ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

土用 二の丑

2009-07-31 | Weblog

寒河江川 仲の良い親子連れと鮎釣り 209/7/31 PM6時頃

寒河江川・葉山


夕方から犬の散歩

三人(私・女房・ナナ)でチェリーランド河川敷公園へ


今日も一日中梅雨空が続いた

夕方から少しだけ晴れ間が

見えてきた


7月も今日でおしまい

今年も7月中に梅雨は明けなかった


明日から八月・・・・・・?


川原を吹き抜ける

生暖かい風

遠く霞んだ

僅かに寂寥感の漂う

霊峰葉山


どことなく

物寂しげな

秋の気配を感じた・・・・・・・・・・


同上


今日は

土用の二の丑


昔は

土用の二の丑などという

特別な日は

なかった気がする


これも不景気な

今の時代を反映して

ウナギの蒲焼を売るための

逞しい商魂の

表れであろうか・・・・・・・・?


夏の土用の頃になると

私には

きまって思い出すことがある


今からおよそ二十年も前の

話になるが・・・・・・・・・


私が設計事務所を辞め

仙台のA工務店に勤め

初めて

住宅の現場監督をした時の

出来事・・・・・・


寒河江川・奥羽山脈


二人共80歳近くになる

老夫婦の家の

建て替え工事だった


7月半ばに契約

55坪 約2500万の大きな家だった

むろん設計は

私が担当した


だが・・・・・・・・

なにしろ40歳にして

初めての住宅業界の経験だった


知らない事ばかりだった・・・・・・・・・


設計段階でも一波乱があった


下屋が瓦屋根仕様の

2階の部屋のサッシを

掃き出しサッシにしてくれ

と 言う注文だった


総2階の家ならば

苦労はなかった


眺望と風通しを

よくする為

床とサッシの高さを

平らにしたい

と 言う更なる要望が加わった


これは

当時の私の力量にとって

かなり難解な要望だった


幾多の試行錯誤・・・・・・

2階の柱の長さを変えることによって

何とか解決出来た


チェリーランド河川敷公園


契約後 

早速 契約書に基づいた

工程表を作成し 

持参した


持参した工程表を

分りやすく

一通り説明し終えた・・・・・・・・・・・


すると・・・・・・・・・・・

おばあさんが言い放った

「夏の土用中は 絶対に基礎工事をしないで下さい・・・・・・」

「完成は契約書の期日を守って下さい・・・・・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・?

私は

咄嗟には

正しい意味が理解出来なかった


おばあさんが

言った本当の意味・・・・・・・・・・

が 理解出来るようになったのは

それから10年後

五十歳を越えた頃であろうか・・・・・・・・・・・・



土用の期間中は土公神(どくじん)という

土を司る神の支配する時期とされ

土を動かす作業(柱たて・基礎工事・壁塗り・井戸掘り・・・・など)

を 忌む慣がある

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏の土用を調べると

おおよそ上記のようなことが記されている


もっと分りやすくいえば(自説だが・・・)

真夏の暑い日差しの中

屋外で土を掘るような重労働をすると

身体を壊してしまうから

「お止めなさい・・・・・・・」

と いう先人達の残した

貴重な知恵のような気がしてならない






 木  火  土  金  水・・・・・・・五行説
(春) (夏)   ?  (秋) (冬)

に それぞれ季節をあてはめたが

最後に土が余った


それで

土用として

それぞれの季節の後に

十八~十九日を付け足した

18日×4(回)=72日(73)(土用の年間合計)

73日×5(行)=365日(1年≒365日)

つまり土用は年4回

季節の終わりごとに巡って来る

それは又

次に巡ってくる来る季節の

準備期間でもある

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大分長い話になってしまったが

私が住宅業界に入って

初めて学んだ暦が

この「土用」であった


さてタイトルの

「土用の二の丑」・・・・・・・・・・


夏の土用の最初の丑の日が

「土用の丑の日」

で 十二干支の巡り会わせから

十八~十九日間の土用の期間中

年によって

もう一度丑の日が回ってくる


それが

「土用の二の丑」の日である

因みに

今年の土用

7月19日~八月6日


八月七日はもう立秋である


老夫婦の家・・・・・・

地鎮祭を終えて

土用期間中は工事を休み

土用が明けてから工事を始めた


もちろん

完成は半月ほど遅れてしまった

が 工事が進捗して行くに連れ

私達の誠実な仕事振りに感動して・・・・・?

完成の遅れは

了解してくれた


そして

私の初仕事の

完成の暁には

大変喜んでもらった


実を言うと・・・・・・・・・・・・

最初から最後まで

ほとんどが

無我夢中であった



ウナギの好きな我が家・・・・・・・・

今夜も夏バテしないようにと

みんな(犬も)で 「うな重」ならず「ウナ丼」を食べた

未完成

2009-07-29 | Weblog

パピヨンがチワワになってしまった  2009/7/29 PM6時頃

虎刈り・・・・・・?


もしかして

パピヨンとチワワは

遠い親戚かも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?


マリーアントワネットが愛してくれた

蝶の姿に似た

僕の唯一自慢の

優雅な耳・・・・・・

いやはや

なんとも無残な姿になってしまった


カットが始まって

昨日で2日目

まだ未完成


ボク(犬)がじっとしていられるのは

せいぜい3~40分程度


去年は3日掛かった


今年は

ハサミで2度耳を切られた


痛たぁ~ と は言えないので

キャァ~ン・・・と 大声を上げた

幸い血は出なかった


でも

ご主人様には大いに感謝


これで夏バテ解消・・・・・・・・・・・


ビアガーデン

2009-07-28 | Weblog
 昨夜はいつもの変なメンバー8人が集まって

今年初めてのビアガーデン


雨上がりの寒河江市内中心部 2009/7/27 PM8時半頃

夜8時半

まだ宵の口・・・・・・

相変わらず不景気風が吹き荒れ

月曜日とあって尚更の事

街は人通りも少なく

いつものように閑古鳥が鳴いていた



6時から始まった飲み会・・・・・・・・・・

時々新メンバーが加わる


我が家の屋根を直してくれたトタン屋のTさん 

昨日が初参加


3年振りに会った

私は早生まれ

彼は遅生まれ

同じ23年生まれでも 学年は私がひとつ上

いつ会っても

お互い若々しく見えて

なぜかさっぱり変わらない・・・?

なぜ どうして・・・・?

同じように年を取っているからに過ぎない


仕事 選挙 趣味・・・・・・・・・・・・・

久し振りの再会に

みんな話が弾んだ


私は迎えに来てもらった

大半は2次会へと

流れて行った


そんな訳で

今日は少し二日酔い・・・・・・・・・・





我が家の超ミニ菜園

毎日10個ばかりのミニトマトを収穫

1本・・・・確か240円?した苗

3本で720円

まだ元は取れていない・・・・・





去年

秋遅くまで

たくさんの花を咲かせていた

サフィニア


雪囲いの中に

鉢ごとそのままに入れて

冬越しをした



なんとあちこちから

たくさんの

サフィニアが芽を出し

咲き始めた・・・・・・・・・



楽しみがもうひとつ増えた

再訪・・・・・・・山百合咲くふるさと・・・・・・・・(3/3)

2009-07-26 | Weblog

黒森の行き止まり地点からの眺望


いよいよ山百合の咲く

黒森の行き止まり


今にも崩れそうなくらいに傾きかけた

二軒の廃屋


道はそこから先

Yの字に分かれ

急に道幅が狭くなって

山奥へと続いていた


去年・・・・・・・・ ここで引き返した

今年も暫らく休んで 

ここで引き返すことにした




帰り道 2本の立派な山百合を発見


3mほどの斜面を登って

山百合と貫見集落

を 重ねて写真に

すると

 ワン・ワン・ワン・・・・・・

と 犬に吠えられた


犬に続いて

  コケッ・ コォコォコォ~~

と 生まれて初めて鶏に吠えられた・・・・・・・・・

なんとも のどかな出来事だった


眼下に拡がる貫見集落



今回の山百合再訪の出発点となった

小学校の白い建物が

再び見えて来た


来年も又 きっと訪ねようと誓って

家路に着いた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり




豪雨・・・・・自宅2階から 2009/7/26 正午頃


全国各地で梅雨末期の大雨の被害が出ている


山形県は冬の豪雪以外

毎年これと言った自然災害は少ない


しかし

今日のゲリラ降雨

短い時間だったが

本当に凄かった


滝のような雨

家の前のコンクリート面を

川のように流れる雨水


そろそろ梅雨明けしてくれると

いいのだが ・・・・・

まだかなァ~ ・・・・・

短い夏が終わってしまいそうだ

再訪・・・・・・・山百合咲くふるさと・・・・・・・・(2/3)

2009-07-25 | Weblog


国道を横切り

貫見(ぬくみ)を通り抜け

いよいよ黒森に



黒森は戸数7~8戸の

極々小さなだ


ここでも人影を見る事はなかった



を過ぎて すぐの畑で

薄紫色のキキョウの花

が 咲いていた



去年 道端で初めて見た

大きな山百合が

今年も見事に咲いていた




山百合は花が咲くまで

およそ5年程かかり

そして年毎に花数を増して行くとあった


花数を数えてみたら

三本共15ヶの花をつけていた


この山百合の花齢は およそ二十歳・・・・・・・・・・・・・・・

人間で言うと青年あるいは乙女そのものであろう・・・・


山百合の花の特徴は 黄色い筋と赤い斑点

甘く野生的な芳香を放ち 近寄ると衣服に香りが付着する程強烈だ 


軽トラで通りかかった地元のおっさんと山百合のツーショット

山百合の花は大きいもので25cmほど 背丈はおっさんを越えている



山百合の写真を撮っていたら

人懐っこそうな顔をした地元のおっさんが

軽トラで通りかかった

彼は

「何をしている・・・・・・・・・・」のかと

わざわざ車を停めて降りて来た


こんな山奥まで

山百合の写真を撮りに来るとは・・・・・・・・・

と珍しがられ 歓迎された


ついでに

「じゃ~ 俺も一緒に撮ってくれ」

と 言って

さっさと山百合の脇に立って

ポーズを取った


後で考えたのだが

その時 私も写真を撮ってもらえばよかったと

後悔した


そうそう・・・・・・・・・

地元のおっさん

みんな俺が管理していると自慢げに言っていた


そして この辺では

どの家を見ても分るように

屋敷内には植えないしきたり

があるといった


理由を尋ねたら

百合の花は葬式の時に死者に手向ける仏花

だから と教えてくれた















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く

再訪・・・・・・・山百合咲くふるさと・・・・・・・・(1/3)

2009-07-24 | Weblog
昨年の丁度今頃・・・・・・・・・・・・・

夏の盛りの少し前

一人で

ドライブがてら

隣町の

山間の国道を走っていた


何か起こりそうな・・・・・・・・・・・・・・・

ふと

少年の頃の

無邪気な 冒険心が

突然 沸いてきて

国道から少し外れた

深い森の中に

入ってしまった


今にして思えば 

これが私の

千と千尋の神隠し・・・・・・・・・・・・

の 幕開きだった


あれから1年・・・・・・・・・・・・


今年もまた

山百合の

可憐に咲く姿に会いに行きたくて

いてもたっても

いられなくなってしまった


大江町十八才 2009/7/22 PM12時半頃

大江町の中心部から車でおよそ5分

ここまで来ると

車の数はめっきり少なくなって来た


周囲を全て深い緑に覆われた

山々が迫って来た


同上

途中 道路脇に車を止めた

先日

我が家のサッシュの

戸車を直してくれた

「何でも屋」さんの家(橙色の屋根のログハウス)

(何でも屋さんとは 私が勝手に付けた名前で 本当は○○鍵屋さん いつか気が向いたらこの何でも屋さんのことを書いてみたいと思っている)

を 崖の上から写真に撮った


同上 楢山

同上

更に5分ほど車を走らせた

突然視界の開けた場所が

眼の前に現れた


川を挟んだ向こう岸は

山ふところを走る

一本の道に沿って

集落が続いていた


この道は

朝日連峰の山奥へと連なる

この先

大きく視界が開けた場所は

ここが最後である・・・・・・・・・・・・


同上 貫見(ぬくみ)

町の中心部から車でおよそ15分

いよいよ山百合の花と1年振りの再会・・・・・・・・・・・

期待が膨らんだ


この集落の右側

山中奥深くに

山百合は咲いている


ふと・・・・・・・・・

去年とは

逆回りのコース

で 行ってみようという

思いが過ぎった


白い建物の

小学校脇の道から

山に入った


何かしら昨年とは違った

雰囲気だったが

そのまま車を走らせた



およそ5分程して

昼下がりの

妙に静まり返った

廃村のような

見知らぬにたどり着いた


大江町小清地区

同上

同上

同上

同上

同上

同上

およそ12~3戸足らずの集落

周囲を深い森に囲まれた

沢伝いに開けた

僅かな窪地のような所


茅葺屋根の民家が点在していた


いつか出会ってみたいと願っていた

幽玄の世界が残っている

故郷の光景が

紛れも無く

今  私の目の前にあった


同上

同上

くねくねと 曲がりくねった

坂道を暫らく登って行くと

突然

見晴らしの利く

高台にたどり着いた


眼下に

まるで時を忘れたかのような

静まり返った

異様な光景が拡がっていた・・・・・・・・・・・


ジィージィーとけだるく鳴き続ける

アブラゼミの声


ヒラヒラと身をかわす佳麗な舞い

の 三頭のモンシロチョウ


季節外れの

皺がれたウグイスの鳴き声


私は

高台に聳える

杉の巨木の木陰に座って

しばし

心地よい夢の世界へと・・・・・・・・・・・・・・・


同上

の端から端を

一回りするのに

そう時間はかからなかった


2~30分もいただろうか

家々の写真を撮ったりして

ぐるぐる回って歩いたが

結局

誰1人として

人に会うことはなかった


人のいる気配さえ感じることはなかった


僅かに軒先に干された

何枚かの白い下着や

玄関先に停まっている

灰色のオンボロ軽自動車が

唯一 人が生活している

気配を感じさせた


犬に吠えられることもなかった

猫の姿を見ることもなかった・・・・・・・・・・・・・・


短い時間で

とても不思議な体験

を したような気がした



私は間もなくを後にした

再び国道まで戻った

そして

山百合の咲く山中を目指した


山百合

山百合との1年振りの再会だった・・・・・・・・・・・


今年も実に見事な花を咲かせて

私をじっと待っていてくれた・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く

紅花

2009-07-21 | Weblog

2009/7/20 AM11時頃


海の日の昨日

我が家のプール開きをした


曇り空の

少し肌寒い天気の中

孫に喜んでもらおうと

去年買った

大きな鯨のプールに

苦労して空気を入れた


残念ながら

あまり好評でなかった


やはり プールは梅雨明け後

少し気が早かったようだった


寒河江市箕輪  2009/7/21 AM10半頃


紅花が見頃になった

寒河江市でも

私の家の畑がある箕輪地区で

紅花まつりが開催中だ





紅花は隣町の河北町や

山形市の山間部辺りで

盛んに栽培されているが

寒河江市では

この辺りでしか

栽培されていない







開花し始めの頃の紅花は

黄色い色をしているが

次第に鮮やかな紅色に変わってくる



午前中

今年3度目の畑の下刈りへ


半月もしないうちに

草丈が30センチほど

伸びてしまった


今日は約半分を終えた

残りは明日又・・・・・・・・・



畑の前の道路

ここにも黄色のストップラインが引いてあった





私はあおあおとした

今頃の田んぼの風景が

1年の中で一番好きだ


この時期は

稲が生育するのに大事な時期で

時々田んぼの中で

追肥や除草

を している人の姿

を 見掛けることがある


この頃の管理の善し悪しが

秋の米の出来具合を

大きく左右するようだ





夕方

農産物産直センターから

昼間見た

紅花を買って来た


居間と茶の間に飾ってみた


一束150円・・・・・・・

二束で300円・・・・・・・・・安かった


大雨

2009-07-19 | Weblog

寒河江川・奥羽山脈 2009/7/19 pm4時半頃

同上・慈恩寺

寒河江市内(西根)


午後 

滝のように激しい雨が降った


梅雨末期の局地的豪雨

とまでは行かないようだが・・・・・・・・・・・


夕方から晴れ間を見て

軽トラに乗って

犬の散歩と買い物へ出掛けて来た


大雨で 綺麗に水洗いされた

雨上がりの

夕方の街


埃っぽさが消え

緑があおあおとして

とても

爽やかな気分だった・・・・・・・・・・・・


いつもは穏やかな清流の

寒河江川

今日は表情を一変させ

今にも氾濫しそうな位に

水かさを増し

ゴーゴーと唸りをあげて

流れていた


チェリーランド河川敷公園

同上


昨日から土・日・月の3連休

昨夜 孫が泊まりに来た


今日は久し振りに

一緒に遊べると思っていたのだが

午前中のうちに

娘(母親)と一緒に

山形市まで映画を見に行ってしまった


2時間じっ~として

映画を見られるようになった

と 帰って来た娘が

我が子の自慢をしていたが

果たして真偽の程は如何に・・・・・・・・・?


因みに

4~5ヶ月前に映画を見に行った時は

全く見れる状態ではなかったとのこと


孫に振られた私達・・・・・・

荒れた梅雨空とは反対に

今日もいつもと全く同じ

顔ぶれ(私・女房・犬)と お決まりのコース


平穏無事に過ぎ去った一日だった

ストップライン

2009-07-18 | Weblog


早朝6時から

地区交通安全協会(安協)役員と婦人会役員とで

ストップラインの線引作業

※・・・・・・(私は安協役員をしている妻の代役で参加)


今年は2年に1度のストップライン書きかえの年


全戸(≒60世帯)の

道路に面した主要な出入り口に

人と車輌 

両方に注意を促す為の

黄線引きの作業だ


内から交通事故撲滅が出来ればとの

小さな願いを込めて・・・・・・・・・・・・・・



早速2班に分かれ 作業開始


ローラーに付いたペンキが

ポタポタ 道路にこぼれない様

注意をしながら 次の家へ


一見簡単そうに見えても

結構 気を使う疲れる作業だ


初めは順調に進んだが

こんな日に限って  雨が・・・・・・・

ポツポツと落ちて来た


次第に雨粒が大きくなって

アスファルト舗装面が

光って見えて来た

・・・・・・・・・・・・・・


1時間あまり作業の後

降雨の為 

途中で止む無く中止に


残りは安協の会長が

後日してくれることになって

解散した・・・・・・・・・・・・・


帰路 

雨に濡れたアスファルト道路に

真新しい黄色のストップラインが

眩しく光って見えた・・・・・・・・・・・・・






少し花の時期が遅れてしまったような

我が家のアジサイ


昨日までの

真夏の日差しから

今日は一転して

雨降りの天気・・・・・・・・・?


やっぱりアジサイは雨の日が

よく似合ってる


そういえば・・・・・・・・・

昨日の夕方

陽が落ちて

涼しくなってから散歩に出掛けた


今年初めて

アブラゼミの鳴き声を聞いた・・・・・・・・・・・


そして

線路沿いの道を歩いていたら

なんと

あちこちの草むらから

もう

沢山の虫の声が聞こえて来た


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秋


秋はいつも

こんなふうにして

やって来る・・・・・・・・・・・・・


湿気

2009-07-15 | Weblog


先日 

古くなった客間の薄縁を

新しいものと取り替えた


薄縁の値段 ・・・・・・・8畳用で4千円台~1万3千円台 

と 様々だった


一番廉価なものを買おうと思ったが

「安物買いの銭失い・・・・・・・・・・」

と 一寸気が引け

中間の値段の薄縁を買った


4千円台の薄縁のイグサは

値段相応の如く

どう見ても安っぽかった・・・・・・・・・・・・




家に帰って 

早速古い薄縁を

買って来たばかりの新しい薄縁と交換した


部屋中

イグサの真新しい

青い香りが拡がった


新しい畳

やっぱり諺にあるように

とても気持ちが良かった



しかし

薄縁全体にしわしわが出来ていて

どう見ても寸法が大きい・・・・・・・・・・・・・・

ではないか?


さてさて・・・・・

不良品・・・・・・かな

等と 思ったりもした


ふと

だいぶ前の 昔のことを思い出した


昔々 設計事務所に勤めていた頃


当時 

トレッシングペーパーにシャープペン(鉛筆)を使って

図面を書いていた


梅雨時の季節になると

製図板に貼ったトレッシングペーパーは

大量の湿気を含み

ミシン縫いのしてある紙の四方は

しわしわ になった




湿気が多いと

トレシングペーパーは濡れて

鉛筆が走らなくなった


鉛筆の芯も

微妙に変化した


湿気が多くなると

硬度が減少し

滑らかな線が引けなくなった


しかし

天気が良くなってくると

トレシングペーパーはたちまち乾燥して

皺も取れ

鉛筆のすべりも滑らかになった


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

て・・・・・・・・な訳で

薄縁の寸法が大きいのは

不良品ではなくて

どうも梅雨時の湿気が原因らしい

と 気付いた



今 設計は全てパソコンを使っている


湿気と製図用紙と鉛筆の芯の深い関わり・・・・・・・

等は あり得ない話


昔は

仕事に使う道具ひとつとっても

物などにはけしてあるはずのない

生きてる情のようなものが

あったような気がする


解体中の建物(旧 町営日帰り温泉施設)河北町



設計事務所という言葉で 

と ある事を思い出した


先日 隣町の河北町を車で通った時のことだ

鉄筋コンクリート造の建物の

解体現場があった


今から40年程前に建設された

町営の日帰り温泉施設だ


古くなったこの施設に代わって

3年程前

500mほど離れた場所に

立派な新しい温泉施設が出来た


暫らくは何か他の施設に

利用していたのだが・・・・・・・・・・


半分以上取り壊された写真で

少し判りずらいが


この建物は

地元のA設計事務所が設計した


この他

町役場等も設計した


昭和40年の頃の建築は丁度私が学校を卒業した頃で

大阪万博が開かれた頃の前後だ

この時代の建物は

いわゆる建築が個人の芸術作品として

世に多くの力作が生み出されて行った

現代建築の

幕開きの時であった



この建物の設計者A氏

ル・コルビジェに師事した

前川国男事務所で学んだ


こんな田園地帯の人口僅か2万5千の田舎町

にあって


剥き出しの打ち放し鉄筋コンクリート造の 柱や梁

5メートルもの長さを持つ 跳ね出し庇

石工使用の外壁叩き仕上げ

等々・・・・・・・・・・・・


建物全体

当時建築界を謳歌した

モダニズムのうねりが

至る所に躍動し

まるで彫刻作品を見ているような

そんな錯覚に陥った


かって 建築は

都市の未来を予見する

大事な文化的先駆者としての使命を

担って来た経緯がある


私達が20~30代の頃

どの設計事務所も

経済の高度成長の波に乗り

毎晩 残業々・・・・・・・・・・・・・で

午前2時頃帰宅することも普通だった


学校 公民館 文化センター 病院 体育館・・・・・・・・etc

設計・・・・・・・・・設計監理

沢山の苦労があった・・・・・・・・・・・・・・・・

その苦労以上に創る歓びがあった・・・・・・・・・・・


あの頃・・・・・・建築された

建物解体の現場を目の当たりにして

ふと・・・・・

昔のことを懐かしく思い出してしまった