無花果の苗木 2011/12/8
日曜日 隣町にある 「ひまわり温泉 ゆらら」で
恒例の隣組忘年会があった
今年の幹事役は 隣組長である私だった
盆前 10名で予約
しかし 11軒中 6名(男性のみ)出席
いろいろ事情があって
残念ながら 年々参加者が減って来ている
そもそもの隣組の歴史を辿ってみると
戦前の昭和15年
富国強兵 国民一致団結の目的で制定された
五~十軒の世帯を1組とし
人員の動員 ・物資の供出 ・配給
思想統制 ・住民同士の相互監視 ・・・・・・・・・
その他の役目を担った
戦後隣組制度は解体されたが
現在でも市報配布・町内会の回覧板など
何らかの形で僅かにその名残をとどめている
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な訳で 我が隣組は今でも
相互の親睦を深める意味で
毎年12月 1泊で忘年会を催している
話がだいぶ横道にそれてしまったが
無花果の苗木の話はここから・・・・・・・・・・
忘年会の翌日
宿泊した「ゆらら温泉」のすぐ近くにある
農家の店「トマト」に立ち寄った
そこで 以前から欲しかった無花果の苗木を見つけた
春頃からずっと探していたが
無花果の苗だけが なかなか見つからなかった
その理由が分かった
苗木によっては
移植に適・不適の時期があるようだった
初冬のこの時期
全ての樹木が眠りに入って間もない
1年で一番移植に適した時期のようである
そして一昨日 無花果の苗木を
畑に植えて来た
念願の苗木を植えて来て
意気揚々として自宅に戻った私
昼前・・・・・・裏のじいさんに会った
早速 無花果の苗木を植えて来たことを得意気に報告
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「無花果を植えると瓶蜂が来るから気を付けろよ~・・・・・・・・・」
※ 瓶蜂・・・・正式にはスズメ蜂の一種を言う
その言葉を聴いて
ふと 以前にも同じ様な事を言われた事があるのに気付く
栗の苗木
今年 畑の奥に7本の果樹・その他の苗木を植えた
タラの木の苗木2本・ヤマモモ・プラム・梅・栗・そして無花果
一応 何年か経ったらいろんな実が生って
孫が大いに喜んでくれそうなものばかりを
選んで植えたつもり
そこで 裏のじいさんから以前言われた
同じ様な言葉を思い出した
「栗の樹を植えると瓶蜂がやって来るから気を付けろよ~・・・・・・・・・・・」
栗の苗木を植えて来た時に言われた言葉だった
瓶蜂は栗の花の甘い蜜 無花果の蜜も大好物なようだ
どちらも瓶蜂には要注意って事のようだ
そして これ以上裏のじいさんには
苗木の話をしない事に 決めた
理由は・・・・・・・・何を植えても
「瓶蜂がやって来るから気をつけろよ~・・・・・・・・・・・」
って 言われそうだからだ
もうひとつ栗の木の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小林秀雄 著 「栗の樹」
ストーリーは・・・・・・・・・
生まれ育った故郷にあるはずの栗の木を
夫人がもう一度見たくて里帰りをする
たったそれだけのエッセイである
夫人は子供の頃
人通りのまれな一里余りの道を
毎日歩いて小学校に通った
道の中ほどに 栗の大木があり
そこまで来るとあと半分と いつもそう思った
ある日 夫人はどうしてもその栗の樹をもう一度見たくなった
親類への手土産をいっぱい買い込んで
栗の木がある 生まれ故郷へと出掛けた
数日後・・・・・・・・・・
栗の樹がちゃんと生えてた と上機嫌で戻って来た
これを聞いた小林が
さて、私の栗の樹は何処にあるのだろうかと自問した
時々、自分の血を売るようななりわいが
つくづくいやになる
そんな生活が続いていたからだった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おしまい
さて・・・・・・・・・・・・・
私(ラヴィー)にとっての
子供の頃の栗の樹の大木
今も何処かにあるのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
是非 探してみなくては
2011/12/7 自宅裏工業団地より 神社の杜と雪化粧の奥羽山脈
明日の天気予報 午後から雪降り
でも 12月にしては
何故か 毎日暖かい日が続いている