ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

大祓 & 御斎灯

2011-12-31 | Weblog
日に日に日没時間が遅くなって来ている 

一日が随分長く感じられるようになった


なんとなく得した気分である


冬至に比べ

昼の長さが僅か20分足らず

伸びただけなのに


神社の雪灯篭 2011/12/31 PM2時


同上

今日は大晦日

午後 神社で「大祓」「御斎灯焼き」があった


この1年の心身の穢れを祓い清め 

新しい年を迎えようという神事


境内で焚かれた御斎灯

古い飾りやお札を持参して

燃やして来た


過ぎ去ったこの1年を振り返ってみると

良きも悪しきも

沢山の事があった


そのどれもが

もしかして・・・・・・・

全てが予知出来なかった事だったかも


今はただ

来年こそきっといい年でありますようにと

そう願う

自宅庭の雪景色

同上

自宅屋根・神社の杜 2011/12/31 PM3時


この冬 

珍しく雪の少ない暖かな年末だった


それが クリスマス頃を境にして

一転して雪が降り始めた


屋根はいつもの年以上の積雪になってしまった


今日 この冬初めて屋根に上った

2時間ほど掛けて雪降ろし


いよいよ本格的な雪との闘いが始まった

くれぐれも怪我のないように注意してと

そう自分に言い聞かせて


2011/12/28 寒河江市内

同上

同上

同上



※ 2011年の終りに


本年も沢山の訪問者に

私のブログの扉を開いて頂きました


誠に有難うございました・・・・・・・・感謝


いつも々大して面白くも無い出来事や

つたない文章で綴られた私のブログ


そんなブログに皆様方の貴重な時間を割き

立ち寄って頂きました事

重ね々御礼申し上げます


来年もマイペースで・・・・・

いやいや 

目標は高くして

今年の倍以上の更新を目指し

ブログを綴り続けていきたいと思います


来年もまた皆様方の暖かいご支援を

重ねてお願い申し上げます


それでは皆様方

良いお年をお迎え下さい

happy new year

流れ星

2011-12-20 | Weblog


明後日は冬至


この時期の夕方 

5時前の時刻は

薄暮の世界から

夕闇に落ちて行こうとしている

少し微妙な時間帯


真冬用の厚手のジャンバーを着

フサフサした立ち毛の耳カバーが付いた

キャップを被り

犬の散歩に出掛けた


朝から1日中チラチラ粉雪舞う

寒い天気だった


さすがの犬も

こんな日は 外に出るのを嫌がった



駅まで線路沿いに

平行して続く裏通り

が いつもの散歩コース


駅前に3年ほど前に出来たばかりの

1軒の居酒屋がある

開店後 間もない時刻のせいだろう

いつもの事で

客はまだ誰もいない


そこだけ煌々と灯りの付いた

駅舎の前で

3人の高校生が

上り列車の到着を待っていた


駅から歩いて10分ほどの距離にある

農業校舎に通う高校生である


愛犬ナナが近付くと

「可愛~い・・・・」と言って

皆で頭を撫でてくれた


帰り道・・・・・・・・・・・・・

丁度踏み切りに差し掛かった時だった


何気なくふと頭を上げた

その瞬間・・・・・・・・・・ 

≒45度の角度 東南の方角だった

今まで1度も見たことが無かったような

はっきりとした 太く輝く

流れ星を見た

一瞬の出来事だった


家に帰って早速女房に報告


「きっと近いうち何かいい事がある知らせよ・・・・・・・・・」


「流れ星を見た人は 願い事が叶うって昔からそう言うでしょう・・・・・」

と 女房がそう言った 

願い事・・・・・・・・・?


何事にも貪欲な私

そんな妻の言葉に

一瞬思いついたのは

年末ジャンボ宝クジだった


R47 宮城・山形県境の関山峠付近 2011/12/12

仙台市広瀬通り


先日 仙台に住んでいる義兄の訃報に接した

享年72歳 

これまで会社を経営し

ずっと仕事一筋に生きて来た人だった


今年春 現役を退き

人生 本当の楽しみがこれから始まろうとしていた

矢先の事であった


お通夜 告別式・・・・・・・・・・・


慌しい日程で 一通りの葬儀が済んだ

突然の義兄の死に

姉は疲労困憊の様子だった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先ほど

今の自分の本当の願い事ってなんであろう・・・・・・・?

って 後になって少し真面目に考えた


人生 道半ばにして

亡くなられた義兄


さぞかし無念であったろう


今はただ

安らかに成仏出来ますように

流れ星に

そう願わずにはおれなかった・・・・・・・・・・・・・・・・合掌

初雪 2011

2011-12-09 | Weblog

初雪 表通り 2011/12/9 PM4時


とうとう寒河江に初雪が降った


雪が降ると 

突然 こんなにも静かな世界に変わってしまうとは

知ってたつもりが

本当は知らなかったようだ・・・・・・・・・


初雪に

こんな静けさを感じるには

少々訳がある

きっと 世の中が 震災の影響もあって

いまだ長い不況のトンネルから

抜け出せないでいるからに違いない


神社境内

既に綺麗に葉を落としていた桜の木の枝

に白い初雪が積もった

自宅裏 左沢線

自宅庭

同上

ナナカマド

さんしゅう


僅かながら 晩秋の趣を残していた風景

白い雪が積もって

季節はたちまち

モノクロームの真冬の世界


後は三月の春の訪れを

じっと待つだけ

無花果と栗の樹と瓶蜂

2011-12-08 | Weblog

無花果の苗木 2011/12/8

 

日曜日 隣町にある 「ひまわり温泉 ゆらら」で

恒例の隣組忘年会があった

 

今年の幹事役は 隣組長である私だった

盆前 10名で予約

しかし 11軒中 6名(男性のみ)出席

いろいろ事情があって

残念ながら 年々参加者が減って来ている

 

そもそもの隣組の歴史を辿ってみると

戦前の昭和15年

富国強兵 国民一致団結の目的で制定された

 

五~十軒の世帯を1組とし

人員の動員 ・物資の供出 ・配給

思想統制 ・住民同士の相互監視 ・・・・・・・・・

その他の役目を担った

 

戦後隣組制度は解体されたが

現在でも市報配布・町内会の回覧板など

何らかの形で僅かにその名残をとどめている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

な訳で 我が隣組は今でも

相互の親睦を深める意味で

毎年12月 1泊で忘年会を催している

 

話がだいぶ横道にそれてしまったが

無花果の苗木の話はここから・・・・・・・・・・

 

忘年会の翌日

宿泊した「ゆらら温泉」のすぐ近くにある

農家の店「トマト」に立ち寄った

 

そこで 以前から欲しかった無花果の苗木を見つけた

春頃からずっと探していたが 

無花果の苗だけが なかなか見つからなかった

 

その理由が分かった

苗木によっては

移植に適・不適の時期があるようだった

 

初冬のこの時期

全ての樹木が眠りに入って間もない

1年で一番移植に適した時期のようである

 

そして一昨日 無花果の苗木を

畑に植えて来た

念願の苗木を植えて来て

意気揚々として自宅に戻った私

 

昼前・・・・・・裏のじいさんに会った

早速 無花果の苗木を植えて来たことを得意気に報告

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「無花果を植えると瓶蜂が来るから気を付けろよ~・・・・・・・・・」

            ※ 瓶蜂・・・・正式にはスズメ蜂の一種を言う

その言葉を聴いて

ふと 以前にも同じ様な事を言われた事があるのに気付く

栗の苗木

今年 畑の奥に7本の果樹・その他の苗木を植えた

タラの木の苗木2本・ヤマモモ・プラム・梅・栗・そして無花果

一応 何年か経ったらいろんな実が生って

孫が大いに喜んでくれそうなものばかりを

選んで植えたつもり

 

そこで 裏のじいさんから以前言われた

同じ様な言葉を思い出した

 

「栗の樹を植えると瓶蜂がやって来るから気を付けろよ~・・・・・・・・・・・」

栗の苗木を植えて来た時に言われた言葉だった

 

瓶蜂は栗の花の甘い蜜 無花果の蜜も大好物なようだ

どちらも瓶蜂には要注意って事のようだ

 

そして これ以上裏のじいさんには

苗木の話をしない事に 決めた

理由は・・・・・・・・何を植えても

「瓶蜂がやって来るから気をつけろよ~・・・・・・・・・・・」

って 言われそうだからだ

 

もうひとつ栗の木の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

小林秀雄 著 「栗の樹」 

 

ストーリーは・・・・・・・・・

生まれ育った故郷にあるはずの栗の木を

夫人がもう一度見たくて里帰りをする

たったそれだけのエッセイである

 

夫人は子供の頃 

人通りのまれな一里余りの道を

毎日歩いて小学校に通った

道の中ほどに 栗の大木があり

そこまで来るとあと半分と いつもそう思った

 

ある日 夫人はどうしてもその栗の樹をもう一度見たくなった

親類への手土産をいっぱい買い込んで

栗の木がある 生まれ故郷へと出掛けた

数日後・・・・・・・・・・

栗の樹がちゃんと生えてた と上機嫌で戻って来た

これを聞いた小林が

さて、私の栗の樹は何処にあるのだろうかと自問した

時々、自分の血を売るようななりわいが

つくづくいやになる

そんな生活が続いていたからだった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おしまい

 

さて・・・・・・・・・・・・・

私(ラヴィー)にとっての 

子供の頃の栗の樹の大木

今も何処かにあるのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 

是非 探してみなくては 

  

2011/12/7  自宅裏工業団地より 神社の杜と雪化粧の奥羽山脈

 

明日の天気予報 午後から雪降り  

でも 12月にしては

何故か 毎日暖かい日が続いている      


「クリスマスキャロルの頃には」

2011-12-05 | Weblog

[c] クリスマスキャロルの頃には(稲垣潤一)



JR左沢線 羽前高松駅前○○食品工場 クリスマスツリー


2~3日前 高さ≒7~8mの樅の樹に

緩やかなカーブを描いた

青色のLEDランプが点灯した


我が集落の駅前にこんなに綺麗に飾られたクリスマスツリーが・・・・・・


今頃の季節になると

決まって「クリスマスキャロルの頃には」

の歌が街中に流れてくる


私はこの歌のメロディー・歌詞が

なんとなく好きだ

と 言うより

街中にこの歌が流れる

歳末の雰囲気が好きなのかもしれない


今年もあと25日

2011年 ・・・・・・・・・・間もなく終わろうとしている


20年近く前に流行った「クリスマスキャロルの頃には」

の歌を時々you tube聴いている


先日 傍にいた女房曰く


娘が中学生の頃にこの歌が流行った・・・・・

とか TVドラマ(ホームワーク)の主題歌だった・・・・・

とか かなり鮮明な記憶だった

 

20年前と言えば

先日ブログに載せたが

私は仙台で単身赴任生活をしていた

息子も石巻の大学でアパート住まいをしていた


そんな訳で

当時家にいたのは女房と娘

二人(他に祖父母)だけだった 

 

四人家族が二人ずつに別れ

別々に暮らしていたあの頃・・・・・・・・・・・

 

きっとそういう寂しい時期に

この「クリスマスキャロルの頃」の歌が

歳末の街に流れていたのだろう

 

2011/12/4 自宅

中学生だった娘も 今では5歳になる息子のママ

 

日曜日 午後 

孫と一緒に 近くのダイソーから クリスマスツリーのパーツを買ってきた

家に帰って早速ツリーの組み立てを始めた

孫は一人でスタンドを組み立て

あっという間にツリーは完成

 

後はサンタクロースを待つだけとなった