ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

追憶

2011-07-02 | Weblog



  仙台市蒲生 2011/7/1
  同上

昨日 東日本大震災発生後

初めて隣県の宮城県に入った


宮城県雄勝町で津波に逢われ

自宅を流されたSさんの

お見舞い(かって同じ職場の同僚だった二人と一緒)に

山間の青根温泉を訪ねた

青根温泉には≒150名が集団避難生活をしていた

ほとんど同じ町に住んでいた人々の集まりのようであった


Sさん夫婦(二人共60代)は想像していたより

遥かに明るく元気だった


津波で流された自宅跡が掲載されている新聞記事

携帯電話のカメラで撮影した津波が押し寄せてくる写真を

見せてくれながら

その時の状況を詳しく話してくれた


同じ集落でも むしろ高台に住んでいた人に犠牲者が多かったらしい

これまでの経験から「自分の家までは津波は来ない」

という先入観が災いしたようだ


津波で自宅を流された後

3日間 孤立状態が続き

食料の確保に随分と苦労をした 

と言っていた
  同上
  同上

浜に出掛け 

打ち上げられた瓦礫の中から

缶詰等を探してきて食べたとの事


津波で何もかも失ってしまったが

自分たちは命だけでも助けてもらったので

※(奥さんの弟夫婦と子供さんの三人が犠牲になった)

これから犠牲になった人達の為にも

頑張って生きていくしかないと

前向きに語ってくれたのが

私にはとても嬉しかった
  同上

石巻市のアパート(仮設住宅の代用)の賃貸契約が済み

来週 いよいよ引っ越して行くらしい


夜 9時過ぎ Sさんからお礼の電話が来た


明日 避難場所を離れて行く人の送別会の最中らしかった

背後から賑やかな人の声が聞こえて来た

「こうして 一人 二人と離れ離れになっていくのが本当は一番辛い」

と昼とは違って

一転して気弱に話していた・・・・・・・・・・・
菖蒲田浜


Sさんを見舞った後 三人で津波の被災地を訪ねた


そこには紛れもなく

津波に襲われた無残な大地の光景が広がっていた

真夏を思わせるような強い日差し

うず高く積まれた瓦礫の山と

人影のない乾いた廃墟の街があった


津波被害の尤も激しい名取市「ゆりあげ」地区

工事車輌以外通行止めが続いていた

そこにあった筈の町すべてが

忽然と姿を消していた


遠く海岸線に沿って並ぶ松並木

枯れ木同然に

みな茶褐色に変色していた


路の両側はいたるところ

根こそぎ津波にもぎ取られ流されて来た

松の木がごろごろ横たわっていた


菖蒲田浜の街を見下ろせる小高い丘の上に上った

海から吹いてくる風は

妙に潮の香りが強かった


阿弥陀くじのようにぐにゃぐにゃ曲がった路

白く乾いたコンクリートの基礎だけが

幾つも幾つも

地面に張り付いていた


このひとつひとつの家跡に

それぞれの家族が生活していた筈なのに・・・・・・・・

と思うと

ひとりでに涙が溢れて来た


「頑張ろう東北!!」

街や車輌等に良く目にする横断幕


しかし・・・・・・・

行けども行けども連綿と続く

廃墟を目の当たりにして

頑張ろう!!・・・・・は

まだ被災者にとって

むごすぎる言葉のような気がしてならなかった


彼らにとって今はまだ

失われた街・家族・人・家への追憶の時

とそう思わずにはおれなかった
  多賀城市花渕浜
  同上