の子供もそんな事があったなァ~

と 思い出してしまった


同上


両親 祖父母が参加する

玉入れ競争があった


私も何故か

参加してしまった


太陽さん組み(赤組)と雲さん組(白組)

それぞれ25人ずつ


私も頑張って

籠を目指して球を投げたが

私の白組

赤組に10個ぐらいの差をつけられて

負けてしまった


玉入れが終わって

恒例の玉数え


一個々

両隣の人と手をつないで

その手を上げる・・・・・・・・・・

その数 なんと七十数回


同上


運動会が終わって

暫らくして どっと疲れが出て来た

午後 半日

横になって身体を休めなければならない羽目に・・・・・・


走る競技でなくて良かった


今日は孫のお陰で

楽しい1日を過ごすことが出来た

幸福・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

2009-09-21 | Weblog
幸福・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 


山形発ドラマ「スキップ!~商店街が生んだアイドル」


河北町シャッター商店街・・・・・・・・・・・・・


郊外に次々と進出して来た

新しい大型ショッピングセンター

に すっかり客足を奪われてしまい

町の中心部は

昼夜を問わず

人通りが全く途絶え

そこには閑散とした光景が拡がっている

だけだった


河北町に限らず

今や地方都市の抱える共通の都市問題に

なってしまっている



商店街に再び人を呼び戻す・・・・・・・・・・・・・・・

2度とそんな事が出来る筈がない・・・・・・・・・・・・

アイドルを育てて新しい情報を発信すれば・・・・・・・・


TVドラマ スタート


アイドルの一人・・・・・・・・・ ひろっぴ


彼女は自分たちの行動が

果たして

商店街に再び人を呼び戻せるのに繋がるのか・・・・・・・

迷い・悩んで行く


そんな時

金物店店主の新田(渡辺いっけい)は

「うまく行かないから幸福じゃないなんて思うな・・・・・・・・」

「今を元気に生きていれば 人はいつでも幸福に思えるんだ」

と ひろっぴ を励ました


一年後 商店街のアイドル「スキップ」 デビュー・・・・・

しかし

商店街は以前に比べ 何も変わらなかった

商店街に人混みなど 戻らなかった


そして4年後・・・・・・・・・・・・・・・・

シャッター商店街は以前よりもまして

人通りが少なくなっていた


ひろっぴ を励ました金物店店主 新田


かっての濃いグレーの作業服を脱ぎ捨てて

颯爽とした服装を着こなし

新しく出来たコンビニのレジに立って

客に愛想を振り撒いていた・・・・・・


客足が減り

店終いを余儀なくされた新田の

闘いの後の

苦渋の選択だったに違いない



変わり行く地方都市

S・29年 近在のいくつかの町村が合併して現在の河北町が誕生した

誕生当時の人口は約28000人だった

現在の人口は約21000人

かって

紅花を京の都に運ぶ最上川舟運の中心地として大いに繁栄した


今は 農業以外に これといって目立った産業がない町だ


一時期 スリッパ製造などで活気付いたが

安い中国製に押されて衰退した 

そして 次第に人口が減少して行った


今でも京の都から入って来た

立派な古代雛がたくさん残っている

歴史ある町である


歴史の歯車を再び元に戻す事は出来ない・・・・・・・・

過疎の町に生きる現在の人々の幸福・・・・・・・・・・・・・?

が 何んであるかを伝えていた

ドラマのような気がした

山形発ドラマ「スキップ・・・・・・・・・・」

2009-09-20 | Weblog
山形発ドラマ「スキップ!~商店街が生んだアイドル」


九月二十一日(今日) NHK総合TV AM10時5分~


寒河江市の隣町 河北町を舞台にしたTVドラマ

先週 地元山形で一度放送されたのですが

見逃してしまいました

今日 全国版で・・・・・?(間違ったらゴメンナサイ・・・・・)

再放送されます・・・・・・・・・・

今度は見逃さないように予約しました


今 地方都市で一番問題になっている

シャッター商店街をなんとかして活性化しようというドラマです

あの最上川に架かる最上橋も出てきま~す

是非見て下さいね~~

黄色の自転車

2009-09-18 | Weblog

萩と黄色の自転車  寒河江市山岸 2009/9/18 PM3時頃


今日のテーマ

黄色い自転車・・・・・・・・・・・・・・・・・・?



午後1時半 自宅出発

今日も愛用のロードサイクルに乗って

街に出掛けた


あちこちの庭先に

コスモスが咲き乱れる

穏やかな秋日和の天気


今日は街中を流れる

二の堰遊歩道散策に


左沢線・葉山



寒河江八幡宮の祭りが

既に始まっていた


と 言うより 

神輿祭りを除いて

大方の催事は終わっていた 

と 言った方が正しいのかも知れない・・・・・・


今年から

紅白の提灯飾りの他に

祭り気分を盛り上げる為

木製の行灯のようなものが

通りのところどころに置かれていた


寒河江市本町付近を流れる二の堰 ここが遊歩道の始発点

二の堰遊歩道 案内看板


親水公園までのおよそ2~3km

街中を流れる二の堰沿いの小径

徒歩で1時間くらいの道程だ



歩き始めてすぐ

街中には思えないような

閑静な雰囲気に驚かされた


正覚寺山門


最上家縁りの寺 

と 刻まれた四角柱の石標

門前の右脇に建っていた


この寺は

徳川家康と同じ戦国時代を生きた

出羽の国の武将 最上義光

の 御母堂様 

高月院が

人質として長く暮らした

京の都より秘かに戻り

蟄居した寺である


同時に

三十数年前

私が仏前結婚式(披露宴)をした寺でもある

(つい最近になって そんな由緒ある寺であったことを初めて知った)


再び街中を流れる二の堰

二の堰・澄江寺山門・Kさんの工場(右の茶色の建物)

澄江寺

更に2~300m歩くと

澄江寺という寺があった

この寺の山門は

寒河江城南門を移築したものだと

説明札が建っていた

そういえば袖塀の造りに

城の面影があった



この門が

最初に築造されたのは

江戸時代前期後半らしい

木組みや木彫り そして細かい彫金が施された金具 

その他にも見るべきものがたくさんあった

立派な山門だった



この寺もかなり由緒ある寺だ

山門から本堂に至る参道の両脇には

見事に手入れされた松の木が並んでいた


この辺では

お寺の境内や庭を

わざわざ行って見学するなど

ほとんどありえない話で

このように手入れされた境内は

本当に稀有である


澄江寺山門・花壇・そして道路左端を歩いてくる男の人・・・・・・・?


澄江寺の山門・境内を見終え

道路沿いの花壇の彩りに

つい見惚れてしまい

写真を撮った・・・・・・・・・・・


遠くから男の人が一人

ゆっくりタバコをくわえながら

歩いて来た・・・・・・・・・・・

その時 

確かにカメラの視界に人が入るのを感じていた


私は写真の中に

人が一緒に写る事を拒まない


むしろ一緒に写ったほうが

臨場感があり

後で写真を見直す時など

その瞬間の情景を

鮮やかに甦らせてくれる時が

多々あるからだ


この時もまさにそうであった


写真を撮り終え

自転車に乗り

立ち去ろうとしていた時だった


その男の人が

私に近付いて来た


・・・・・・・・・・・・・・セ・ラヴィーさんですか?

と 問い掛けて来た


私の名前・・・・・? を 知っている人など

いる筈がなかった


でも 確かに

セ・ラヴィーさんですか・・・・・・・?

と尋ねて来た


ええ・・・・そうですが


やっぱりセ・ラヴィーさんでしたか

その黄色の自転車を見て

セ・ラヴィーさんだと思いました・・・・・・・・・・


Kさんは昨日の私のブログを

読んでいたらしかった


澄江寺のすぐそばで町工場を経営する Kさん


事のいきさつは

道路に出て一服していたら

なんと今朝読んだばかりの

セラヴィーさんのブログの黄色い自転車が

目に入って来た

と 言う事だった・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Kさんの工場に案内され

いろいろ仕事のことを伺ったり

もちろんブログのことを話題にしたり

30分位いろいろと話をして来た


Kさんは私より丁度一歳若い人だった


初めてお会いした人とは思えない位

私の病気のことなど

いろんな事を知っていた・・・・・・・・・・・・?


これからもメールを通じて

いろいろお付き合いをしていくことにして

別れた


それにしても

全くの奇遇としか言いようのない出来事だった


この世に人としては

けして実在しない筈の

セ・ラヴィー

実は存在してしまった


寒河江の街はやはり狭い


しかし これもなにかの縁


Kさん・・・・・・・

今後ともどうぞ宜しくお願い致します

寒河江市役所(右)・私の設計した住宅(左)二の堰

同上・二の堰

山岸通り・二の堰 萩の花が満開だった

同上 ・ りんご畑

葉山・親水公園


街中(およそ2km位)を過ぎると

いよいよ二の堰親水公園沿いの道になる

二の堰親水公園

同上

同上

同上

同上

同上 

二の堰沿いは

両側に遊歩道が設けられている

背後に田んぼ・野菜畑

そして果樹畑が広がっている


果樹畑の中に 一軒の小屋があった


急勾配の単純な切妻屋根 大きさ 屋根・壁の色 

どれひとつとっても

私好み・・・・・

なんとなくトトロでも住んでいそうな

そこには

不思議な雰囲気が漂っていた・・・・・・・・・・

同上

同上 真っ赤に色付いた大きなりんごと青い屋根がとても似合っていた

二の堰親水公園 メインパーク

同上

同上

奥羽山脈・黄色く色付いたたんぼ


途中

久し振りに我が家のサクランボ畑に寄ってみた


今頃の時期のサクランボ畑は

ほとんど人影もなく

静まり返っていた


あの六月の収穫時期の喧騒が

まるで

遠い夢の世界のようにさえ思えた


まして畑を

人に貸してしまうと

ついつい畑に行くのも

疎遠になってしまって

少し寂しい思いをしてしまった


りんご畑で

収穫前の剪定をしていた

同じの人がいた


声を掛けたら

わざわざ木から降りて来てくれた


少し土手になっている所に

一緒に腰を降ろして

15分ほど

世間話などをして来た

葉山

秋の陽は短く

あっという間に

辺りに夕闇が迫って来た


家に帰ったのは

夕方5時近くになってしまった


それから いろいろ身支度をして

地区公民館で行われた農家の会合に出席


協議はほんの僅かの時間だったが

政権交代があって

これからの農業政策の転換を危惧する意見なども

チラホラ出ていた

あとは久し振りでみんなと

酒をご馳走になった

ほろ酔い加減で

自宅に戻ったのが8時半過ぎだった


それから酔いを醒まして

ブログを書いています

今日の1日・・・・・・・・・・・・・・・

いつもよりだいぶ長く感じられた1日だった

少し疲れた それでは・・・・・・・・・・

又 明日・・・・・・・・・・・・・

里山の秋

2009-09-17 | Weblog

寒河江川・慈恩寺橋・慈恩寺  2009/9/17 PM4時頃

寒河江川 月山方向

慈恩寺とコスモス

慈恩寺


夕方4時頃から自転車で慈恩寺に向かった

山頂まで行く予定だった


途中息切れがして来て

あっさりと諦めてしまった


山頂は まだまだ遥か先だった・・・・・・・・




慈恩寺・彼岸花 満開はもう少し先のようだ




今年も慈恩寺の坂道沿いの法面に

真っ赤な彼岸花が群生していた




慈恩寺山中から 村山平野と奥羽山脈


突然 木々の切れ間から

ぱぁ~と下界の視界が開ける


慈恩寺の里山


山沿いの

極々平地に近いところにも拘らず

ほんの少し山に入っただけで

寂しくて

突然 人恋しさに襲われた


寒河江川堤防・私(ラヴィー)



寒河江川・奥羽山脈

慈恩寺・寒河江川 PM5時半頃


夕方 ほんの1時間半

自転車に乗って

里山の秋

を 一人で楽しんで来ました・・・・・・・・・・・・・・・

秋晴れ

2009-09-14 | Weblog

左沢線上り列車 羽前高松駅付近の踏み切り 2009/9/14   AM9時頃


朝から秋晴れの

穏やかないい天気

まるで夏空が戻ってきたような

強い日差しの中

山形行き 上り列車が 

一瞬の時 

風を撒き散らすようにして

眼の前を駆け抜けて行った


必ずしも

人の思い通りには行かないのが

お天気・・・・・・・・・・・・・・・・


昨日は朝から雨模様の天気だった


そして 皮肉にも地区の運動会だった

雨天決行

場所を小学校の狭い体育館に移して行われた

一日ずれていたら・・・・・ 

と 誰もが

そう思わずにはいられなかっただろう




今日は3週間毎の

父子揃って

県中(病院)耳鼻咽喉科の診察日だった


若夫婦・老夫婦

家族4人で出掛けた

なぜか・・・・・・・?

いつも4人で出掛ける


毎日夕方に行く犬の散歩

この日ばかり朝に変更


午後1時半頃まで

犬が留守番役を勤める


いつもと違う雰囲気を察っしてか

家に帰って

一言「ハウス」と云うだけで

自分から入って行く



田んぼが日一日と 次第に色濃くなって来た

回りに人家のない広い道

農作業用の軽トラ以外

ほとんど車の通らない

犬の散歩道

県立中央病院正面玄関前から見た龍山


父の咽喉の経過は良好だった


私も経過が順調と言う事で

次回の診察は

三ヶ月後の12月となった


私は昨年7月から

父は私より少し遅れて10月から

二人共 時を同じくして

同じ病院へ通い

およそ1年 治療を続けている


病院や回りの方々の献身的な努力で

二人共快方に向かっている


帰り道・・・・・・・・・・・・・・

車窓に映った

遠くに 碧く染まった秋の山々

黄色に敷き詰められた一面の稲穂

その長閑な風景に

あっと言う間に過ぎ去った

この一年のいろんな出来事が

感慨深く

ひとつひとつ思い出されて来た


まずは健康に感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マイホーム

2009-09-12 | Weblog

A社モデルハウス(中央)①

同上 ② 2007/5 頃

②モデルハウス カフェテラス

同上 2階ラウンジ

同上 1Fリビング

同上 和室



退職する丁度一年前

2つのモデルハウスの設計をした


そのうちのひとつを

私の部下のパートのおばちゃん(一級建築士)に頼んだ

が モデルハウスを設計するほど

高い時給(800円/h)はもらっていません

と にべもなく断られ

仕方なく自分ひとりで設計した

苦い思い出がある


モデルハウスの設計は

初めからスケジュールが細かく決められている

かなりの神経を使う(胃が痛くなるときもあった)


数社~10社の設計部門のコンぺのようなものだ

モデルハウスの成否には会社の命運が掛かっていた と云っても

過言ではない


悪い言い方をすれば 海老で鯛を釣る かも知れない

何を差し置いても まずはお客様に一番美味しそうに見えなくてはならない

から 大変な仕事だった


どの会社のモデルハウスのデザインが優れているか

それこそ理屈抜きで一目瞭然である


コンセプト 規模 仕様・・・・・・・・etc

は 営業マン・・・・?が 勝手に決める


注文住宅の設計は

お客様の希望で・・・・・・・・

とか 云って失敗を適当にごまかせるが

モデルハウスでは そうはいかない


だが

モデルハウス設計の一番の魅力

自分の芸術作品・・・・・・・?を存分に

創れる(試せる)事にあった


口先だけの営業マンの言う事などは

当然の如く うわの空だった


設計が終了すると

ボォ~として 後に残るものは

エネルギーを燃焼し尽くし

魂を失くしてしまった

自分の抜け殻だった


まさにモデルハウスは自分の分身そのものだった


一昨年の秋 (私がまだ現役の頃)

両親と子供二人

そして おばあちゃんの5人家族が

②のモデルハウスを訪ねて来た


モデルハウスの外観 間取り

を 大変気に入ってくれた


モデルハウスと全く同じような家を建てたい

と 早速 営業から設計依頼をもらった


これこそ まさに設計者冥利に尽きる瞬間だ


だが・・・・・・長い経験から学んできたことだが

概して

こういった類の話にはガセネタが多く 途中で立ち消えになる場合が

ほとんどだ


しかしこの話はトントン拍子に進んだ


だが 途中大きな課題が行く手を阻んだ事もあった


モデルハウスは

夫婦2人+子供2人

計 4人家族を想定した40坪の家だった


おばあちゃんの個室と仏間の要望があった


1回目のプラン提出

65坪程度の大きさになってしまった

外観はそれなりに

モデルハウスの形に似せることが出来た


概ね好感度の感触を得た

と 思ったのもつかぬ間のことであった


おばあちゃんがどこかへ行って家相を見てもらって来た

玄関が病門に掛かっている

と 言われて来た


もちろん私も事前にチェック済みだった

病門は家相の中でも

あまり根拠のないものだったので 無視した


間取りを優先すると

どうしても玄関の位置が決まって来た


同上 ダイニングキッチン


何度もプランを提出していくうちに

家相よりも現実の生活の利便性の方が優先

と なって

プランはだんだんと固まって行った


打ち合わせの多くは夜に 自宅で行われた


私が寒河江の同じ住人であると知って

たいそう喜んでくれた


完成したら是非遊びに来てくれと

何度も云われた

私も完成したら伺う事を約束した


一昨年の年末ぎりぎり会社の大掃除の日に 無事契約した


そして昨年の一月 私は定年退職した


工事は雪解けをまって始まることになっていた

工事が始まるまで2~3ヶ月あった


様々な事情から

私が定年退職した事をすぐには伝えることはしなかった


昨年春工事がいよいよ始まった

途中 私も何回となく現場を訪ねた

退職したいきさつを その時になって初めて伝えた


昨年九月無事工事が終了 新居に引っ越した


近くを車で通った時など

わざわざスピードを落として

中の様子を伺ったりもしていた


同上


一昨日 近くの耳鼻科医院で咽喉の治療のあと

約束通り初めて訪問した

完成してから丁度1年が経っていた


留守番のおばあちゃん

私の訪問を大変喜んでくれた


家中を自慢げに

あれこれと説明を交えて案内してくれた


若夫婦のたっての注文だったカフェテラスには

モデルハウスと同じような鋳物製の白いテーブルセット

が 置かれていた

モスグリーンの日除けテントがよく似合っていた

休日の朝

新聞を広げモーニングコーヒーを飲み

ゆっくりくつろぐご主人の姿が浮かんで来た


なんとなく嬉しくなって来た


同上 リビング上部吹抜


リビングの吹き抜け天井には天井扇がゆっくりと回り

50インチの大型テレビ

革製のソファー

エアコン パソコン 蓄熱暖房器・・・・・・・

キッチンにはIHヒーター 食洗器

そして風呂場には壁埋込みのTV

まさに至れり尽くせりの装備品が整っていた

  
同上 玄関→リビング


1時間ほどで失礼した


玄関を1歩出た途端

なぜかとっても複雑な思いがしてきた


当たり前のことだが

モデルハウスは夢を授けるところで

生活臭などある筈がなかった


しかし そこには極当たり前のマイホームの姿があった

紛れもない日常茶飯事の現実の生活臭が漂っていた


いつまでも私の最後の芸術作品ではなかった

胃カメラ

2009-09-10 | Weblog

自宅2階屋根上から 北東方向 20009/9/9 PM2時頃

同上 奥羽山脈 東

同上 北西方向 正面が月山


昨日 2階の屋根に上った


私の家の屋根は

屋根の上を平気で歩けるくらい勾配が緩い


軒先だけは

一寸怖い


屋根の上に上ると

急に視界が開け

ず~と 遠くまで見通せた


実に気持ちがいい眺めだ


月山の残雪は

肉眼ではほとんど見ることが出来ないくらい

解けてしまった



今日 一月半前に予約した

胃カメラを呑んで来た


結果は

胃と食道に若干のただれがあった(飲み過ぎかな・・・・・?)


逆流性食道炎

との 診断だった


これからも気長に

病気と付き合っていくしかないようだ


半月ほど前

TVで最先端の胃カメラ

を 紹介していた


かっては 直径7~8mmの太さで

現在の胃カメラは直径3~4mm

鼻から入れるのが一般的・・・・・・・・・・・・

苦痛はほとんど感じない・・・・・・・・・・・・


市立病院の胃カメラも

もちろん最先端の胃カメラ

と 期待して行った


だが 期待を裏切り

依然として

旧型の胃カメラだった


なんと直径1cm位 小指の太さぐらいあった

マウスピースをくわえさせられて

口から無理やり食道へ


胃に到達するまで

ず~と吐き気を催した


大変な苦痛を伴った検査だった


胃カメラの新旧はともかく

何事もなく一安心・・・・・・・・・・・・


今後は一年に一度

定期検査するように云われた


次回は是非 

最先端の高性能胃カメラでお願いしたいと思った




グッピーの赤ちゃんが生まれた


10日ほど前

何気なく

水槽を泳ぐ熱帯魚を眺めていたら

小さな茶色の動くものが・・・・・・・・・・・?


最初は4匹ぐらいいたはずなのだが

今日は2匹しか

確認できない


パラダイスが食べてしまったのだろうか・・・・・・・・・?


人の世界も

生きていくのは大変なことばかりだが

魚の世界は

もっと大変なようだ



宮崎産 沢蟹

スーパーで食用として売られていたのを

♂♀ペアで六匹買って来た


本当は

から揚げにされ

とっくに食べられていた

運命だったのだが・・・・・・


最後まで残っているのがこの1匹

なんともう半年以上になる


だんだん愛おしさが芽生えて来た


一寸姿が見えなくなると

心配になる


水槽の中をくまなく探す

そんな時

決まって貝の中に

じーとして

隠れている


蟹は夜行性らしい

昼はほとんど活動しない


夜になると活発に動き始める


時々水槽から出して

甲羅干しをさせる


これからどのくらい長生きしてくれるか

楽しみだ



先日遊びに来た孫

金魚4匹を

又 預けていった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらの生き物の世話は

みんな私の役目にされてしまう・・・・・・・・・


今も私の膝の脇で

犬がイビキを嗅いで

ぐっすりと寝込んでいる・・・・・・・・・


夜も大分更けて来たようだ

それでは私もナサイ・・・・・・・・・・

足湯の季節

2009-09-08 | Weblog

寒河江市二ノ堰親水公園遊歩道 2009/9/8 PM2時頃

寒河江駅前足湯公園

同上 孫・ばあちゃん


この4~5日 

すっかり秋めいて来て

気持ちのいい

穏やかな日和が

続いている


明け方

の 肌寒さに

ベッドの枕元に

愛犬ナナが

身を寄せてくる


ペンキ屋を始めて

今日で4日目

順調とは行かないまでも

何とか進んでいる


思ったより屋根の痛みがひどく

ワイヤーブラシを使って

錆び落し

水洗い 

錆止め塗装 

仕上げ塗装


途中

薄め液混合・攪拌・刷毛の洗浄・・・・・・その他

頭の中で描いた工程

よりもはるかに

多くの作業を伴う・・・・・・・・・


建築の設計と現場が こうも次元の違うものとは・・・・・・・・・?

仕事を卒業して 

今更ながら

自分の選択した職業の

裾野の広さを感じさせられた


でも なんか楽しい・・・・・・・・・・・

まだまだペンキ屋稼業が

続きそう


孫が遊びに来た

早速 どこかに遊びに行こう・・・・・・・・・・

と なって


三人で

春以来の

久し振りの足湯に


そろそろ足湯の温もりが

気持ちいい季節になって来たようだ


それにしても

孫の成長の早さには

いつも驚かされる


自分の子供を育てた時は

すべてが 無我夢中だった

余裕などなかった


今は

娘の子供・・・・・・・・

どこか全てに余裕がある


時々 娘に叱られる

じいちゃんの 自己満足 と


叱られてもしょうがない

ケガに対する注意以外は

やっぱり無責任なのだから


同上

寒河江まつり 神輿の祭典 のぼり


この所

寒河江市内のあちこちに

神輿祭りの

のぼりが目立つ


九月二十日 

いよいよ神輿祭りの日


寒河江の街中を

神輿の列が練り歩く


若者の熱気溢れる

短い

秋の一宵を迎える